フロイト『夢解釈』の世界
フロイト『夢解釈』(SE Ⅴ, 1-621; 全5、全巻)Ⅱ
Anzieu, D. (1986). Freud’s theory of the psychical apparatus in The
Interpretation of Dreams and his further discoveries. Part 3: a synchronic
account of the topography. In Freud’s Self-analysis, pp.487-513, Hogarth
Press.
Romano, C. (2015). Spinach, cocaine, and countertranceference in a dream of Freud’s. In Freud and the Dora Case. A Promise Betrayed, pp.133-174, Karnac Books.
秋吉良人『フロイトの〈夢〉――精神分析の誕生』第Ⅴ章 「三人の運命の女神」の夢、第Ⅵ章 父の系譜と母の死、岩波書店、2016.
チェーザレ・ロマーノはイタリアの精神科医で、精神分析史の研究家でもあるらしい。英語では本書以外見当たらない(検索すると、同名の法律家ばかり出て来る)。ここでは前回のコカインつながりで、ドーラについてのモノグラフの一章だが取り上げている。
焦点となっている夢は、『夢解釈』ではなく翌年のその一般向け論文「夢について」(1901)の例である。登場する一場面にちなんで、「会食の席の夢」と呼ばれる。
「何かの集まり、食事ないし会食の席・・・ホウレン草が食べられている・・・私の隣はE.L夫人で、彼女は、私に体の正面を向け、親しげに私の膝に手を置いてくる。私は拒否するようにその手を取り払う。すると夫人曰く、ほんと、あなたって方は、いつもとても素敵な眼をなさっておられたわね、と。・・・そのあと、ぼんやり見えてくる、スケッチされた二つの目のようなもの、あるいは、眼鏡の枠のようなものが・・」(岩波版全集第6巻)
それからフロイトは、数ページにわたってこの夢の連想と解釈を書き綴る。これは彼が選んだ、「イルマの注射の夢」と同じく「標本夢」である。
ここにはコカインのコの字も出て来ないが、ロマーノは何と言うか力業で、ありうる関連性を総動員してこの夢を解釈する。彼は、モルヒネ依存者だったフライシェルをコカイン嗜癖に陥れたフロイトの罪悪感の影響を認め、フロイトがホウレン草を食べたがらなかった子供、アーネストを連想したのは、アーネスト・フライシェルのことである。そもそもホウレン草はコカインのことであり、彼が貧乏不安を抱えているのはその支払いが続いているからであり、疲れ知らずで創造性が高まるのはコカインの力である。
それから、同席したE.L夫人は、妻のマルタではなくその妹、ミンナに違いない・・その信憑性もともかく、これは夢の解釈だろうか、それとも夢はフロイトの素行調査の補強資料だろうか。
これはロマーノのモノグラフでは、フロイトによるドーラの治療の際に、彼の義妹との関係が逆転移として、不倫や親娘のような関係を推す方向に働いたのではないか、という論旨の一環にある。
ディディエ・アンジュー(1923-1999)は、訳書の『皮膚―自我』(1996)および『集団と無意識』(1999)で知られていると思うが、それらは後期の仕事で、エコール・ノルマル・シューペリオールではラプランシュとポンタリスに師事し、その後、ダニエル・ラガーシュの下で働きつつ1957年に提出した博士論文が、今回その一部を取り上げた『フロイトの自己分析』である(実際の出版は1959年)。著者によれば、1975年の第二版は、定期的なセミナーの中でフロイトの夢と原文をあらゆる角度から吟味した産物とのこと。彼は、いかにフロイトが精神神経症の経験・フロイト自身の経験・さまざまな文化的産物を含む無意識の経験を撚り糸に、自己分析を通じて精神分析を発見したかを叙述している。英訳は第二版に基づいており、その章立てを見ておくと:
第1章:1895年前でのフロイト
子供時代
婚約と結婚 (1882–86)
生物学および医学の教育
フロイトとシャルコー
フロイトとブロイアー
フロイトとその時代
フロイトとフリース
第2章:夢の意味の発見
1895年7月までのフロイトの進展
「イルマの注射」の夢(1895年7月24日)
イルマの夢からフロイトの父の死へ(1895年7月―1896年10月)
第3章:エディプス・コンプレックスの発見
「心的装置」の概念
「ローマ」の夢(1897年1月)
系統的な自己分析への序曲(1897年2月―5月)
系統的な自己分析(1897年6月―11月)
第4章:原光景の発見と『夢解釈』の最初のヴァージョン
フリースから離れるフロイトの最初の試み(1897年12月―1898年2月)
『夢解釈』についての仕事の始まり(1898年2月―7月)
『夢解釈』の最初のヴァージョン執筆中にフロイトが見た夢
1898年の夏の重要な夢
第5章:去勢不安の発見と『夢解釈』の第二ヴァージョン
二つの偽装された自伝的な夢(1898年8月?)
名前を忘れることの最初の分析
死についての不安の徹底した研究
語の縮合の発見(1898年秋)
男性・女性間の差異との直面化
更なる理論的進展(1899年1月―5月)
『夢解釈』の第二ヴァージョンの執筆(1899年5月―9月)
第6章:『夢解釈』におけるフロイトの心的装置の理論と更なる発見
『夢解釈』の構造
不定期の自己分析と続けられた作業
結論
このように、アンジューは時系列に並行させて主題と理論の精緻化を論じている。今回抽出したのは上記第6章の「『夢解釈』の構造」の一部である。先立つ部分では、24項目からなる初版の構成が24冊からなる『オデュッセイア』のそれに従っていると指摘して、また詳細に説明する。
アンジューの理解では、『夢解釈』の三部構成で計画されており、(アンジューの本ではなくフロイトの『夢解釈』の)第1章から第5章が第Ⅰ部として「エディプス・コンプレックスの発見の通時的説明」を、セクションEを除く第6章が第Ⅱ部として「共時的説明と思われているが実際にはまた通時的な説明」を、そして第7章が、第Ⅲ部「局所論の共時的説明」を提示しており、それぞれが、エディプス空想・原光景空想・去勢不安に対応している。
彼の記述は微に入り細を穿ち、フロイト自身よりもよほど詳しく見えるばかりでなく、理論的な発展の筋を際立たせている。その結果、自明だが興味深い個別の指摘――例えば、夢の経験は常に現在形であるとか、力動論的観点のみで局所論的観点、要は無意識がなければ、その理論は前精神分析的であるとか――に混ざって、後々の概念も総動員して予定調和的に説明しているように見えるところが混在している。実際には、ごく限られた意味でしか、アンジューが言う特定の時期にフロイトが「エディプス・コンプレックス」を発見したとは見做されないだろう。
しかしどんな理論記述も、閉じることはない。それは現実からの遊離を意味する。アンジューは最後に、フロイトが夢見手であると同時に解釈者・語り手・理論家であろうとして、果たせなかったことを書いている。