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「遮蔽想起について」とOn Freud's "Screen Memories"の論文

フロイト「遮蔽想起について」(SE Ⅲ, 299-322; 全3、327-351)
Masi, F. D. (2015). Screen memories: the faculty of memory and the importance of the patient’s history, In Gail S Reed & Howard B Levine (Ed) On Freud's "Screen Memories", pp58-79, Karnac Books.
Cohen, S. (2015). “Screen memories” revisited, In Gail S Reed & Howard B Levine (Ed) On Freud's "Screen Memories", pp118-134, Karnac Books.
Ahumada, J. L. (2015) The waning of screen memories: from the Age of Neuroses to an Autistoid Age, In Gail S Reed & Howard B Levine (Ed) On Freud's "Screen Memories", pp104-117, Karnac Books.

フロイト「遮蔽想起についてÜber Deckerinnerungen」(1899) は、これから『夢解釈』(1900)、『日常生活の精神病理学』(1901)、『機知』(1905)と大部の著作が続く中で、箸休めの読み物のような小編である。振り返ってみればこれらはいずれも、「抑圧」による「無意識」の成立を心のモデルとする、神経症機制の変奏である。確かにこの時期にフロイトは、精神病にも言及していなかったわけではないが、「防衛」という観点を精神疾患一般の機制として提起したものであり、精神病の特異性を考察したとは言い難い。
「遮蔽想起」では、遷移・代替・葛藤・妥協形成・・・と、神経症の機制が一揃い見られる。また、この論文では、「三十八歳の大学教育を受けた男性」として、フロイトが自分の幼年期の思い出を書いていることで知られる。独力で謎を解いたのは見事だが、ここにもこの時期の特徴が見られる。それは、作業が「自己分析」だということである。
フロイトの著作群を大掴みする軸はさまざまありうるが、前期・後期とに分割するのは、単純ではある。その理由を最も明解にするのは、フロイトの前半の著作を神経症論の展開、1910年代のメタ心理学をその統合の試みとその破綻、後半の著作を非神経症構造の追究と捉えるものだろう。(これだと、三期に分けたようなものだが・・)
また、前期は物理学的モデル――エネルギー・力の合成・作用反作用など――が優勢な中での解釈による意味の決定が特徴的であるのに対して、後期では対象関係の世界に、素因が運命として=死の欲動として回帰する、と見ることができるかもしれない。

デ・マッシは、Herbert Rosenfeld at work. The Italian seminars. London, UK: Karnac, 2001.の編者であり、精神病や倒錯に関する論文が目につく。臨床的には「Herbert Rosenfeld(1910-1986)の生涯と活動――あるいは転向」で紹介したローゼンフェルトの考えを、外傷経験の影響の顧慮・生活歴の重視などの点で引き継いでいるようである。
「遮蔽想起」についての論文では、彼はそれが神経症の機制であることを認めた上で、境界例・精神病水準の患者たちでは意識―無意識の構造が損なわれているという特徴を見ている。――ただ、彼の場合、「自閉スペクトラム」が選択肢になく、それに相当する問題は早期の母子関係における外傷に由来すると考えられているように見える。これでは、特性を考慮に入れない恐れはないだろうか。また、このような外傷は、フラッシュバックを含む解離性障害を引き起こすものと同質と考えてよいのかどうか、不明である。いずれにせよ、「外傷性記憶」は、「遮蔽想起」と全く異なる。
同じ論文で彼は、神経科学による記憶論を参照して、「遮蔽想起」および外傷の記憶への影響を説明しようとしている。それはそれで一貫性があるだろうが、意識変容やフラッシュバックを、陳述記憶を欠いた手続き記憶との結びつきだけで論じるのは、主体を圧倒する病理性が扱われていない印象を受ける。
中井久夫(『徴候・記憶・外傷』)は、成人型記憶と幼児型記憶を区別して、後者は外傷性記憶に似ていると論じている。但し、同じだとは言っていない。実際、外傷性記憶は、成人型記憶が成立している中で、そうした加工に失敗したもののように見える。ビオンの記述を用いれば、心的装置においてβ要素がα要素化する機能が成立した上で、過度の侵襲によってそうした加工力を失い、β要素が突出した様態が、フラッシュバックのように思われる。こうした在り様については、脳科学による洗練された仮説が既に存在するのかもしれない。
デ・マッシの例を参照する。これらの三例は意図的にか偶然か、変形(ビオン)の三種の例となっている。
「例えば、分析3年目を迎えようとしている私の40歳の女性患者〔以下Aとする〕は、突然、父親との近親姦的な関係を想起した。それは彼女が、美しい少女に成長した頃のことだった。彼女は、自分のベッドの中で長期にわたって何度も、父親がキスをしたり愛撫したりしたことを思い出した。患者はこの記憶が確かに正確だと信じていたが、それは自分の落ち度だったと確信していたので、強い罪悪感を抱いていた。彼女は父親にも責任があると明らかに認められなかったのは、父親を尊敬し理想化していたからである――それに対して、母親のことは軽蔑していた。彼女の妹が、自分も父親の性愛的な注目の的になっていたと話したとき、患者は自分だけの落ち度ではなかったこと、そしておそらく父親は結局のところ、それほど理想的ではなかったことを了解した。」
Aは、この記述に基づく限りでは、想起に外傷性記憶の要件を認めず、防衛的操作は神経症圏すなわち「硬直運動変形」の範囲にある。外傷の影響は比較的マイルドである。それがもっと強ければ、そうした想起は意識変容やフラッシュバックを招くだろう。キャロライン・ガーランドはフラッシュバックを、象徴が物そのもののように経験される象徴等置(symbolic equation)と理解して、より早期由来の脆弱性を想定している。成人で外傷のために破綻するのは、いわば外傷再経験のためである。Aは、言ってみれば象徴の層構造に干渉(抑圧)を被っていたが、その大幅な断裂を起こさずに済んでいることになる。

「小児性愛を有しサドマゾ的な私の患者(De Masi,2007参照)〔以下Bとする〕は、母親が彼に何度もマスタベーションをさせたと信じていた。彼はこれが、眠れないことが多かった彼を落ち着かせるために、彼の部屋で寝ることに決めたときに起きた、と言った。母親はヒステリー性格で、最終的に息子の友人たちと恋愛関係になったので、この記憶には何らかの実体があったかもしれない。私は患者の記憶を覚えておくように最大限の努力をしたが、私には母親が近親姦をするほど病的とは思われず、納得するに至らなかった。この記憶は事実、後に偽りだったと判明した。それはこの患者に特徴的な心的性愛化過程によって生み出され、過去の記憶を改変したものであり、自分の小児性愛の罪悪感を母親へと投影しようとした試みでもあった。」
Bは、小児性愛という形で、倒錯的関係をパーソナリティの構造に組み込んでいる。その歪曲は、内的対象の投影同一化を含む「投影変形」の領域にある。これが先天的な規定のみに基づくのか、それがあるとしても環境因も影響するのかどうかは、不明である。外界からの影響は、(a)早期の養育と(b)小児期の倒錯的な経験(小児性愛者による性被害)の内在化と能動化という二段階がありうる。最も自然に思われるのは、何らかの特性的な偏りがあり、それを補う養育が行なわれず、そうした発現を助長する経験の機会があったといった過程である。

「摂食障害といつも抑うつ的な気分に加えて、若い患者のタラは情動的な制止を被るようになり、そのために男性と意味のある関係を持つことが妨げられてきた。セラピーの過程で彼女は治療の中で関係を持つ可能性により開かれるようになり、自分が好きな相手と出会った。
タラは自分の家で彼と親密に夜を過ごした翌日、ひどく抑うつ的で不安な状態でセッションに現れて、こう言った。彼と別れた直後に彼女は、浴室に突進して身体を洗い、それから食べ物を詰め込む衝動に駆られた――それは何ヶ月も起きていないことだった。彼女はまた、不安で溢れた夢をみて起こされ、また寝ることを妨げられた。夢の中では、彼女は小さな少女になっていて、友だちと庭で遊んでいた。遂に巨大な蛇が芝生の中に現れた。最初はそれは素敵で、綺麗な色をしていて、楽しく動き回り、少女の足の間を這いさえした。それからタラの方に這って来て、彼女を窒息させそうなほど近くに来た。恐怖の中で周囲を見ると、タラは友だちがみな死んでいるのを見た。
夢の第2部では、タラは家に戻って台所に入った。そこで彼女は、母親が必死に蛇を切り刻んで殺そうとしているのを脇から見た。彼女がそこにいることに気づいた母親は、タラが秘密を発見したかのように、憎しみを浮かべて彼女を見た。
夢の説明を聴きながらYovellは、タラのボーイフレンドとの親密な接触(彼らは前夜、情熱的なキスを交わしていた)が、解離されていた虐待の記憶を覚醒させたことを疑い始めた。それが、彼が去った後で彼女がひどく不安になり、罪悪感を持った理由である。
その後タラは兄に尋ねて、幼いときに兄妹と遊んだ隣家の人から、実際に虐待を受けていたが、家族全員がそれについて彼女に話すことを禁じられていたのだった。夢はタラに、ペニス-蛇に屈し、それに包囲され貫通された、かつての外傷を再経験させた。夢が、タラは母親が虐待を知りながら沈黙を守り続けたことに気づいていたのを示していることに注意しよう。」
この症例タラが経験したのは、外傷性記憶と言えるだろう。それは「幻覚症における変形」を生み出している。ただ、その解明の過程は、「その後」がどれくらい後かにもよるが、些か早いように見える。実際には、現実に起きた場合でも直ちに”事実”には行き着かないだろうし、そこに発達的な特性による経験の幻覚的変形があると、実態を把握するのは困難である。そのように経験するようになったこと自体が、虐待の帰結でもありうる。また、この記述からは、治療者がこうしたつながりを理解したことは確かだが、タラ自身のパーソナリティ構造に変化があったのかどうかは分からない。そうした見取り図を得ることは有益でも、知ることが問題の解消に直結するのは外傷の影響がA程度の場合だろう。こうした水準では治療の帰趨は、元々の資質と、容器としての治療者が迫害的経験をどう咀嚼するかに懸かっていそうである。
一面の向日葵の下には、何かが埋まっているだろうか。

コーエンの論文は、二つの臨床素材を含んでいる。どちらも、1899年の意味での「遮蔽想起」が主題ではなく、「エナクトメント」や「構築」についての論文集に収録されていても不自然ではない。治療は一種の修復、幼年期の新たな構築であるように見える。
結局、神経症の時代は、自閉スペクトラムの時代に引き継がれている。アウマダはそれを、「自閉気質Autistoidの時代」として考察している。

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