見出し画像

「無意識的空想Unconscious Phantasy」を巡る論文集とアイザックス

PSYCHOANALYTIC ideasシリーズの一冊、Unconscious Phantasy (2003)は、Riccardo Steinerによる長文の序論と、以下の七本の論文を収載している。Sigmund Freud (1911) "Formulations on the two principles of mental functioning", Joseph & Anne-Marie Sandler (1994) "Phantasy and its transformations", Mark Solms "Do unconscious phantasies really exists?", Jean Laplanche & J.B. Pontalis (1968) "Fantasy and the origins of sexuality", Susan Isaacs (1952) "The nature and function of phantasy", Hanna Segal (1994) "Phantasy and reality", Hanna Segal (1991) "Imagination, play and art"と、フロイト自身から始めて、現代フロイト派のサンドラー夫妻、脳神経学者でもあるソームズ、『辞典』の二人、古典的論文のアイザックスそしてシーガルから二本と、各方面を代表した選集になっている。どれも古いと言えば古いが、その分、ほぼ邦訳や類似の記事を見ることができる。
リカルド・スタイナーはThe Freud-Klein Controversies 1941-45 (The New Library of Psychoanalysis Book 11)の編者であり、この選集はその作業の副産物のようでもある。彼は”die Phantasie"・"phantasieren"の古代ギリシア語・ラテン語の語源を枕に、フロイトのさまざまな用法を挙げている。「心的生起の二原理に関する定式」(1911)が代表格だが、幾つかは「無意識的空想」概念を総説する際に定番で引用される。
・「ヒステリー諸現象の心的機制について――暫定報告」(1893)
・「心理学草案」(1895)
・フリースへの手紙:1897年3月7日・同16日・4月6日・6月22日・9月21日・10月3日・同15日
・『夢解釈』(1900, S.E., 5, pp. 491-492)
・「W・イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢」(1907)
・「詩人と空想」(1908)
・『精神分析入門講義』第二十三講(1916-17)
・「ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕」(1918b)
・「否定」(1925)
大まかに言えば「無意識的空想」は、フロイトの初期には「病因」論的作用を認められていたが、その後願望が抑圧されたか白昼夢という形で意識化を許容された妥協の産物という位置づけになり、1910年代半ばに、系統発生的に受け継がれてきた「原空想」の構想によって、再び生成的機能を与えられた。
これらはかなり直接的に「無意識的空想」を扱っているか、関連する議論をしている論考である。しかし見ようによっては、事例を含むすべての論文は、「無意識的空想」に何らかの形で触れているだろう。例えば、アイザックスも引用して論じているが、「快原理の彼岸」(1920)に登場する生後十八ヶ月の男児では、糸巻き車を投げては引き寄せるという遊びが観察された。フロイトはそれを、母親からの分離を克服する試みとして解釈した。男児の行動の対象は糸巻き車だから、母親の所在との関連という「意味」は無意識のものであり、現に「知覚」しているわけでもないから、「空想」と呼んでもいいのだろう。これは明らかに生得的ではなくて反応的なものだが、男児がその行動を通じて母親を手繰り寄せる方法を模索しているのなら、現実原理に沿って探索的だとも言えるだろう。しかし母親がいないのを知っていてただ繰り返すなら、白昼夢や強迫行為に近づいていく。
それを言えば、ドーラもハンスも鼠男も狼男も、フロイトが進める精神病理学的な考察と関わりなく、転移を介して、無意識的空想と言っても良いものを介して、フロイトを経験していた。それは結果を左右したのだから、現実を形成する空想である。
もちろん、クラインが主張したのは、もっと早期の具象的で粗暴な、母親の体内に向けた空想が、現に遍在しているということだった。フロイトによる早期の具象的な例は、これもやはりアイザックスが触れた、「否定」(1925)という知的な判断機能の心理学的起源についての論に見られる。彼によれば、対象の或る特性の有無の判断は、それが良いか悪いか、有益か有害かということであり、最早期の口唇的欲動の動きに基づくと、煎じ詰めれば「それを私は食べたいのか、あるいは吐きだしたいのか」「それを私は自分の中に取り込みたいのか、あるいは自分の中から閉め出したいのか」つまりそれは「私の内部にあるべきか、あるいは外部にあるべきか」に関わる。その判断を下すのは快自我である。その基準では、ないものあるいは知らないものは、悪いものとなる。この判断論が興味深いのは、事物が現実にあるかないかは、現実自我が自我の中に表象として存在するものを現実の中に見出すことだが、それは再発見だということである。

このように、フロイトでも具象水準の空想が早期あるいは下層で働いているが、彼が述べているのは構造的に一般に成り立つことである。クラインはそれを専ら母親の身体との関わりに結びつけた。では、そのことがクライン派の特徴だろうか。その視点はなくなってはいないが、クライン自身、性急に早期の状況に結びつけることは、不適切だとしている(スピリウスによるクラインの技法論の紹介を参照)。
イギリスに渡って発展したクライン派とナチの迫害を受けて大陸から亡命してきたフロイト派の間で行なわれた一連の討論は、学術的対話の形式を採ってはいても、内実はクライン派が生存を賭けた政治的闘争だったのだろう(「それぞれの派が違う概念に対して同じ言葉を使っているという事実のために、大論争の議論は、確かに、より難しいものとなった。ほとんどの時間、この二派は互いに言い放っているだけであった」(Spillius, 2001))が、詳細な記録によって、基本概念の意味・早期特に一歳未満の心の発達観・精神分析技法などにおける両者の食い違いが、可視化されている。その後、それぞれが自前の訓練プログラムを持って活動し、相互理解の試みが始まるのは、1980年代になってからだったようである。
サンドラーら(1994)は「大論争」の50年間を回顧して、両派が互いに相手の特徴を認めて変化してきていることを指摘する。しかし、依然として「無意識」についての理解は異なっていると言う。そして「過去の無意識」と「現在の無意識」を区別するという自説を展開する。彼らはそこに構造論的な区別、無意識による検閲vs.前意識による検閲の導入によって、前者すなわち生後1年目の無意識と後者すなわちhere & nowでの無意識を区別でき、早期の無意識的空想と現在の無意識的空想を区別できるようになる。
このような再定義で、彼らはhere & nowでの転移=無意識的空想の解釈に一定の価値を与えつつ、それが「過去の無意識」とは異なっており、結局表層から深層へ、抵抗の解釈を行なうべきだ、という自陣の主張を繰り返すことができる。――しかし逆に言えば、”そのような”転移解釈にはクライン派に独自の意義は認めがたいということであり、その通りなのか、クライン派独自の意義とそもそもの解釈の仕方について、理解が異なっているかのどちらかである。つまり、同じ土俵での議論に実際にはまだなっていない、ということである(決着がつかない、とはそういうことだが)。

アイザックス(1943)は、大論争中に「空想の性質と機能」を討論のための論文として提出、下記を結論とした。

a. 空想は主に無意識的であり、無意識的心的過程の一次的内容である
b. 空想は心的現実であり、心の中で空想なしには作用できない本能衝迫の心的代表である
c. フロイトが仮定した「幻覚的願望充足」と「一次同一化」は、空想生活の基礎である
d. 空想は経験の主観的解釈である
e. 空想は発達早期に、願望充足ばかりでなく防衛へと仕上げられる
f. 空想は特定の内容を表現し、衝迫あるいは感情・防衛の特定の方向と目的を示す
g. 空想は、正常な人でも神経症の人でも、生涯にわたって妨げられることのない万能的な影響を及ぼす
h. 個人差と年齢差は、空想の練り上げと表現の様式にある

これは、IJP版(1948)を見慣れた読者には簡略版に映るだろうが、こちらが実際の討論で用いられた原型である。実は1948年版は、下記の選集版(”Developments in Psychoanalysis", 1952)とも異なっている。

a. 空想は、無意識の心的過程の一次的/主たる内容である
b. 無意識的空想は主として身体に関わり、対象への本能的目標を表している
c. これらの空想は、まず第一に、リビドー的・破壊的本能の心的代表である。そして発達早期に、願望充足物と不安内容ばかりでなく防衛へと練り上げられる
d. フロイトが仮定した「幻覚的願望充足」と「一次同一化」「摂取」「投影」は、空想生活の基礎である
e. 外的経験を通して、空想は練り上げられ表現できるようになるが、そのような経験にそれが存在するために依存してはいない
f. 空想は言葉に依存していない。但し、いくつかの条件下では言葉で表現することができる
g. 最早期の空想は、感覚で経験され、のちにそれは可塑的イメージや劇的表現の形をとる
h. 空想は、心的にも身体的にも影響を与える。例えば、転換症状・身体的特質・性格とパーソナリティ・神経症症状・制止と昇華においてである
i. 無意識的空想は、諸本能と諸機制の間で働く結合を形成する。詳しく研究すると、どの自我機制も特定の種類の空想から生じていることを明らかにできる。空想は最終的に本能衝動に起源がある。「自我はイドの分化した部分である」。機制は、主体によって無意識的空想として経験される幾つかの心的過程を記述する、抽象的一般用語である
j. 現実適応と現実思考は、同時に作用している無意識的諸空想の支持を必要とする。外的世界についての知識が発達する仕方の観察は、子供の空想がその子の学習にどのように寄与するかを示す
k. 無意識的空想は、正常な人でも神経症の人でも、生涯にわたって持続的影響を及ぼす。両者の違いは、支配的空想・それらに関連した欲望や不安そしてそれら相互の作用と外的現実との作用にある

結論部以外は比較対照していないが、「d. フロイトが仮定した『幻覚的願望充足』と『一次同一化』『摂取』『投影』は、空想生活の基礎である」は、IJP版(1948)の「フロイトが仮定した『幻覚的願望充足』と『一次摂取』『投影』は、空想生活の基礎である」を修正している。癌で1935年以来闘病していた著者は、雑誌発刊後同じ年に亡くなっているので、校正を残していたのかもしれない。
これらの論点は、歴史の一齣としてよく知られていると言えば知られているが、現代の観点で取り上げられるなら、臨床的な意義抜きで「本能衝動」という枠組みからその理論構成を論じられることはない。その意味では、アイザックスが挙げた実例を見ておくのはよいかもしれない。
先に文献情報上のことを言うと、「空想の性質と機能」には、三つのヴァージョンがある。世に最初に出たのは雑誌掲載された1948年版だが、選集版(1952)では上述の修正がなされている。それはかなり些細なことにしても、大論争を復元した1943年版は、IJP版(1948)と異なっている。普通に考えると後から出版されたものは理論的な整理を更に進めたことだろう。実際に、フロイトおよび他の論者からの引用は、大幅に削除されているが、観察例も一部省かれている。選集版(1952)も同じである。

アイザックス(1943)は論文の最後に、「プレイの例」というセクションを設けて、四つの観察を述べている。ここではそれらを見よう。
その1:
「1歳6ヶ月の女の子が母親の靴を見たが、その底は抜けていてパタパタと動いていた。子供は恐がり、恐怖の悲鳴をあげた。1週間ほど前から、母親が靴を履いているのを見ると、縮こまって悲鳴をあげるようになった。問題となった靴は、数ヵ月間、再び履くことはなかった。子供は次第にその恐怖を忘れ、母親がどんな靴を履いていても許すようになった。2歳11カ月(15カ月後)、彼女は突然、母親に怯えた声で「ママの壊れた靴はどこ?」と言った。母親は泣き叫ぶのを恐れて、急いで「どこかにやっちゃったわ」と言った。子供は「私は食べられてしまったかもしれないね」と言いました。
このように、1歳8カ月の子どもは、恐怖を名指すことはできなくても、パタパタする靴を口と見なし、そのように反応していた。だからここには、空想は言葉で表現されるはるか前から感じられ、現実として感じられるという明確な証拠がある。また、子供は母親の靴を脅かすような噛みつく口として見ながら、自分の噛みつく衝動に対する復讐として噛みついてくる、復讐心に満ちた空想上の母親への恐怖を表現していたのではないかと思われる」。
その2:
「また、16ヶ月のほとんど話さない女の子の、次のような遊びを考えてみよう。彼女にはお気に入りの遊びがあり、父親と母親とで遊ぶ。彼女は、食堂にある茶色の浮き彫り模様がある革製の衝立から、想像上の小さな欠片を拾い、その欠片を指と親指で慎重に部屋を横切って運び、父と母の口に交互に入れる。子供は自分が食べさせてもらったように、お父さんやお母さんにも食べさせてあげたいということを、これ以上わかりやすく言葉できるだろうか。しかし私たちは、更に二つの事実を結びつけることができる。部屋の中の色も形もさまざまな物の中から、彼女はこれすなわちいくつもの小さな盛り上がりの付いた茶色の衝立を選んだ――両親に食べさせようとして。これは、子供が過去数ヶ月間(12ヶ月から18ヶ月の間)ベビーベッドの中で排便して身体を汚し、便を自分の口に含んでいた事実と結びついていることはないだろうか。子供は、茶色い衝立の欠片を想像して両親に与えることで、便で汚したりそれを食べたりしたこと――そして両親の非難――が引き起こした不安を克服しようとしているのではないだろうか。便は良いものであり、両親にも食べられるということを証明しようとしているのではないだろうか」。
その3:
「同じ年齢の女の子の別の例を紹介しよう。この子供は1歳の頃、固形物を食べ始めた時から(彼女は6〜7ヶ月までは母乳で育てられ、その後は哺乳瓶を使っていた)、トレイに2・3本のスプーンを置かせてもらわないと、食事を全く取らずに抗議の声を上げた。それによって彼女は自分がスプーン何杯かを食べる間に、母親にスプーンを渡すことができた。このように彼女は、自分で食べることと母親に想像上の食べ物を与えることを交互に行ない、そうするのを許されないと、それが自分にとっていかに重要なことかを、叫び声や食べられないことで示した。
この子供は数か月前に、最初の深刻な喪失に直面していた。生後7カ月で哺乳瓶を使っていたとき、彼女のとても献身的な母親は、初めて彼女を置いて出掛けた。母親は一日留守にしたが、哺乳瓶の準備をして、乳児がよく知っていて信頼しているように見えた友人に託した。しかしながら、子供は食事を与える母親がいないと知ると、泣き叫び、哺乳瓶を頑なに拒んだ。子供はその日一日中絶食し、食事を2回飛ばした。母親からも、戻ってすぐには食べ物を受け取ろうとせず、顔を背けて断固として拒否した。母親が戻ってきたことで子供が十分に元気づけられ慰められて食べ物を受け取るようになったのは、3時間後のことだった。
より年上の子供たちの食事拒否の例から私たちが知っていることから見て、母親がいないことへの子供の恨みや怒りが、彼女の食事として残されていた食べ物に毒を入れてしまい、母親が戻ってきたときでさえ、母親に対する知覚をまだ歪めていたことがありそうに思われる」。
その4:
「 16〜18ヶ月の男の子は、想像上のアヒルたちを部屋のあちらの隅からこちらの隅へと追い立てながら撃つという遊びを気に入っていた。彼は「クワッククワック」と言ってそれらがアヒルであることを示したが、言葉の発達が悪く、このゲーム中にそれ以外のことは何も言わなかった。彼の表情や夢中になっている様子は、彼がアヒルをいかに鮮明に見ているかを示しており、アヒルがいてもこれ以上劇的に振る舞うことはなかっただろう。当時子供は夜驚症に悩まされており、夜中に泣き叫んで起きることが多かった。このアヒルとの空想の遊びから数ヶ月後、2歳を過ぎた頃になって初めて、彼は悪夢の内容を言葉にすることができた。そして「白いウサギが僕の足の指を噛むんだ」と言った。
しかしこの少年は、離乳された7ヶ月の頃から、ミルクに全く背を向け、触るのも頑固に拒んだ――彼はその後何年も、触らなかった。さて、彼の悪夢の中で彼の足の指を噛んだ「ウサギ」が白かったことに注目してほしい。以下の結論に抵抗するのは困難である。(a)「白いウサギ」は(少なくとも部分的には)彼の母親の乳房を表しており、彼はその乳房が自分を欲求不満に陥らせたときに(願望であれ事実であれ)それを噛んだので、それが自分を噛むのではないかと恐れていた(アーネスト・ジョーンズ博士が記述した、母親が下の子に授乳していたときに母親の乳首について、「それで僕を噛んだよね」と言った少年のことが思い出される)。 そして(b)噛む乳房の恐怖が、彼の生後2年目の早期の悪夢の主な内容だったこと。そして(c)アヒル(やはり白い生き物で、大きな飛び出した口を持っている)との想像上の遊びの中で、彼は噛んでくる報復する乳房への恐怖を克服しようとしていたこと」。

これらの記述はいずれも、或る観察と経過報告とそれらからの推論によって構成されている。推論のうちで、言葉を適切に使える前から何らかの経験があり、それが後になって言語化され、そこに対象関係が含まれていたことが確認される、というところまでは、あまり異論も別の解釈もなさそうである。それから、対象として母親が関わっていそうだということも、かなりの可能性として受け入れるだろう。実際、ここまでは「無意識的空想」を扱っているとは言えない。
その次の推論では、悪夢の中に入ったように、世界の様相が一変している。「その2」以外は、部分対象と同害報復の恐怖で色づけられたアニミズムの世界である(その2では、対象には象徴として用いられる”意味”があっても意思はない。その2の子供には知的な問題がないだろうか)。もっとも、噛んだせいで噛み返されることを怖れて、という因果論的な説明はやや迂遠で、空想上でもよいと言われても、腑に落ちなくても不思議ではない。クラインは「妄想分裂ポジション」の概念を提起してから、説明のうちの何かをしたから、という部分は止めて、自己の攻撃的な部分自体を分裂排除して投影する、とした。それがどうして出来上がったのかを説明しようとするのでなく、元々そういうものがあるとした方がすっきりする。「大論争」は、そうした世界の認識自体がなかった時代のものだったと思われる。
アイザックスの論文でも、臨床例は皆無ではないが、この空想を臨床でどうしたものなのかは、ほとんど扱われていない。彼女が書いていたとしても、それがクラインの本質を突いていたかどうかは不明である。と言うのも、クラインは心の世界の地図を、1946年に一変させてしまうからである。

画像1

付記

Spillius, E. (2001). Freud and Klein on the concept of phantasy. Int. J. Psycho-Anal., 82:361-73.
Weiss, H. (2017). Unconscious Phantasy as a Structural Principle and Organizer of Mental Life: The Evolution of a Concept from Freud to Klein and Some of Her Successors. Int. J. Psycho-Anal., 98(3):799-819.

ヴァイス(2017)
はアイザックスとクラインの見解を総括して、以下六点を挙げている。
○ 原始的空想の活動は、人間の人生のまさに始まりから想定することができる。このこととフロイトが「原空想」や「系統発生的遺産」と呼んだものとの間には関連性がある。
○ 無意識的空想は、「情緒備給」と「観念内容」を分離できないような情動的経験に密接に関連した身体的観念とみなされる。
○ 無意識的空想は、まさに始まりから対象関係を含んでいる。これはほぼ間違いなく、メラニー・クラインによる空想の精神分析理論への非常に重要な寄与である。その最も原始的な形においてさえ、空想はその対象が現実のものか想像上のものか、部分的か全体的かに関わりなく、つねに対象に関係しているからである。
○ 心的生活において、空想はたえまなく再組織化され作り直されている。空想は情動的経験を象徴化することばかりでなく、防衛としても働くことができる。無意識的空想の比較的具象的・身体的・比喩的・象徴的形態の間の移行には、違いを認めることができる。
○ 無意識的空想は、常に何らかの形で伝達されることができる。私の見解では、メラニー・クラインは投影同一化の概念(Klein, 1946)を導入したとき、無意識的空想のこのコミニュケーションの側面を予想していた。
○ 無意識的空想は、現実に接近するための仕方として働くことができるが、その否認としても働きうる。晩年の仕事でクライン(1957)は、羨望と人生への嫌悪感によって培われた万能的空想について詳しく述べた。それに対して現実を志向した空想は、象徴形成を促す償いの過程に基づいていた。

太字は、著者自身による強調である。何が主題となっているかは、そこにおおよそ見て取れるだろう。これらは、フロイトとの対比点でもある。スピリウス(2001)は、簡潔だが明解にそれらを述べている。この論文は『現代クライン派入門』で邦訳を読むことができる(第二章「フロイトとクラインにおける空想の概念」)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?