理不尽と邪心と~「それでも1番になればいいから」~
【近況報告】
こんにちは。
更新の気軽さにすっかりnoteにハマってしまいました。
ブログ...どうしよう(^_^;)
ちょこちょこ電子書籍を購入していただけているのは、ブログ経由で知ってもらえたからなのか(それならブログの存続意義もある)。
はたまた、アマゾンの検索ワードでヒットしただけなのか(それだとブログは無くてもいいことになるが、「こんなブログを書いている人の本なら大丈夫だろう」という信頼(?)に繋がっているとしたら、存続意義はあるかも...とか色々考えつつ)。
ブログに手をつけていない割には、(少ないながらも)ユーザー数も安定するようになってきて、後に引けない感じに。(笑)
noteを使っているのにはもう一つ理由がありまして、引っ越してからネット環境がなくなってしまったのです。8月にマンション全体で使えるようになるかも...と管理会社に言われ、今のところそれを待っています。
もし管理会社が導入しないのなら、個人で勝手に契約するのですが、もうちょっと待ってみようという段階。
ブログは結構時間をかけて記事を作っているので、長時間安定したネット環境が欲しいところ。下書き保存できたりできなかったりすると辛いので。
今はGさん(夫)が仕事から帰ってきた夜に、Gさんのスマホのテザリング機能でWi-Fiに繋がせてもらい、短時間で更新できるnoteを書いたり、調べものをしたりしています。
ちなみにGさんは楽天、私はUQモバイル。楽天(android)は通信料がとても安いらしく、Gさんがゴリ押ししてくるのですが、私は頑なにiPhoneを使いたいと貫いています。(笑)
というわけで、安定した通信環境が手に入れば、またブログのモチベーションも上がるかもしれないな~と思っています。
【理不尽と邪心と】
ところで今日のお題は【理不尽と邪心と】ということですが...。
私、「理不尽」ってすごく嫌いなんですよ。「嫌い」という言葉をあまり使わない私ですが、これだけは!(笑)
うちの両親は機嫌や偏見で物事を決めることが多く、私が悪くて怒られるならまだしも、悪くないのに怒られるのが子ども時代はすごく嫌でした。
それで「理不尽」トラウマに...。((+_+))
さすがに成長するにつれ、徐々に乗り越えられるようになりましたが。
私が好きな本「全捨離」の著者、桜庭露木さんは子ども時代の「理不尽」を「あなたがそういう目に遭うのは、前世であなたが同じことをしていたから」という小林正観さんの言葉によって乗り越えることができたのだそう。
(「前世で本当にそうしていたかどうか、わからないじゃん・証明のしようがないじゃん!」という人もいるかもしれないけれど、私はその人自身が「この理由なら納得できる!」って思えるなら、何でもいいんじゃないかと思っています。)
私も「理不尽を許せるようにならなきゃな~」と思いつつも、「そうは言っても、親がここまで育ててくれたんだし」などの言葉では「う~ん、ちょっと腑に落ちないかも」と感じていました。
「これぞ!」という自分にしっくりくる理由を探していたんですね。
そしてある時、出会いました。
「真央ちゃん」の愛称で親しまれた、フィギュアスケートの浅田真央選手。いつかのテレビのインタビューで「採点が理不尽だと感じることはない?」という質問に、「理不尽だと感じるときもあるけれど、それでも自分が1位を取ればいいだけだから」と答えました。
私はこれを聞いて「カッコイイー!」と心酔してしまいました。(^_^;)
素敵じゃないですか?✨
なぜこの話を思い出したかというと...
現在私は「学生」をやっていて、ちなみにテスト前なんです。
クラスメイトのうち何人か、iPadやiPhoneで使えるアプリ「goodnotes5」の「フラッシュカード」(=暗記カード)機能で自分なりに問題を作って、勉強している人がいます。
そして気前よく、じゃんじゃん共有してくれる!(すごい!)
私はアナログ派なのでWord等で問題を作り、プリントアウトして紙ベースで勉強していました。
それを「使う人いるかわからないけど、もしよかったら」とクラスメイトに共有したのですが...
共有する前に「ライバルの成績が良くなったら、逆に私にとって不利になるのでは?」とケチ臭い邪心を抱いてしまいました。恥ずかしい...。(>_<)
ちょうどこの前、知人に「岡本太郎(敬称略)の映画、見てみなよ~」と言われていたところだったのに。
知人いわく、岡本太郎の主張の一つに「縄文時代は採れたものをみんなで分け合っていてよかった。弥生時代に入ってから、上の者が下の者から搾取して上納するピラミッド構造ができあがってしまった(=今の社会)。やっぱり縄文時代の文化に戻ったほうがいい」というものがあるらしい。
私は元々競争が好きなタイプではなく、高校時代に「どうして、他人を蹴落として自分が1番になりたいって思って勉強できないの!?」「なにくそって、悔しいって思ってやるんだよ、普通は!」と両親に怒られたのがとても嫌でした。
「『みんなで頑張って、みんながそれぞれの志望校に行けたらいいね、共に頑張ろう』じゃダメなの?」「どうして、自分だけが他を踏み台にして頂点に立たなければならないの?」と思っていたんです。
そんな心を持っていたはずだったのに、ふとケチ臭い考えをしてしまった自分にガッカリ。(笑)
ここで、理不尽と邪心はまた別の話なのですが、「ライバルに有益な情報を与えたとしても、自分が1番になればいいだけじゃん!」ということで、真央ちゃんの言葉を思い出したのでした。
「結局1位は目指すんか~い」「矛盾しているかな?」と思ったのですが、「人を踏みつけ、見下すために1位になりたい」というより、「自分をどこまでも高めていきたい、その結果として何かしらの評価をもらえたら、自分のモチベにもつながるだろう」的な感じなので...別に1位じゃなくてもいいんですけど。(^_^;)
卒業して社会に出たら、優れた人もいっぱいいるわけだし、それぞれの人にそれぞれの良さがあるけれど、短期的なゲームのような感じで、いい点を取れたら多少気分が上がるかな~なんて考えながら勉強をしています。
あなたは「理不尽」や「邪心」で思い出す出来事はありますか?^^
ではまた次回(^_^)/~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?