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ゲイパレードで脱ぐ理由を十数年かけて受容できた話

「あんな人と一緒にされたくない」

「自分はゲイだけど、公共の場で緊縛したりしないから安心してって弁明しながらこれからカムアウトしなきゃならないの?」
「差別や偏見をかえって助長してどうする」
「ゲイ辞めれるもんなら辞めたい、ふざけんな」

TRPで緊縛のパフォーマンスがされた件について、コミュニティの内側、特に若いゲイであろう人からの批判(というより怒りと悲痛に満ちた叫びとも思えた)に、古傷を抉られた気持ちになりました。公衆の面前で露出する彼らと自分が同じ属性だなんて周囲から思われたくないし、思いたくない。わかる of わかる。そう思っていた時期が自分にもあリました。

「なぜ露出の多い衣装なのか、多数派へのエンカウントであるというプライドの歴史的経緯を知った方がいい」
「ストレートの人達に迎合するように振る舞うべきではない」

当事者としてのプライドの向き合い方に言及する上記のような意見もよく見かけたのですが、それを知ったとて、すんなりと納得できるものでもないよな、、、とも思いました。コミュニティのアイデンティティの主張よりも、日常生活で奇異な目を向けられないという防衛の方が喫緊の問題と考える人も多いし、、、。そして、それに加えて(あまり言及されていない気がするのだけど)、そもそも、男が肌を露出し性的に魅せる・魅られるというゲイ・コミュニティに対する当事者自身の受容の問題があると思うんです。というのも、自分も若い頃にそれらに嫌悪感を感じていたから。

見たい男の裸と見たくない男の裸

高校を卒業し一人暮らしを始めた頃、人目を気にせず出会いを求めてゲイクラブに出入りするようになりました。そこで目にしたのがGOGO BOY(セクシーな衣装を身にまといステージで踊って会場を盛り上げるダンサー)。いわゆるゲイのモテ筋(短髪髭筋肉)で、露出も多いものだから、フロアに登場すると一気に盛り上がる。だけど自分は遠くから興醒めに眺めていました。なぜなら、インターネットもない実家の部屋で渇望していた「男の裸」自体ではあるが、自分にとっては性的興奮の対象ではなかったから。20歳前後の若者かつ「美少年」と形容されるような少年が好きだった自分にとっては、いい歳したオッサンが何してんねん、と。鍛え抜かれたその身体も男性性に対するコンプレックスの裏返しのようで却って女々しさを覚えた。例えが適切ではないと思うが、若い女性の身体が好きなのに、熟女モノを見せられている(もしくはその逆)とでも言えば伝わりやすいんですかね、、、。自分が期待していたゲイの審美眼はこういうことじゃない!と、コミュニティの中での居心地の悪さも相まって憤った気持ちすら持っていました。

内輪向けのイベントでも忌避感を感じていたくらいだから、ゲイパレードといった対外的な場面で見かけたら抵抗感がより強いんですよ。今ならそういったコスチュームでアピールすることが解放運動につながると受け取れるんですが、そもそも受容できていないから、単に露出狂の「ヘンタイ」にしか見えない。自分が属するコミュニティの歴史的なカルチャーなのだから敬うべきです、みたいなことを言われても、俺は迎合してねえからな!糞食らえ!と思ってました。

ゲイというだけで一枚岩ではない

でも今では、GOGO BOYに対して、好きとまではいかなくとも、一人の有り様としてかっこいいとは思えるようになりました。それは今にしても思えば、視野が狭かったから特定の価値観だけがゲイの在り方の全てのようにと感じていたのだと思います。掲示板で出会ったり、勇気を出して入ったバーは、安室ちゃんAyuモーニング娘など女性アイドルの話ばかりで、口を挟むは「ちょっとアンタ〜」とオネエ言葉。ルックスが良ければまだマシだったのかもしれず、チヤホヤされることも、恋人もいず、マイノリティの中でも更にマイノリティなのでは、、と落胆したことも。

だけどたまには、音楽の趣味やライフスタイルを共有できる出会いがあり、知人の更に知人のホームパーティで、日常の生活では接しない年齢・職種異なる交友関係が広がり、本・映画などを通じて自分ではないどこかの誰かに触れる機会があり、そんな経験を積み重ねていく上で、ゲイという属性だけで一枚岩で語れるものではないことを知り、自然とゲイ・コミュニティに対して好きなもの、そうでないものの距離感と受け止め方を覚えていけたのだと思います。

だから、この件で絶望している当事者の人達には、とにかく手当たり次第にいろんな経験が持てるといいのかもな、と勝手に祈りたくなってしまいます。マッチングアプリを色々試してみたり、友達の友達を紹介してもらったり、冷やかしに何かのイベントに参加してみたって良いと思う。沸々とした想いをnoteに書き連ねたり、もしかしたらなんたらファンズでベットでの行為を見せたっていいのかもしれない。そうすることで、自分が属するコミュニティの全てを愛せなくとも、存在自体を受け止められると良いなあと思います。

ちなみに私はそれらを受容した結果、、、カメラ趣味が興じて今や男性ヌードを撮るようにすらなってしまいました。モデルになってくれる方、募集中です(なんていうまとめ方だ)。

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