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気持ちの正体を探る

コバエを叩きつぶせたときは「やったー!」と喜ぶし、逃がした時には「くそ!」と声に出したり、舌打ちもする。だけど、一通り退治し終わった後にはもやもやとした感情が残っていたりするのも確か。

コバエとは仲良く出来ない

あれだけコバエを見つけ次第、親の仇かの如く片っ端にぶちぶちと叩き潰してるにも関わらず、気分がすぐれたりはしない。

ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶち…

潰し続けていても、その後の気分というものは決して清々しいものじゃないんだよね。だからといって、コバエと仲良く共存生活を送れるほど私の精神は成熟していない。

そもそも精神が成熟した人物であったら、10年以上ひきこもりの無職ニートなんてやっていませんからね。

気持ちの正体

さて、この記事を書いている最中にもいったいに何匹のコバエを潰したことか分かりませんが、コバエを叩きつぶすことで発生する、この負の感情は一体何なんだろうか?

私のない頭で考えられるとしたら、次の3つが候補に挙がりました。

・宗教的に許されないから
・時間と手間を取られたなくないから
・自分の手を汚したくないから

宗教的に許されないから

海外旅行したことないから個人的な偏見になるけど、日本は世界的に見て宗教感の薄い国といった印象を受けます。それでも、仏教をはじめとした宗教が存在するのは確かな事実。

日本での宗教と言えば仏教ですが、その教えの中に「苦しみの原因」として「心の中から取り除くべきもの」として十悪(十不善業道)と呼ばれる10の項目があるらしい。

その一つが「殺生」なのだとか。

ここで言う殺生とは、ただ人を殺めるなという話ではなく、むやみに生き物を傷つけてはならず、その生命をより良く生かしていこうという教えらしい。

ただ、残念なことに私は仏教徒ではないしそもそもが無宗派の人間なんだ。だから宗教の話は正直なところピンと来ない。

時間と手間を取られたなくないから

実際、この記事を書いている間も何度も中断してコバエ退治に勤しみました。その度に、どんな記事を書こうか忘れてしまうので非常に効率が悪かったです。要するに私がエゴイズム(利己主義)という訳だ。

しかし、私が真にエゴイストであるとするならばコバエホイホイを使ったり
、ましてや手で叩きのめしたりするのだろうか?

いや、しない。
なぜなら非効率だから。

いっそのこと、燻煙式(部屋中に煙が充満するタイプ)の殺虫剤で室内のコバエ共を一網打尽にしていたのではないだろうか?

いや、本当はしたかった。

でも、部屋が散らかり過ぎていて部屋内の家電製品を保護する手間が面倒で諦めた。私はどうしようもないほど面倒くさがり屋さんなんだ。

自分の手を汚したくなかった

最後に考えられるのが「自分の手を汚したくなかった」という話だが、これは別に虫を手で潰したら汚れて気持ち悪いといった潔癖症の話ではありまsせん。自分は責任を背負うことをしないという話。

つまり「他の人に自分の意志を強制しつつ、自分自身はその結果の責任を負わない人」ということです。この言葉を表現するのに合っているかは分からないけど、マキャベリズムが近いのかもしれない。

要するに、部屋を掃除せずゴミ捨てを忘れたことによってコバエが大量発生してしまった、またそれにより無益な殺生を行ったという2つの事実に対する責任を回避したいのだけど、既に行った事実故に回避することが不可能になったことで、心のどこかでモヤモヤとした気持ちが渦巻いてるのかもしれないということです。

もっと簡単に言ってしまえば「卑怯者」ということなのでしょう。

深追いはしない

こういったことを考えていると、どんどん自分の悪いところだけ浮き彫りになってきて心が廃れてくるので、ここまでにしておくことにしようと思う。

とっても憂鬱な気分です。

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