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自然神との対話の足跡③

みちくさは糧になる

一昨日(2023年7月20日)、始発(武蔵国)から終電(阿波国)まで電車(地の果ては今も汽車)の旅で、しばらく道草を食っていて更新できてませんでした。
「次は 阿波大宮」って書いてある車内表記が気になってしかたなくなり、一日探索していました。おなじ埼玉の人はきっと見のがせないと思います。もちろん武蔵国一ノ宮氷川三社を巡ってのお話の途中ですので、これに触れない分けにいかず、こちらが現地からのレポートになります。

「阿波大宮」って、ここはどこ、それは何?

武蔵国一ノ宮としての大宮氷川神社に対応する、阿波一ノ宮は徳島県鳴門市大麻町板東にある大麻比古神社であるのですが、そこは板東駅という最寄り駅があるのです。阿波大宮駅は板東駅よりも8kmも離れた山奥になります。これは別に由緒ある社がないと辻褄が合わないと考えたわけです。

阿波大宮は板東(阿波国一ノ宮)から離れすぎている

夜中に家に着いて、身内(地元で長年暮らす専門家)ならびにチャットGPTに確認しても明確な回答がなかったので、一日探索してオリジナル見解を発表致します(通説で十分な方、次の動画などご確認ください)。

山の神を祀る社群が構成されている

大社一:大麻比古神社
小社三:岡上神社鹿江比売神社宇志比古神社

大麻山の神を祀っているのが大麻比古神社であり大麻比古神、猿田彦大神を祀っていると記されています。こちらを阿波の「大いなる宮」と呼んで差し支えないかと考えます。ところが板野町には大麻山の西に大山があり、大山の神を祀るいくつかの山神社と大山の八合目には力餅運びで有名な大山寺があります。大山と大麻山のさらに奥には大阪峠が抜ける険しい阿讃山地があり、その入口に大宮神社(板野町大寺字大向)があります。
これらの山々から人々は幸と気を受け取り、縄文の古来より自然神の宿る山として、古事記によると大山津見神(おおやまつみのかみ)の在す山として崇めてきました。これらの山々とその麓の野の神を祀る社群により、「大いなる宮=阿波大宮」が構成されると考えることができます。
古事記によると、大山津見神は伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた神であり、草と野の神である鹿屋野比売神との間に四対八柱の神を生んでいます。また、(櫛名田比売の父母である)足名椎・手名椎(あしなづち・てなづち)は、古事記では大山津見神の子と名乗っています。
岡上神社(おかのうえじんじゃ、板野町大寺字岡山路)の祭神は豊受姫命です。伊邪那岐命と伊邪那美命の間に大山津見神、鹿屋野比売神の生まれた後、大宜都比売神(おおげつひめのかみ)が生まれましたが、大宜都比売神は穀靈であり阿波国の祖神で、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神と同神です。日本人が伊勢神宮の豊受大神を拝むということは、根の国の阿波の穀靈・大宜都比売神を拝んでいることになります。
鹿江比売神社(かえひめじんじゃ、徳島県板野郡上板町神宅)が鹿江比売神命(古事記では鹿屋野比売神)を祀っていて、式内社の中では阿波のこの一社だけしかありません。鹿江比売神命は大麻比古神の子である可能性もあり、少なくとも共に阿波忌部一族が祀る神と見られています。

山と海の自然神が中央構造線北に同居している

関東から九州に伸びる長大な断層(中央構造線:a16中央構造線活断層系板野断層)のすぐ北が阿波大宮という場所になります。中央構造線は阿波池田から吉野川の少し北側を徳島市北方へ続きます。四国東部では中央構造線は、地質境界より北寄りの阿讃山地の南麓から鳴門市内を通ります。
中央構造線活断層帯を震源とする直下型地震が発生すれば、活断層の直上では、地表面のズレにより建築物等に大きな被害が生じる可能性があります(平成7年の阪神淡路大震災では、発生した直下型地震の影響を受けて、中央構造線活断層沿って実際に建物に大きな被害が発生しました)。この危険を未然に防止するため徳島県では、中央構造線活断層帯に係る土地利用の適正化のための条令を設け、平成25年4月1日から施行しています。

阿波国と讃岐国とを隔てる断層(中央構造線)の様子

縄文の古来より住居は海や川が迫る恐れがない高台に構えられ、そこに住む人が自然神を祀り、寄り合う場所が後に祭殿となり今も社殿(あるいは寺院)が残っていると考えます「参照:自然神との対話の足跡(今の結論)」。
阿波国大宮は武蔵国大宮とは地理・自然環境が異なっており、険しい山と速い海が同居しています。また中央構造線による地響きにも左右されかねません。このような厳しい地理・自然環境の中で生き残るために住人は、隣人と協力しあい、自然神に深い祈りを捧げてきているのだと考えます。

海の神に向きあう漁撈の民が、日の出前(2023年7月22日朝)に日本で最も流れの速い海に出航する様子を映しています。

人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……