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自然神との対話の足跡⑯

さて、質問です!

朝(2023/12/14)、海岸で拾ったコレクション(拾得物)を並べた冒頭画像ですが、この中で縄文人が手に入れられなかった物はどれでしょう。上段は木片が風化して流れついたもの、下段左側2つは貝殻が風化したもの、下段一番右側は陶器破片、下段右から2つ目は緑泥片岩と呼ばれる岩石破片となります。

阿波の特産品:青石

4つの自然物(木、貝殻二つ、岩石)の中で、岩石破片(=石ころ)は地球からの直接のメッセンジャーといえます。下段右から2つ目の青い石は、結晶片岩中に緑泥石を多く含むもので、緑泥片岩または緑色片岩といいます。四国山地、紀伊山地を通る日本最大の活断層「中央構造線」の断層から多く出土し、緑泥石は地中深くで地殻変動により出来ることから、地殻変動の顕著な所に産出します。徳島県は徳島城のある城山、眉山などは全山青石で出来ているともいわれるほど青石は身近な石です。四国山地の剣山山系、山間部では露頭がみられ、吉野川中流域では川底が総て青石の場所もあります。
この石(緑泥片岩)は阿波の青石と呼ばれ、古来より阿波の特産品として城などの石垣、道標石、支柱石、板碑、庭石、お墓、石段、敷石、便所、灯籠など建築材料として使われてきています(阿波の歴史上特筆すべき特産品:阿波の赤石については「自然神との対話の足跡④」ご参照下さい)。

阿波の青石はどこから来たか

中央構造線の元になった断層は、今から1億年以上前、日本列島がアジア大陸の一部だったころに誕生したと言われています。恐竜がいた白亜紀に、海洋プレートが運んできた陸地が大陸にぶつかったそうです。その後、大陸の端が大きく横ずれして巨大な断層ができたと考えられています。

日本列島は、中央構造線の一部を含んだ形で、2500万年くらい前に大陸から離れはじめました。海底にできた裂け目が広がり、日本海ができたことで太平洋側へと押し出された形になっています。この過程でさらに断層がずれ、現在の日本列島の形ができたようです

日本の背骨:断層の地質探索

中央構造線の地質を調べる目的で、中山道(2023/07/28)を巡り中津川で、国道41号沿いの飛騨金山(2023/12/10)および焼石(2023/12/11)で下車して山川を巡りました。未だ現地を訪れていないですが、飛騨一宮の位山、長野県分杭峠についての下調べも記しておきます。

中央構造線が分ける地層と西日本の位置関係

中央構造線の北に分布している領家(変成)帯の岩石は、主に高温低圧型の広域変成岩と、花崗岩などの貫入岩(地下でゆっくり冷え固まった火成岩)から成ります。領家変成岩は、ジュラ紀付加体の岩石が、白亜紀に地下10km~15kmで高温低圧型の変成岩になり、のちに地表に露出したものです。
領家変成帯の岩石には、石英片岩、雲母片岩、黒雲母片麻岩などが含まれています。これらの岩石は、原岩であるチャート、泥岩、砂岩泥岩互層、メランジュなどが高温低圧型の広域変成を受けて形成されたものです。

中津川

岐阜県中津川市苗木を中心とする長野県木曽郡南木曽町から岐阜県恵那市北部にかけての一帯は、「苗木ー上松花崗岩」と呼ばれる花崗岩の分布域です。日本の古来より水晶鉱があり、鉱石採集スポットなど分布しています(個人的に勤めている「宝石さがし」のアトラクションはストーンミュージアム 博石館の運営によるものです)。

飛騨金山

飛騨金山の地名の由来は、昔この地で金が採鉱されたことによるとされています(金山町誌)。「延喜式」にすでに「金山河渡子」が記載されており、木曽川の支流である飛騨川がその支流郡上川と合流する箇所に、金山湊(かなやまみなと)が存在していました
マグマが温める熱水の中にケイ素と金の粒子が含まれおり、それらが冷えて固まった石英にもっとも多く金が含まれます。このような過程で固まった火成岩が流紋岩と花崗岩であり、領家(変成)帯にはこのような火成岩金鉱脈ができる可能性があります。
金(きん)山については廃鉱になっているようで、今回の訪問では現地で金山に係る遺跡は確認できませんでした。

八坂湖畔の紅葉

飛騨一宮位山

位山には古代の文字や図形が刻まれたペテログラフが存在します。これらは5000年前の岩に刻まれたもので、ピラミッドストーンや岩刻文字模様が点在しています。位山は飛騨一宮水無神社のご神体と言われ、頂上付近にある「天の岩戸」は、飛騨一宮水無神社の奥宮と言われています。
位山の山中には数々の巨石群があり、その中にはペテログラフが刻まれたものが含まれています。これらの巨石群やペテログラフは、古代の人々の信仰や生活を垣間見ることができる遺産と見受けられます。

長野県分杭峠

分杭峠は、長野県伊那市と下伊那郡大鹿村の境界に位置する標高1,424mの峠で、中央構造線とフッサマグナの重なる地点にあります。フッサマグナは、日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目となる地帯です。この地域は数百万年前までは海であり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物が隆起し、現在のような陸地になったとされています。
分杭峠は、中央構造線とフッサマグナの交差点に位置しており、地質上、複雑な構造を持っています。この地域は地質的に脆く、峠付近の道路は頻繁に崩落を繰り返しています。分杭峠は、中央構造線とフッサマグナの交差点に位置しており、その地質的特性からパワースポットともされています。

質問の答えです!

冒頭画像中で、橙(おそらく植木鉢)色をした陶器破片だけが人工物、他は自然物となります。ということで正解は下段一番右側の陶器破片(波に揉まれて丸くなったもの)で、陶器が作られた時期が古くても近代以降と見られることから、縄文時代には手に入らない拾得物ということになります。

人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……