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自然神との対話の足跡⑫

自然神の導きにしたがって

最初(2023年7月20日)に三嶋大社から強い引力を受けたので、自然神の意思を確認しに散策しました。静岡県三島市は何百回と通り過ぎてはいても街に足を下ろす機会がなかったところですが、この夏最後に道草を喰う場所がその名前の由来になった三嶋大社になりました。
伊豆国の一宮である三嶋大社のご祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の二柱と記されています。

三嶋大社の祭神および由緒について:現地掲示内容

三嶋大社の祭神に関しては、大山祇命祭神説および事代主神祭神説が存在します。江戸時代までの祭神は大山祇命とされていましたが、幕末に事代主神説が平田篤胤など国学者の支持を得たため、明治6年(1873年)に事代主神に一度改められました。その後大正期に入って大山祇命説が再浮上し、二柱説が昭和27年(1952年)に制定されて現在に至っています。
奈良・平安時代の古書の記録、および現地の溶岩流跡や湧き水を中心にした史跡の構造からして、明示はされていなくても、古来から三嶋大社は富士山・伊豆諸島の自然神をお祀りしていると考えるのが妥当と個人的に直感します。

溶岩流跡を縫って流れる湧き水:富士山方向から大社に通じる街並み

噴火の盛んな富士・伊豆火山帯に在って原始的な造島神・航海神として祀られたのが三嶋大社の始まりと考えます。そして「みしま」という地名から、後世に他地域の神に結ばれたと推測します。第一印象ですが個人的には湘南と共通する軽いノリの文化を感じます。

伊豆三嶋と伊予三島と私の縁起

伊豆の三嶋大社も伊予の大山祇神社も祭神を三島(嶋)大明神としています。両社の三島大明神は同一視される傾向にあり、過去に三嶋大社は730年に伊予国から勧請したと伝えていました。また、伊豆の加畑賀茂神社・伊豆町二条の三嶋神社にも、伊予から来た三島神が上陸した地とのいわれがあります。
三嶋大社が大山祇神・事代主神二神同座としたこと受けて、一部の三島神社も事代主神単独、または事代主神を併せて祭っています。大山祇神社も中世には大山祇神社とあまり呼ばれなかったため、主祭神をえびすや事代主神とした資料も残されています(例えば三嶋大社の主祭神、事代主神説の根拠となった『二十二社本縁』では、伊予の大山祇神社の主祭神を事代主神としています)。
三島(嶋)大明神を祀る神社は全国的に400社前後存在しており、愛媛県に全体の3割近い111社、静岡県に1割近い36社が集中していますが、北海道から鹿児島県まで40都道府県以上に広がって分布しています。
私事ですが、甥(妹の子)の婚礼で眉山の麓を散策した際に三島神社(徳島市西大工町5丁目11にて8月10に撮った写真、大山祇神社より勧請)を発見したこと、さらに経緯を辿れば、妹の婚礼が義弟の出身地伊予三島の三島神社神殿で執り行われ参列したことなど、三島神社の存在がこの一ヶ月ずっと気になっていました。

三島(みしま)に関わる古来の動き

三島村上水軍(さんとうむらかみすいぐん)は、大山祇神社を守護神として崇敬された、中世に軍事上・交易上大きな役割を果たした水軍でした。瀬戸内海の大三島の東岸の沖合いには、水軍の出城跡があります。天智天皇の頃、唐の侵攻に備えて造られた日本最古の水軍城と伝えられています。
さらに古来の縄文の時代に、阿波・讃岐に住む忌部氏が海人族の助けを借りて海路黒潮に乗り伊豆神津島、房総半島などに上陸し物品(辰砂、黒曜石など)の交易ならびに麻・榖の種を播殖して産業を広められたことが確認されています。

日蓮宗祖生誕の地に忌部氏が興した安房神社の歴史:石川修道氏資料より転載

記紀に記されているとおり日本には四国に阿波国、房州に安房国がありますが、この2つの他にも忌部氏が進出して地域振興に関わった場所が日本各地にあります。このように忌部氏は海人族の海上交通・交易網を活用して産業振興の全国展開を図りました。
さらに時代を遡る旧石器時代より、各地の海人族は海上交通・交易網を開拓・活用しており、北海道・東北を含む日本全国地域だけでなく、世界規模に展開していたこともわかっています。黒曜石、翡翠、辰砂、漆塗り産品などの世界的流通が各地遺跡において確認されています。

三島は御島、三嶋は御㠀である

三島(嶋)という2つの地域の由来から、日本語本来の意味に立ち戻って記しておきます。
伊予三島は大三島という島が古来より御島(みしま)と呼ばれ、大山祇神社が鎮座する神の島であったことが起源と考えます。大三島は樹齢3000年を越える天然記念物の楠が生い茂り、魚類を採ることを長らく禁忌とされていたことから豊富な漁場が保護されてきた天然魚介類の宝庫です。
火山噴火が山や島を生むことを自らの目で確かめてきた伊豆三嶋の先住民は、当然に自然神として御嶋(みしま)を崇めたものと考えます。日本語としては島、嶋、㠀はすべて「しま」と読まれますが、三嶋は「噴火が山や島を生む」という体験を持って御㠀の意味で山を崇めたものと推察します。
伊予三島が山と海が静的に並んだ自然神を見ているのに対し、活きる火山を目の当たりにしている伊豆三嶋の自然神とは見方が異なっていると体感しています。

人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……