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自然神との対話の足跡⑬

天文学の知見活用の可能性

昨日、満月(2023年8月30日、スーパームーン)を眺めながら、地球と太陽と月の位置関係を過去に遡って確認することで人類の歴史を説明する一つのエビデンスとなると気付いたことで今ワクワクしています。実際に天文学の知見が既に活用されているようです。

天の磐戸日食について

記紀にある天照大御神が天石窟(あまのいわや)に身を隠す記事は、皆既日食体験が伝承として残ったものとの考察があります。これによると、磐戸籠り寸前に、スサノヲの代表する勢力と天照大御神が代表する勢力が戦っていたところ、皆既日食により戦争が中断され、スサノヲが戦争継続をあきらめて自国に帰ったと解釈されています。
神武即位は紀元前660年のこととされ、天照大御神はより前の伝承とされているものです。日食との関係で具体的な年代の特定ができれば、神武即位年に関する見方などに対する補足的な示唆を提供できるかもしれません。

卑弥呼の命運に関して

卑弥呼の死亡年について、中国の史書「北史」に「正始年間 (240~249年) 卑弥呼死亡」という記録があります。さらに「魏志倭人伝」の前後の記述と照らし合わせて、今では242年~248年と言われています。
卑弥呼は247年か248年に死亡したとする説が有力ですが、この2年に連続して皆既日食があった事実が卑弥呼の死亡を決定付ける原因になったという考察がされているようです。

247年の皆既日食のようす
248年の皆既日食のようす

古来より日食を予測するのにサロス周期が用いられましたが、二年続けて日食が起った事実が卑弥呼の指導力に関わる大事となった可能性があるかもしれません。

月の大きさ、満ち欠け、月食について

月の楕円軌道が満月の大きさを決める

月は楕円運動(離心率:0.0594)をしているので、同じ満月でも地球と月との距離が異なり、見かけの大きさが違ってきます。楕円運動の際の地球と月の距離の変化はおよそ356,000~407,000kmとなっています。大きさは距離の逆数で決まるため14%、明るさは距離の二乗の逆数で決まるため30%の違いがあります。月が地球に近づいている状態の満月(あるいは新月)はスーパームーンと呼ばれています。

月の満ち欠け周期と月の公転周期は異なる

満月は月の公転により月が太陽と地球の外側に来て直線上に並ぶために起こります。ところで、月の公転の周期と月の満ち欠けの周期は同じと認識していたのですが、月が公転する間に地球は太陽の周りを運動しており、月はその分だけ余計(角度にして360×29.5/365.25だけ余計)に公転しないと満ち欠けを完成できません。

地球が公転しているため月の公転周期と満ち欠けの周期は異なる

このため、月の満ち欠けの周期は約29.5日、月の公転周期は約27.3日となります。月面が常に同じ向きになる同期状態が維持されているのも神秘的です(実際には月は地球から1年に3.8cm遠ざかっています)。

公転面の傾きが月食(日食)を決める

月食(日食)は、地球、太陽、月の位置関係によって起こります。日食は、月が地球と太陽の間を通過し、太陽を覆い隠すことによって起こります。このとき、地球上の一部の地域では、太陽が完全に隠れる皆既日食や部分的に隠れる部分日食が観察されます。
月食は、地球が太陽と月の間を通過し、月が地球の影に入ることによって起こります。このとき、地球上の一部の地域では、月が完全に隠れる皆既月食や部分的に隠れる部分月食が観察されます。
月の公転面と地球の公転面(黄道)とは、約5.145°傾いています。この傾きにより、月は通常、太陽の上か下を通過します。しかし、月が地球の公転面と交差する点(昇交点または降交点)を通過するとき、日食または月食が起こります。

古代遺跡の暦と日食・月食の予測について

これまで示した科学的知見のなかった古代において、既に精度の高い暦が農業や宗教儀式などの重要な活動を計画するために使用されていました。
古代人は、天文学の知識を用いて日食と月食を予測し、暦を作成していました。彼らは、太陽、月、惑星の運行を観察し、その規則性を記録しました。これらの観察に基づいて、彼らは天文学的な計算法を発展させ、日食と月食の予測が可能になりました。
例えば、紀元前3200年頃造られたニューグレンジ遺跡は、冬至の日の僅かな時間のみ日光が差し込む構造になっており、月の満ち欠けと天空上の運行の様子が石に描かれています(カバー写真参照)。

古代バビロニア人は、太陽と月の運行に関する詳細な記録を残しており、これらの記録に基づいて日食と月食を予測することができました。また、古代中国でも、天文学者たちは太陽と月の運行を観察し、日食と月食を予測することができました。
日本の縄文遺跡や環状列石などについても、天体観測や暦として利用されていたのではないかという方向から確認してみたいと思います。

人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……