せっかく心が震えたのなら

せっかく心が震えたのなら、その震えを「翻訳」した方がいい。

書かなくてもかまわない。誰かに伝えなくてもかまわない。

感情の揺れ、震えを、ことばにする(翻訳する)ことを、習慣化したほうがいい。

それは自分という人間を知ることでもあり、言葉の有限性を知ることでもあり、翻訳機としての能力を高めていく格闘でもある。


ぼくは、文章の書き方を学ぶことは、ひとえに「翻訳のしかた」を学ぶことだと思っている。

われわれはみな、自分自身の翻訳者でなければならない。

そしてライターはみな、「取材したこと」の翻訳者でなければならない。


ライターとは取材者であり、執筆とは「取材の翻訳」である。

ぼくの考えるライター像は、この一文に要約することができる。


(『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』古賀史健)