参考音源 → 自分

「どんな演奏をしたいか」というところで、
スタイルを真似て終わるとか、先例に倣うだけであるだけでなく、
そこにひと工夫して「実はやりたいこと」を臆面なく表してみるチャンスが必要なんじゃないかと最近強く思う。
たとえば、参考音源は「参考」「手本」であって、
コピーのソースではない。

それにしてもわれわれ日本人は
「スタイル」と「先例」が好きで、
そのフォームに倣っていることが安心だったりする。
そこに「その人(達)、というキャラ」が備わると「異質」の感をもち、
それが面白く感じることもあるし、
違和感(=時に嫌悪感)だったりする。

いっぱい練習したのに、
「キャラのない音楽」って通り過ぎられてしまうのは、
やっぱり悔しい。
上手く奏でる意識も必須だけど、
どう見られたいか、どう感じてもらいたいか、というメッセージも、
普段からイメージできるようになると良いのだろうな、と思う。

それと関係しているかわからないけど、
最近合奏レッスンではしきりに
「自分の音って聞こえてる?」という投げかけをしている。
「周りをよく聞いて」はたくさん言われるけど、
そのときに自分がやっている音色、所作、「自分の存在」を意識しないと、
素直な自我さえも押し殺しかねない気がする。

徹底的に真似て、そして自分のモノにする、というのは、
学習段階ではもちろん必要。演奏も、創作も。
けどその学習過程の中で
「(…実はこれよりも、こっちにしたいなぁ)」
というひそかな野望を抱くことって、
私は悪くないと思います。

(2015.4.15)

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