吹奏楽のための風之舞(2003)

2003年第16回朝日作曲賞受賞作品
2004年全日本吹奏楽コンクール課題曲I
初演・大阪市音楽団
指揮・金洪才

楽曲のコンセプトは、「架空の歌舞伎の演目」のイメージ。勧進張、連獅子、忠臣蔵、風之舞…という具合に。

主に3つのモチーフをリズミカルに、またメロディックに展開して、絢爛かつ颯爽とした音世界へ。

もともと歌舞伎絵のイメージ映像につけるサントラ用にとメモしてあったスケッチをもとに、吹奏楽の晴れやかなサウンドのパレットで、どう元禄文化のモダンを示すかを試した。

歌舞伎の化粧と、人間模様の明解なストーリー展開に伺えるように、あのド派手な色彩感とこってりした情感はまさにエンタメだ。

それを最も的確にあらわせているのは何かと探していたら、当然、時代劇に行き着いた。

時代劇のサントラを聞いてみると、意外にジャズやラテン、時にロックまで登場している。
その快活なサウンド感は、日本を示すひとつの方法と釈然として、風之舞では、ラテンのリズムをそのまま活用することにした。

ひとつは、ピアソラが究めたタンゴ、そしてスロールンバを中間部に。実はオーケストレーションもビッグバンドの手法を借りている。

また、この作品で特徴的なのは、日本を舞台にした音楽であるが、いわゆる和の旋法を用いず、モード的なスケールとジャズハーモニーを活用したこと。
そしてサプライズ的な音楽の展開も多くありながら、息の長い音のサスペンションも。
これらは、その後の自作品の書法でたくさん活用している。

タイトルの「風之舞」は、「風ニ舞フ」の意味を含み、英題の「Dancing in the wind」となる。
この題を決定するにあたり、高校時代の恩師である担任(英語科)の土居俊夫先生にご協力を頂いた。

諸外国では風之舞は「Your work Dancing in the wind...」と言われ、KAZENOMAI は馴染んでいない。
ネットで検索すると諸外国のチームによる演奏が聞けるのも嬉しい限りである。

■風之舞を作った理由

20代のほとんどの時間、打ち込みやDAW環境を駆使したサントラの製作に従事していて、自分の音世界を自分の手で作り込む、編み上げることは長けていた。

同時に近隣中学校の吹奏楽部に指導員として恩師に雇ってくださり、長く指揮指導、作編曲の実践をさせて頂いた。
コンクールに出ないチームばかりを見ていたこともあり、当時の吹奏楽事情はよく知らなかったのが本当のところ。

風之舞は、打ち込みサントラもいいけど、「やっぱり吹奏楽の、ナマの音楽を世の中に出したい!」という一念発起で、作り上げた思いがある。

日本を題材にしたトラックをたくさん作り、音楽的にも自分なりのシステムを確立できた頃で、それが別の分野でとれだけ通用するのかを問いたかった。

もっと言えば、実はそれまでにも公募は何度も出していて、何度も1次落選してきた。

1999年にはKAGURA for Bandで下谷賞佳作受賞、2000年の第3回響宴で初演。

勢いつけて、20代のうちに、1曲でよいから入選し、課題曲となることが出来たら嬉しいと考えていた。

…なかなか芳しい結果が出ない。

仕事の仕方も変えてみて、これで風之舞がダメなら、もう吹奏楽の譜面を作ることは諦めようともぼんやり考えていた。

■受賞まで

2003年4月末、第1次審査通過。
心が高鳴った。
しかし、朝日作曲賞の第1回受賞作品は、自分が高校1年の時に課題曲となっていた「斜影の遺跡」(河出智希)。2002年の朝日作曲賞は名曲「ウィナーズ」。
これらと肩を並ぶ訳はないだろうけど、入選くらいになれば良いから!と、推敲を重ねた。

6月の本選。
つい2ヶ月前に高校の修学旅行以来11年ぶりに観光で遊びに行った、大阪城公園を再訪。
どんな結末が待っているのかは全く見当がつかないので、腹を括って公園内を歩き、市音の練習へ。

…その途中、茂みがガサガサッと音を立てた。
ネコ?鳥?

いや、ヘビだ。

しかも、なんで?
金色。シマヘビの鱗が金色。

まさか都会の真ん中でヘビに出くわすとは思わず驚き、また練習場へ。

けど、え、金のヘビ…???

本選前のリハーサルは作曲者全員立ち会い。
その面々に、朴守賢、足立正、坂田雅弘の各氏も居た。
朴氏はこの時いちばんに意気投合した同志。

たった15分のリハーサルで修正やリクエストをするから、気が張りつめる。
しかし市音の演奏の品質に感激しながら、希望を伝えることが出来た。

演奏順は作曲者のくじ引きで、風之舞は1番になった。
演奏順1番って、どうなんだろう。

わからない。

もう、天に委せる心持ち。
演奏は実に素敵で、もうこれで良い。
ひとつ成果は出せた。

すべて終わって、会場をあとにして、帰り際に京都を少し歩こうと、新快速に乗り込んだ。
意外に混んでいて、あのスピードをずっと立って乗っていた。

高槻に入る頃に、携帯が鳴った。

連盟からだ。

「…朝日作曲賞です」

…猛スピードの新快速でニヤニヤして立ちながら

「…ありがとうございます(^^)」

京都に着いてから家族に「旅費が20倍になって戻ってくるよ笑」と報告。

■課題曲

9月に市音で録音。
11月に家から近所の普門館で表彰。
翌2004年にリリース。

尚美と洗足の課題曲クリニックに招かれレクチャー。
各地の演奏会や課題曲レッスンへの招聘。

…こんなに忙しくなるものなのかと意外に思いながらも、このチャンスは逃しちゃいけない。

たくさんの人に会って、どのように自作を演奏してもらえるのか、どう思われているのか、リサーチする機会だった。
気づけば実にたくさんのチームに演奏して頂き、またたくさんの人に出会い、この時以来の友人も増えて、夏のシーズンは駆け抜けるように過ぎた。

予想以上の充実。

と、気づけば、テレビの中で風之舞が流れてきた。
ヨドコウ(大阪府立淀川工科高等学校)の吹奏楽部を、日本テレビの「笑ってこらえて」が密着取材している。
夏の大会で一生懸命取り組んでいるのが、風之舞だと紹介された。

丸谷先生とその愉快なヨドコウの仲間たちは、やはり目をひく存在感だ。
なんと全国大会まで取材が続いていくという。
この人達が近所の普門館に来る。

10月、高校の部大トリにヨドコウの演奏。
会場中が張りつめた緊張と期待の中、圧倒的に華やかな風之舞がバシっと決まり、以来名実ともに伝説的な名演となった。
もちろんメディアに取り上げられたことも大きいが、たくさんの風之舞の録音を聞き比べても、これほど威勢よく華やぎ、またワクワクさせてくれる演奏はない。

■課題曲の後

2009年には題名のない音楽会で、視聴者が選ぶ好きな吹奏楽曲ベスト10の4位となり、佐渡裕氏指揮・シエナWOの演奏でまたもテレビに登場。

気づけば日本テレビの「鉄腕DASH」でもBGMになっている。

2016年4月の東京佼成WO「吹奏楽大作戦」の指揮者レッスン課題曲として取り上げて頂けることになった。

数々の場面で、もはや自分の知らないところでユニークな発展を遂げている。

それよりももっと嬉しいことが。

風之舞を学生当時に課題曲として経験した方々がちょうど新米の教師になっている。

「この曲には自分の吹奏楽の初心が詰まってるし、魅力もいちばん感じている。だから、私が教師になって吹奏楽部を受け持つことになったら、風之舞を今度は私が教えたいんです」
と、コンサートやコンクールでひとつの作品として取り上げてくださる方がいらっしゃる。
その演奏を聴いて、また後輩たちが「またあの曲やってみたい」と言ってくれる。

吹奏楽の作品を公表できるようにしたいと一念発起してから、10年経ってたくさんの方々に演奏して頂いて、作品が育くまれたと感じている。意外な展開であったが、まさに人生が拓かれた作品である。

(2016.3)

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