母の死に向き合う

40歳を迎えてからというもの、
自分を生きるとはどういうことかと考えることが多い。
いまその時を生きる糧は「熱意」と「憩」か。
明日へ生き続ける糧は「欲」と「約束」か。
これらは大小に不足することもあるけど、
それは生きる中の「ひと休み」かも。
喜怒哀楽は生きてる証拠。

--------

死にゆく人は強いと痛烈に感じた昨夜。
敬愛するあなたに、本当にありがとう。

--------

先週に逝去した私の実母の葬儀が昨日今日、滞りなく終了。
初夏の晴れの中、お骨になった母の姿を見て、
悲しみではなく安堵の心。
家族の近くにお骨は居るけど、魂はすでに旅路の途中。
いまごろどこを歩いているのだろう。
きっと良い旅路なんだろうと思う。

--------

母に最後に一緒に聞いてもらった自作は、
響宴での「海の歌」(2013)。
"海=Mother" の意味もあり、
私の娘が産まれる頃(母の日くらい)に創作。
棺に唯一入れたのはこの曲のスコア。
感謝と敬愛を込めて。

--------

母が、父と私の手をキッと握りながら旅立った時の神秘的な感触は、
本当に貴重な体験。
誰にも自分にはわからない天命がある。
その、あの一瞬まで、一生懸命、丁寧に生きたいと思う。
そのために、手元にあることから、ひとつずつ。

(2015.6.2)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?