真理に気付きました。

またひとつ、真理に気付いてしまったので記します。

多分昔の偉い人が何かちゃんとしたタイトルを付けて既に言っていることでしょう。ただそこに私が今自力で辿り着いただけなのですが…。

それはごく、当たり前のことに思われるかも知れませんし、私も当たり前のことと思っていましたので、この決定的な違いを感覚で理解して頂けるかどうかはフィフティー・フィフティーであろうと覚悟しています。

それでは。

人は頭の中で常に何かを喋っています。

その言葉を、口に出すことと出さないことの違いについてです。

人が頭の中で考えていること、喋っている言葉は、その人という容れ物の中にある時点ではとても曖昧なものです。存在していて、していないようなものです。

それを、その人の外に出したときに、それは初めて、この世に存在するもの、事実になる、という考えです。

※現実になるという意味ではありません。

人が言葉を、喋ったり、書いたりすると、その言葉は初めて物理に乗ってこの世に出力されます。

誰かがそれを聞いたり、見たりすることも可能になります。

この、物理に乗せているか乗せてないかということを私はとても重大な違いだと感じました。

その言葉を音や物質で出力したとき、それはこの世に起こった出来事になるわけです。
音と物質によって紛れもなく存在するのです。

それがまだ人の中にある時点では、意識という、まだ実体のよくわかっていないものです。科学的には電気信号ではあるかもしれませんが、やはり曖昧で、記録のしようがありません。

言いたいことはほぼほぼこれだけなのですが、続けさせて頂きます。
ここからは同じことを何度も言い換えるだけです。

その言葉は、出発せず、ずっとゲートの中にいて、閉じられた場所でぐるぐるとさまよっています。

人の中には、さまよわせておきたいもの、出発させたいものがあります。

出発させた場合、それは確定し、まずその場に放たれます。独り言や日記のように放たれたままのものは、確定・存在したままで終わり、誰かが見聞きしたものはまた新たな意味を持ち始めます。

さまよわせておきたいものも、たまに出発してしまうことがあります。

自分の中でまだ定まらない思いを友達に話してるうちに解決した、または鬱憤を晴らしに愚痴を言っていたら止まらなくなって思いがけない言葉まで飛び出してしまった、という経験は誰にもあると思います。

自分でも自分がこんなこと思っているなんて気付かなかった、と。
それが言葉の出力が持っている、確定の力で、まだ中にあったときは曖昧だったものが出力したときに、それは事実として存在してしまう。

そして、人は、絶対に口に出さない言葉を皆持っていると思います。きっと死ぬまで口に出さないであろう、でも頭の中にはある、という言葉。

出すか出さないかのグレーゾーンな言葉もあれば、ふと口に出してしまうレベルの言葉もあるでしょう。

認めたくない感情、コンプレックス、悪い考え。自分の内部を掘り下げると、思ってもいない忌々しい言葉が出てきたりするかもしれません。のちに殺人鬼になるリスクを孕んだ思考もあるかもしれません。

しかしそれを墓場まで持っていくことだってできます、うやむやにしたまま。
ただそれを出力したとき、その言葉は意味を持ちます。
それは小さな鬼を生み出すかもしれませんし、はたまた何かの解決になるかもしれません。

さらに人が聞く、見る、などすればそれは何らかの出来事の連鎖に繋がるかもしれません。

または初めて他者に届けたことで持つ意味が変わりとてもスッキリして一皮むけるかもしれません。

今まで絶対に言わなかった言葉がお酒を飲んだら口から出てしまいYahoo!トピックスになるかもしれません。

そんな作用を考えたり考えなかったりで、人は毎日、言うことを選択したり選択しなかったりしているわけですね。

その言葉を言ったら自分がどうなるか、他人がどうなるかなど深く考える尺は人との会話のテンポにありませんが、その言葉で誰かが救われたり、はたまた殺人に繋がったりする…。みんな自分の内面を発信して、物理に乗せて、誰かに届けて、それがいろんな作用を生んでこの世界は成立している。言葉を外に出すことには、そんな大きな力があるのでした。

道を歩いている人々は、ただの人ではありません。
膨大な思考の容れ物が行き交っているのです。
その容れ物のさらに中にある固い鍵のかかった小箱に入った、まだ世に生まれていない、おそろしい思考なども運んでいるかもしれませんよ…。

最後はストーリーテラーみたいに言ってみました。


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