イタリアでのオリエンテーリングの記録🗺️
オリエンティア Advent Calendar 2024 9日目
こんにちは
12月になりましたね。🎄
アドベントカレンダーが始まると、年末だ!また1年経ったのだという気がします!
Advent Calendar2024の9日目を担当させていただきます。福田有紗です。
これまでの名作の数々は私のスマホの中にコレクション化されています。こちらで執筆させていただけることを光栄に思いながら、読んでいただいた方に少しでも楽しんでもらえたらと思います。
「イタリアでのオリエンテーリング」という題の通りイタリアで経験したオリエンテーリングに関する話であり、私のレアなオリエンテーリングとの出会いに関する話です。
笑顔になっていただけたら幸いです。
自己紹介
まずは、簡単に自己紹介をさせていただきます。
私は、東大OLKの43期にあたる2020年度入学で、今年の7月に大学を卒業して、今年度は東大OLKで東大のオフィシャルをさせていただいております。
お世話になっている地域クラブは関東ESクラブです。
好きな地形は、鞍部と、赤城の地図内最北端の尾根です。その尾根上で食べたおにぎり🍙の味はきっとずっと忘れないでしょう。
私にとって最も感動した大会は2021年のインカレロングですが、最も感動したテレインはイタリアの星形要塞です。そして、2番目は2024年に参加したCansiglioの真っ白テレインです。
さて、2024年に大学を卒業した私ですが、私は大学内の唯一のオリエンティアで、学内にサークル・部活を存在させずに、約4年間OLKのマイナーという、大学所属が小数の人の集まりで活動していました。そのため、大学で勧誘されたわけでもなくどうしてオリエンをやっているの?と聞かれることが時々あります。2世などでは全くなく、このようにして出会いました!
こんな文化の地元クラブもあるのか!と是非驚いてください。
大学入学前に経験したイタリアのオリエンテーリング文化との出会い
1.オリエンテーリングとの出会い
初めてオリエンテーリングに出会ったのは高校生の時でした。私は高校生の時にイタリアにいて、その時のイタリア人の物理の先生に誘われて参加したのが初めてのオリエンテーリングです。
実はこのオリエンテーリングとの出会い方はレジェンド杉山さんのそれと類似しているということは、私が密かに大変光栄に思っていることです。
学内のメールで参加者募集があり、先生も知っている人だったので行かない?と言われて二つ返事で返事しました。それが3月のまだ寒い日曜日でした。
海外でオリエンテーリングをするというと、さぞレベルが高くて豪華なのではないかと思われるかもしれませんが、JWOCやO-Ringenのような大会でなければ、日本の草練習会と変わらないものがしょっちゅう行われています。
レベル分けも大きな大会であれば年齢ごと、男女別ですが、練習会規模の小さなものであれば、白、黄、赤、黒の4段階か、これにもう一色加わった5段階でのレベル分けです。⚪️白がAレベル、🟡黄色がBレベル、🔴赤と⚫️ 黒がE?難しいレベルといった感じです。老若男女問わず参加していて、犬が一緒に走っていることも、赤ちゃんが背中でしょわれて走っていることも珍しくなかったので、オリエンテーリングとはそういうものなのだと思っていました。私はというと小学生中学年くらいの子にライバル視されて競争していました。
私は白コースか黄色コースに参加していましたが、このあたりのクラスでは地図上にデフ記号の意味などを書いてくれています。
しかし、当然イタリア語で書かれていて、それが重要なものだとも分からない私にはちんぷんかんぷん。幸い酷い薮も立禁も基本的になかったため、耕作地もピークも関係なく駆け回っていました。(耕作地は立禁ではなく牧草のロールにポストがついているなんてこともありました。)
2.大会の経験
最初に参加したのは小規模な大会のミドル。何をするのか全く見当もつかないまま水筒とパニーニ(チーズとハムが挟まったイタリアのサンドイッチ)をリュックに入れて、強く勧められた長袖長ズボンでバンに乗り込み参加しました。🚐
この時の大会では初心者向けのコースが用意されていたため、それを走ったのですが、なんと、ミドルなのに距離2km、アップ0mだったんです。他の大会でも、距離3.2km、アップ0mなど。確かに、スタートが少し高い場所で、非常に緩やかなダウンヒルでしたが、日本ではありえないアップ。まさかのアップ0%。これはなかなか、ミドルと認められるのか意見が分かれそうですね。
さて、初めてのオリエンがそれなりに楽しかったため、2回目の挑戦を行うことに。それが、もうとっくに暖かくなった次の9月のことです。
Gropadaというスロベニアとの国境ぎりぎりの町で行われたスプリントだったのですがこれが非常に楽しかった。
ここで初めて土に汚れないオリエンテーリングを知り、さらにかなり古風で古いイタリア映画のような街並みに魅了され、オリエンテーリングという名の観光を楽しみました。
現ロスしすぎて国境越えちゃったなんてことあるんですかね。日本では絶対にありえないですけれども、気軽に他の国の人が大会に参加できるのは陸続きの国のいいところですよね。
そんなこんなで町中で行う種目が好きになった私は時々オリエンテーリングという旅に参加していきました。
そして、11月日本でも絶好のオリエンシーズンですが、この時に参加した最高のイベントがPalmanovaという町で行われたイベントです。
凄くないですか!!!!
このNERO Fというのは女性用の黒コースという意味なので難易度は高いとされています。
住宅地部分は単純なものですが、要塞部分が全く見たことないような、今でも解読が難しい地図。他では見たことのないテレイン!!
世界遺産の町に行くよということで、オリエンよりも観光目的で参加したこの大会。キャノピーが読めなかった当時の私はこの地図に大苦戦して全く分からないまま他の人について行ってコースを回りましたがそれでも非常に楽しかった。今思えばなんて勿体ないことをしているんだと思いますが、何も分からないからこそ今のスプリントでは味わえない周りをじっくり見まわす時間があったので、地図を見ながら動いて沢山の感動を味わいました。
16世紀末、ナポレオン帝国崩壊時に誕生したとされる星型要塞を含むコースであり、この要塞を超える部分がなんとも刺激的でした。
また行きたい、、、
上の写真では真っ白の部分に、大会時にはゴールアーチとテントが張られていました。そして、なんと、テントの中では、ビールサービス!レースを終えた大人たちがビールを片手にスナックと、地図というつまみと共に談笑していました。
それがイタリアの楽しみ方!?JWOCでもリンゴをくれたりしましたが、大会ではよくお菓子や飲み物を配ってくれることがあって、レース後も楽しい時間を過ごせる空間でした。
3.当時使用していた道具
簡単に、イタリアのオリエンティアってどういう道具を使っているの?という話です。イタリア人全員が、という訳ではありません。どちらかというと日本でオリエンテーリングをしてびっくりした違いです。
・コンパス🧭
コンパスに関してはサムコンが主流でした。プレコンがないわけではないと思うのですが、日本でオリエンテーリングをするまでプレコンを見たことが無くて、私は、右か左のサムコンを気分で使用していました。
周りの人たちも基本的にサムコン使用でした
・SI
パンチをするのはSIでした!SIACではないSIです。これは恐らくイタリア全域ではないかと思うのですが、Eカードというものを見たことはなくて、フォレストでも、スプリントでもSIを使用していました。基本的にSIを1人1つ持っているのが基本で、私は前述の物理の先生に毎回貸してもらっていました。
・デフケース
これが日本で最もびっくりしたことなのですが、当時デフというものは透明テープで腕に貼るものだと教えられていました。
一般的にスタリやプログラムを貼っているところにデフとテープがあり、自分で対象のデフととって腕にテープで貼り付けるというのが一般的でした。
これは2024年に大きな大会に出た時も、スタート地区の役員にテープを貼る担当の人がいて、デフ貼る?って聞かれたので、デフを配るタイミングは様々でも、腕に貼るということは広く共通なのではないかと思います。
日本ではデフケースが一般的で、デフケースを持たない新入生はデフを見ないという状況なので、腕に貼るのはかなりありなのではないかなと実はずっと思っています。
・ラップセンター
ラップセンターなんて素敵なものを知らなくて、代わりに、毎レースで計セン貰えるレシートを見て、結果を確認していました。ポスト番号や経過時間、さらには巡行と順位が載っているレシートなので、これを見て反省もどきをしていました。
さらに、終盤になると、順位は紙で貼りだされていました。
4.イタリアのオリエンティアファミリー
イタリア話の最後に、オリエンティアファミリーについてです。
今となっては普通の、食事しながら地図を読むこともティア共通のようです!私の冬のホストファミリーは、オリエン家族でした。
1つ上の成績の写真がある大会を運営してくれていたPunto K ORという地域クラブに入っているようでした。
オリエンテーリングが分かる子が良いというファミリーの要望であてがわれたため、家族でオリエンに週末に行くという、私からすると贅沢な習慣に混ぜてもらうことが出来ました。その家族はイタリア北東部の地元のオリエンテーリングクラブに参加していて、私が参加していたようなイタリア北東部の大会は勿論、隣国スロベニアでのオリエンテーリング遠征にもしょっちゅう行っていました。当時は分からなかったのですが、非常に羨ましい!
小学生の息子さんと私のレベルが同じような感じなので、よく競争しながら、片言のイタリア語でおしゃべりをして楽しませてもらっていました。
夕食時に、羊ミルクのチーズを食べながら、拙い語学力でオリエンの話をしたのは良い思い出です。この時のチーズ🧀は今まで食べたチーズの中で最も感動したものです。
「オリエンティア」になった理由
これまでご紹介したようにイタリアでオリエンテーリングに関わっていたわけですが、当時の私は競技としてのオリエンテーリングは全く理解が出来ないまま、「観光ついでに地図を持っている人」でした。
イタリアの田舎町という異世界をただで楽しめるという状況を楽しんでいただけで、教えてもらっていない為に意味が分からない地図を読んでコースを回ることは、あまり好きではありませんでした。
そんな私が「オリエンティア」になれた理由を少しだけ語らせてもらいます。
オリエンテーリングに関しては、イタリアで何度かもうこれで最後かなと思いながら行っていました。
しかし、日本の大学に進学することにして、日本に帰って来た時、時は2020年のコロナ禍で、大学では、サークルや部活の活動、そして登校が制限されていました。
そんなに知り合いもいなくて、暇で、でも体を動かしたかった時、ふとオリエンテーリングのことを思い出しました。
日本でオリエンテーリングって出来るのだろうか?大学生のサークルとか部活ってあるのだろうかと疑問に思った私は、「東京 大学 オリエンテーリング サークル」と思い付いた言葉を並べて検索しました。すると、なんと、OLKのホームページがヒットしたのです!!
それが2020年の8月か9月のことでした。
当時の新歓代表のK笠さんにメールして、新歓に呼んでもらい、N瀬さんの一声で、その年のインカレロングに参加することが決定。
これが日本で初めて参加した大会となりました。
この時のインカレ、まずWFに出場した私は、イタリアにいた時のように、片手に地図を持っているものの、対して読まずに突っ走り、意味の分からないところに突っ込んで、Fでは行かないAクラスのゾーンに侵入。ラフオープンを切っていく選手を見ながら、へーこんな感じなんだーと観察して楽しんでいました。
川をどうやって渡ったらいいのか分からず、地図上に黒い線が書いてある、川の石崖(堰堤)を前に、これはどうやって渡ったらいいのだろうかとたたずんでいました。
その時まではまだ「オリエンテーリング観光客」
その気持ちが変わったのが、選手権の応援をした時です。
初めてスポーツとしての「オリエンテーリング」に魅了され、走っているかっこいい先輩方に憧れ、競技としてオリエンテーリングに向き合い始めました。
その時のOLKの入賞者たちが全員「JWOCer」であると知り、「JWOCer」になることが出来れば、イタリアのようなヨーロッパでまたオリエンテーリングをすることが出来ると知りました。
オリエンティアとしての最初の目標はJOWCに出場すること。海外のテレインで、競技として向き合う自分で、オリエンテーリングをすることとなりました。
加えて、後輩の平田が4日目に書いてくれたようなOLKの会報文化のお陰でオリエンにすっかりはまり、無事に学生ティアとして、「オリエンティア」になることが出来ました。
最後に
学生ティアとなってから、ずっと思い描いていた夢が、「オリエンテーリング」を競技として理解した今、改めてイタリアのオリエン文化に触れるということでした。つまり、イタリアのオリエンの大会に出場することを切望していました。
そして、それが叶ったのが2024年の夏。
OLKの先輩方と大先輩方のおかげで、イタリアの素晴らしいテレインで、イタリアのオリエン文化を再確認しながら、競技的にオリエンテーリングを楽しむことが出来ました。
ということで、日本では出会うことのできない要素を含んだオリエンテーリングが楽しめて、食事はまず問題ないイタリアはオリエン遠征には最適です!
そう簡単に出来るものではないですが、イタリア大好き人間としては、観光名所に事欠かず、北部であれば治安はあまり問題ではなく、電車は遅れるけれども、公共交通機関も割と発達していて、基本的におばあちゃん、おじいちゃんが優しいイタリアはとってもおすすめです!!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
折角の機会ですから、シェアしたいことが沢山ありました。
イタリアでのオリエンテーリングの経験において最も後悔していることは、地図を持って帰ってこなかったこと、地図の写真を撮らなかったこと、会場の雰囲気を写真に収めていなかったことです。
地図の貴重さを知らなかった私は、記録に残していなかったため、振り返ることも、シェアすることも出来ません。
非常に残念ですが、このようにしてオリエンテーリングというスポーツをしり、日本でその競技性の面白さを知り、素敵な人々に出会えたことを嬉しく思っています。✨