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沈没家族

出会ったタイミングや状況で、感じ方が大きく変わる映画がある。

映画「沈没家族」の存在を知った時、私は"今"出会うべき映画だと思った。

ー東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。ー
(映画「沈没家族 劇場版」公式HPより抜粋)

私には2歳の息子が居る。
昨年、夫が監督した映画「カメラを止めるな!」の想像を超えるヒットにより、私の生活は大きく形を変えた。

夫が家にいることは極端に減り、幼い息子と二人きりの生活。
息子はむちゃくちゃ可愛いが、息子の全てが私にのしかかり、大人と話す機会がない毎日は、正直しんどいと感じることもある。

"共同保育"

「沈没家族」を知った時、この言葉が私にはとても魅力的に映り、作品に興味が湧いた。
絶対に"今"観なければいけない、と感じた映画は久しぶりだった。

映画は沈没家族の中で育った加納土監督の目線で進んでいく。
その中で、共同保育を呼びかけて始めた土くんの母・穂子さん、保育人の方々、沈没家族の中で一緒に育っためぐちゃん、土くんの父であり、沈没家族の外で土くんと関係を築いていった山くん、と、大人になった土監督が様々な方に直接会い、それぞれの角度からの沈没家族を映し出していた。

映画に映る沈没家族の形を見て、私は羨ましいと思った。

子育てについて相談出来る大人がいる。
息子と一緒に遊べる子どもも大人もいる。
家事を分担出来る。
母親に自分の学びたいこと、やりたいことをする時間がある。

いいなー。

私は夫が忙しくなって、なんとなく、息子の相談をするのをやめていた。
息子の遊び相手はいつも私。
家事はほぼ全部私。
私がやりたいことをやるなんて、到底出来ない。

日々の生活でふと思うことがある。

「もう、私が映画を撮れる日は来ないのかもしれない」

怖い。

この怖さを夫は感じたことがないのかと思うと、すごく腹が立つ。
夫は夫で大変なのに。
夫には夫の、それこそ他の人には共有しきれないプレッシャーと戦っているのに。
それでもやっぱり、羨ましくて腹が立つ時がある。

沈没家族を観て、私が一番強く思ったのは、「映画が撮りたい」だった。

もう、たぶん、子育ての悩みとか、日々の中での不満とか、私の場合、結局全部そこに集約されてるんだなと思った。

上映後、加納監督が舞台挨拶をしていた。

映画の中の土くんが大人になってそこに立っている。
加納監督の心身ともに健やかそうなその姿に、謎の涙が溢れてきて、正直監督が話していたことはよく覚えていない。
けど、土くんが健やかに育った姿を見て、なんだかすごく肯定されたような気持ちになった。

上映後のロビーでは、監督がお客様とお話ししたり、サインを書いたりしていた。
私はパンフレットを買ったけど、泣いてしまいそうで、監督には話しかけられなかった。

沈没家族の形は私にとって、理想の家族の形ではないかもしれない。
けど、間違いなくヒントはあって、
夫と息子と築いていきたい家族の形がハッキリ見えた気がした。

それを証拠に、帰り道はどうやったらその形を実現出来るか、どうやって夫にプレゼンしようか。
そんなことばかりを考えていた。

映画「沈没家族」は、人によっては「へぇー」で終わるかもしれないし、穂子さんの強さが眩しくて、しんどく感じる人も居るかもしれない。

一概に「面白かった!」「良かったよ!」と人に勧めるタイプの映画ではないかもしれないけど、
私にとっては間違いなく「今、観るべき映画」だったし、「今、観て良かった映画」だった。

もし「沈没家族どうでした?」と聞かれたら、私は「揺さぶられた」と答えると思う。

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