賭博の日本史
過去のブログの再録です。これが昨日分になります。遅れてて、しかも再録で申し訳ないです(-_-;)
次回、「囲碁将棋と並ぶという目標は達成されたか?」という論考系をたぶん朝方にアップします。
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知人との会話の中で、これは読んでなかったなと思い出し注文。昨日届いて何分の一か読んだ。
この本の内容は、題名通り賭博の日本史なんだが、著者の言いたいことつーか問題設定としては、賭博観は時代によって変わるってこと。
今では、賭博=悪というイメージが強いが、それは明治以降の政策によるものであり、時代と政策によって揺れ動くと。
たとえば、江戸時代には、賭博を知らないのは野暮であり、百人のうち十人あるかないか、という文献などがある。もちろん江戸時代でも時代によって違うわけで、後半の時期には、ほとんど野放しの状態になった。それが明治時代になってからの弾圧にもつながるのだろう。
まだ歴史的な部分は読んでないんだが、日本史上、文化的なもので勝負がつくものはほとんどが賭博だった過去を持つみたい。連歌、茶などは賭博の手段だったという。
考えてみれば、いつの時代だって人間は変わらないわけで、昔の武士や貴族だって、頭の中は金とエロと権力だよな。その形式の部分が今では文化となって残っているわけ。たぶん、仏教的なやつ以外は、たいがいの文化は賭博絡みだったんじゃないのかね。
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