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オカルト理論の発明者
めちゃ運ゲーのバックギャモンは確率しかない。なぜ麻雀に限って反知性的な言説が多いのか? ほんとなぜなんだ。
— 福地 誠 (@fukuchinko) October 17, 2022
全自動卓では打ってる最中に次の山が積まれてるから、プレーの内容が配牌やツモに影響を与えるのは、1局おいて次の局からになる。
— 福地 誠 (@fukuchinko) October 17, 2022
そんな説が唱えられるようになったのは、全自動卓が発明されて30年くらい経った90年台~00年台だった。
誰かがその理屈を発明し、みんななるほどと思ったのか、その説明を使うようになった。
— 福地 誠 (@fukuchinko) October 17, 2022
オカルト言説は、単純な見た目とかわかりやすい説明に左右されるわ。
このツイートの周辺について。
ほんとそうだと思ったのはこれ↓
博打とは反知性的なものでは?麻雀アプリ作成者は常に「牌山が偏ってるなんとかしろ」という反知性攻撃を受けるものらしい。私はソースを公開しているのでその類の言いがかりを受けたことはないですが。 https://t.co/6G0jRZdQzV
— 小林 聡 (@koba0367) October 17, 2022
ランダムとは「予測不能」の意味ですが、それを予測しようとするのが博打打ちであり、予測不能な事象については考慮しないのが所謂デジタル雀士なのだと思ってます。
— 小林 聡 (@koba0367) October 17, 2022
カジノの大半の種目は確率的に考えたら損だと判明してるものだから、流れ的(あるいは運命的)な概念を持ってなかったら馬鹿馬鹿しくてできねーもんな。
オカルト理論はその時代のクテノロジーの影響を受ける。心霊写真って、写真が発明される前はなかったし、写真技術が上がってスマホで簡単に写真が撮れるようになったら消えてしまった。
全自動卓の発明/普及は1970年台後半のこと。
全自動卓では打ってる最中に次の山がもう積まれてるから、プレーの内容が配牌やツモに影響を与えるのは1局おいて次の局から。この理屈が発明されたのは1990年台後半だと思う。全自動卓の登場から20年くらいのタイムラグがあった。
これ最近は言われなくなったね。流れ論者が減ったことが理由だろう。
ちなみに、ツッチーは少し違ってて、流れ論者の中では極端にサイコロの目を重視する派閥だ。最近は言わないけど、以前は「親が8の目を出したらだいたい連荘できない」など、めちゃサイの目重視だ。
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