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デュプリケート麻雀を打ってきた

隠遁生活から抜け出し

最近は業界の知人にまったく会わない隠遁人になってるので、いろんな知り合いに会った話など書きたいんだけど、書きかけたnoteを最後まで書き上げられず、途中で放置になってる件数が多すぎる。なので、まずは本筋だけ書きます。

ダンスする体力はむちゃくちゃあるのに、なんで文章を書き上げる体力はないんかね? これは体力じゃなくて気力か?

キンマwebでMリーグ観戦記など書いてる東川亮さんに会い、たぶんしゃべるのは初めて。

おめーはよ、俺たちが真面目に書いてる記事にぶら下がっては、テケトーな悪口をまぶしてnote化して美味しく稼ぎやがって、業界の寄生虫じゃねーか、いいかげんにしろ!ゴルァ

とか言われて、

おっしゃる通りです。これからも美味しくやらせてください。

と返事するみたいなトークをしたかったんだけど、

いつも読ませていただいております。

というつまらなすぎる挨拶される悲しさ。

年を取るって悲しいね。ちっとも偉くなってなくて、近頃は寄ってくる人もいない、ただnoteを書くしかない初老のオッサンなのに、とりあえず重鎮扱いしとけ、となる。

みたいな話をいろいろ書きたかったんだけど。

・・・という無駄話ばっか書いてるから、書き終わらねーんだよな。さっさと本筋にいこう。

デュプリケート麻雀とは何か?

デュプリケートとは、

duplicate
重複の、二重の、一双の、まったく同じ、うりふたつの、複製の、控えの、写しの

という意味。

デュプリケート麻雀とは、同じ配牌とツモで複数人が打って、人による結果の違いを比較する麻雀だ。

ある卓のAさん、Bさん、Cさん、Dさんと同じ配牌とツモで別卓のOさん、Pさん、Qさん、Rさんも打つ。同じ条件の人同士を比べる。そういうのを積み重ねていく麻雀だ。

麻雀を頭脳オリンピックの公式種目にしてもらおうとしたら、スイスかなんかの本部に拒否されてしまった。麻雀は偶然の比重が高すぎると。

そこでデュプリケート方式でやると言ったら、じゃあ認定してやるわ!と採用された。

というわけで、頭脳オリンピックはデュプリケート方式でやる可能性がそこそこ高い。ただ、そのときの麻雀のルールが、日本式であるか、国際公式ルール(いわゆる中国麻雀)であるか、成都ルールであるかは未定。日本ルールは有力な3つのうちの1つだ。

中国では、国際公式ルールのデュプリケート方式大会がすでに行われている。

こういうの↑はあると思う。日本麻雀はゴタゴタした部分が多すぎるわ。

手作業で同じ配牌&ツモを作るのはものすごく大変で、デュプリケートのリアル対局は前準備するスタッフがいっぱい必要になる。これはネットとかシステムの力を使うしかないよな。手作業はねーよ。この日は手作業だったけど。

リアル麻雀でデュプリケートをやる卓を開発しようとしてるそうな。全自動卓になるかは未定とのこと。全自動じゃないってことは手積みなのか。世の中いろいろあるな。普通の麻雀牌は、個々の牌に模様が刻みこまれてるけど、デュプリケート用の牌は個々の牌がスクリーンになってて、内側から模様が映し出される方式らしい。

なんかネット麻雀をリアル麻雀化するみたいな感じだよな。そこまでしてリアルにこだわる意味あるのかね? 頭脳オリンピックみたいなイベントだと、ネット麻雀は考えにくいというのもありそうだけど。

俺みたいにリアルもネットも打つ派にとっては、リアル派がリアルにこだわる理由って説明されても、あまりピンとこない。合理的な部分が弱くて。

鳴きでツモがずれるのは必要か?

重要なのは成績の評価方法だ。デュプリケートの成績は、目の前の麻雀でどんな順位だったかではなく、同条件の他卓の人との比較となる。

この日は4卓16名の大会で、4人が同条件で打つ。その4人の中で、順位の差、持ち点の差をポイント化する。一番下の人との差をカウントするから、ラスを引いた人がいると自分の成績は良くなる。ラスを引いた人がいないと、自分はトップを取っても成績はそんなに伸びない。

同じ配牌&ツモの人と比較されるのは、勝った感or負けた感があっていいよね。楽しそう。

今回の特徴は、鳴いた場合にツモがずれること。中国での大会はツモがずれない方式でやった。鳴きでツモがずれる方式は、日本における結論というわけではなく、いろいろやってみる実験のひとつ。この日はそうしてみたということ。

鳴きでツモが変わるのはよくねーよな。まるで違う局になってしまい比較できない。

たとえばね、俺が打った3回戦の東1局、5巡目かな、俺の卓では南家がリーチして一発ツモとなり裏1でマンガンだった。迷い道がない手牌。同卓のイガリンと、この結果はどの卓でも一緒じゃねーの?と話してたら、俺と同条件だった佐月麻理子さんは「うちは違いましたよ。終盤にあたしが2000点をアガりました」と。

考えてみたら、北家の俺は北がトイツだった。俺は北をスルーしたんだわ。赤なしは久しぶりすぎて、配牌を毎回悪く感じて、こんなゴミ手で役牌を鳴いてもな・・・と思ったんだわ。でも、赤なしはみんな手が遅いから、ドラが1枚でもある手だったら、とりあえず役牌をポンして、ドラがトイツったらチャンス手になるという構えの方がいいのかも。

北をポンして2000点をアガった佐月さんと北をスルーしてマンガンをツモられ2000点を払った俺。この差し引き4000点が腕の差となる。それは納得できる。でもさ、脇の2人は、俺が鳴くか鳴かないかでマンガンツモが起きるか否かが変わる。それって腕の差なの? 自分とは関係ない展開の違いだよね?

鳴きでツモがズレる方式は、せっかく偶然性を減らしてるデュプリケートに、ふたたび無用のランダム性を増やしてると思うんだけど、どうか?

この日は土田浩翔さんも参加してて、最後の総括で「仕掛けというのは麻雀の一番難しい部分で、今日はそれを感じさせるルールでした」とまとめてたけど、それは当人の問題であって、脇まで巻き込まれるのは関係なくね?と思われる。

メンゼンが本来の状態というのは日本麻雀だけの発想だよ。中麻なんて鳴いて当たり前で、全員が鳴いてる局など普通にある。

鳴きでツモがズレる方式でやってみようという発想が出てくる時点で、中麻は手作りのゲームで、日本式は展開をいかにコントロールするかに主眼があるゲームだとわかる。

感想戦が必須

やってみた感想として、デュプリケートが面白いか、納得いくかは、同条件の人と後から感想戦をやるかどうかで決まる。感想戦をやらなかったら意味ないよ。普通の麻雀と一緒だ。あの局はどうなった?あの手はどうした?と話し合うと急速に面白い。牌譜がないから記憶のみになって十分な検討はできないけどね。

それを考えると、大規模な大会には不向きで、人間関係ができてる間柄の人でやるべきだし、あの手はどうした?と話し合いたいマニア性向を持つ人に向くルールだ。そうじゃない人にはあまり意味がない。

1局ごとに卓を移動するのでゴタゴタする。この日は連荘なしの8局麻雀だったから、時間が爆発することはなかったけど、時間は押すね。

運営は大変すぎる。大規模にやったら、かならずミスとか違う卓で打ってしまったなどのトラブルが起きるはず。

各卓の結果は1人がメモるんだけど、その人の負担が大きすぎて気の毒だった。同条件で打ってる気がしなかった。

終わったあと、麻雀新聞と麻雀ウォッチにデュプリケート麻雀の感想を聞かれたんだけど、その感想は載せられないなーと言われたので、はばかられる部分は閉じます。

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