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人間の尊厳ロジックは許せない

朝倉のこのツイート↓に、何件かの苦情があったらしい。

ここらへん↓か?

赤ちゃんとペットボトルをサイズ比較するのは倫理的によくないという意見が理解できず、困ってしまう朝倉↓

これはプチ炎上案件となり、大半の人は、何も問題ないんじゃね?気にすんなよと。

いろんな価値観の人を真面目に相手するのはやってらんねーという以上に、俺の感想はこれ↓が一番近い。

恐ろしいというか、超絶むかつくというか。

もっと大きくなったら、子どもはどう育てるべきか? お受験させるか? みたいな方針を自分なりにかならず持つわけで、それを表明すると、比較にならないほど燃えることになるぞ。今は「女の子だから~~」みたいなロジックだけで燃えるからね。

今回の件はわざわざ扱うほどの話じゃないんだけど、じつは、けっこう数少ない俺のむかつきポイントにクリティカルヒットしたのだった。

それは「人はモノじゃないから」とか「犬じゃないんだから」とか人間の尊厳系のロジック。

たとえば、俺は娘2人について書くとき、いつも1号2号と書く。笑われることはあるけど、怒られたことはない。

でもね、朝日新聞を購読してる74歳主婦みたいな人だったら「人間は機械じゃないんだから1号2号みたいな言い方はどうかしら? 長女次女みたいな言い方になさい」という意見の人が絶対にいるはず。

俺はそういうのが病的に嫌いなんだわ。いやいや、人間は機械だし。犬だし。1号2号で何も間違ってないし。と思う。

この問題に関して、むちゃくちゃ腹が立った思い出話を。

25年くらい前のことになるんだけど、娘2号が2~3歳くらいの時期だった。

2号は親の言うことをまったく聞かず、すげー偏屈だし、活発だし、異常なまでにマイペースだし、幼少期からむちゃくちゃ大変だった。

自分が納得するかどうかが行動の根底にあって、嫌なことは絶対にしようとしない。たとえば、幼稚園に通うのだって毎日が行く行かないの戦争だった。なかなか行こうとせず毎日遅刻。

言うことを聞かせようとするとギャン泣き。すんげーうるさい。

幼稚園にいるときでも、気に入らないことがあると飛び出していってしまう。そういう場所は子どもの管理責任があるから、放置はありえなくて連れ戻そうとするんだけど、手がかかりすぎて、すぐ専任の先生がついた。公立しかもそこそこ少子化地域じゃないと、そんな人手は割いてもらえないけどね。

そんな感じの子だったから、むちゃくちゃ手がかかって、1号とはまるで違った。

ダブルワークの夫婦で、子どもがほしいという声を聞くと、2号みたいな子が生まれたらどうするんだろう?っていつも思う。普通に働きながら面倒を見るって不可能なんだけど、と。

余計なお世話すぎるから、そんなこと絶対に言わないけどね。ものすごい難病の子が生まれる可能性だってあるわけで、万全を期そうとしたら子どもを産むなんて不可能だ。

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