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俺とクソイカ ~スコアタ編~

【前回のあらすじ】
・ダラバー初体験は中3の頃だったよ!
・スコアタ始めたきっかけはニコニコ動画の影響だよ!
・高校時代は部活忙しくて殆ど出来なかったよ!

今回は、人生で最もダラバーにハマっていた大学時代にフォーカスを当てて執筆した。記憶が曖昧な部分もあり、時系列が前後するかもしれないがご容赦頂きたい。

FREEDOM

大学に通う為に愛しの故郷青森を離れ仙台に引っ越した。青森は皆様ご存知の「アイドルマスターシャイニーカラーズ」に登場する「幽谷霧子」の出身地で有名だ。俺は幽谷霧子ちゃんと同郷と言っても差し支えない。

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霧子ちゃんすき

GWも明けて、大学生活に慣れて来た俺はゲーセンに通い始めた。そして、俺は驚愕した。チャリで15分の所にダラバーが出来るゲーセンがある事実に。

地元に居た頃には絶対に有り得ない。行こうと思えばいつでもダラバーが出来る。なんて素晴らしいんだ杜の都仙台、ああ大学進学して良かった。俺は心の底から狂喜した。嬉し過ぎて台風の日にダラバーをやりに行った位だ。

当時、良く通ったゲーセンはビーカム泉店だった。寮から最も近いダラバー設置店舗で、大学終わった後や買い出しの前後に遊びに行った。敷地内に松屋があり、飯を安く済ませられたのも個人的に高ポイントだった。

ダラバーは店内2Fのドラム式洗濯機の様な音ゲーの後ろに設置されていた。その為、音ゲーされると低音が煩く気が散って仕方なかった。

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ドラム式洗濯機の音ゲー。低音が中々に曲者。

他にも、無駄に気合の入った初代R-TYPE、虫姫さま、バサラ、メンテ最悪なネシカ台も稼働してたっけな。シューターの方も漁師の方も殆ど居らず練習には最適の空間だった。

ニコニコ動画にアップロードされている師匠の外伝OSXの動画を参考にしながら、黙々とパターン構築を行った。最終目標は、当時の全一であった2.7億だったが、まあ取り敢えず2.3億位からやるか。根拠もなく適当に目標を定め適当に遊んでいた。

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2013年6月20日、目標であった2.3億に自己ベストを更新する。クソイカ80倍、パーツ全96倍で取れたそうだ。伸び代も十分にある。次は2.5億更新を目標に頑張ろう。そう決意した…ような記憶。


Catabolism(クソイカ)

外伝は道中は稼げるがボスの稼ぎが非常に難しい機体だ。

ダラバーで最も素点の高い敵はボス本体の10万点。ブラックホールボンバー(以降、BHB)は最高で96倍の倍率を掛けられる。つまり、ボスを最高倍率で撃破すると960万点のスコアを獲得出来る。よって、ボス96倍撃破が極めて重要、と言うよりも出来なきゃ話にならないのだ。

また、BHBは範囲は広いが火力が非常に弱い(バーストを撃つ中型機をギリギリ倒せない位の火力)特徴がある。そして、クソイカは体力が非常に高い。

仮に、クソイカの体力を1000、BHBの火力を3としよう。ダラバーは体力ゲージが存在しない為、経験と勘でクソイカの体力を1~3の範囲まで削る必要がある。4や5でもダメだし、0でもダメ。完璧な体力調整が要求される。しかも、これが最後の最後で。

この体力調整が意味不明な程に難しい。現役時代、様々なパターンを考察し実行した。だが、結局何をやっても安定しなかった。3~4割程度しか成功率が無かった。マジで冗談抜きで、プロギア2-5道中の方がまだマシなレベル。

「クソイカ前自己べペース、クソイカパーツ全96倍撃破、自己ベストへのお膳立ては完了。さあ、後はクソイカをBHBで落とすだけ…。ああああああ、畜生!!!!!クソ!!!またクソイカ24倍かよ!!!!!畜生!!お前お前お前!!!!!引退!!!!!!!!」

上記の展開を数え切れない位やった。道中高い時に限ってクソイカが落ちない。道中やらかした時に限ってクソイカが落ちる。なしてや。なんなんずや。

楽しかった筈の外伝OSXが次第に辛くなった。楽しむ余裕が無くなってきたような感覚に陥った。それでも、無駄なプライドが引退(大)を許さなかった。引退(小)は頻繁にしたけど。

歯を食いしばり血涙を流しつつ、クソイカにヘイトを向けスコアタに励む日々が続いた。


はじめてのえんせい

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2013年11月16日 T/S和光店で2.53億を出す。自己ベストでは無かったが、そこそこなプレイは出来たらしい。

T/S和光店は俺が初めてダラバー遠征をしたゲーセンだ。当時は、2台ダラバーが稼働しており録画機材も揃っていた。関東のトッププレイヤーが通い詰めるダラバーの聖地…のような印象だった。

現地に到着して俺は度肝を抜かれた。筐体2台並んでいるのは勿論だが、その筐体を囲う位にプレイヤーがギャラリーしている。いやいやイベントとは言え流石に多すぎでしょ。なしてや。

フォロワーさんもこの中に居る筈だが、対面で会うのは初めて。顔と名前が全く一致しない。話で盛り上がっていて付け込む隙がない。…しゃーねーか、とりま1回プレイするか。

そんな感じで軽く1回通したプレイが上記の画像になる。プレイ後、何人かの方に「もしかして、ふくちゃんだよね?」とお声掛けを頂いた。初めて会う人に初めてプレイを見せて俺と認識して貰えた。この事が非常に嬉しかった。

そこから、外伝の稼ぎや近くの居酒屋でダラバートークに花を咲かせた。「ピラニアが戻ってこねー!」「キャッスルバースト撃たなすぎだろ!」で多いに爆笑。ああ、皆考える事、思う事って同じなんだな。

今回の遠征では俺が一番の若手だった。年齢層も様々。ダライアスって本当に昔から色んな人に愛されている作品なんだなぁと痛感した。金では買えない貴重な体験を得られた良い遠征だった。


淡々ト敵ヲ撃破

遠征から戻った俺は再びダラバーに勤しむ日々を送る。年が明け1月に引っ越しを行い、北仙台に住むことになった。ビーカムよりもエフワンの方が近くなり、エフワンに通うようになった。

エフワンでは同い年の奴と一緒にダラダラ遊んでいた。エフワン最若手の2人、だったらしいが俺ら以外プレイヤーを殆ど見かけない。まあいいか。

クソイカで心が温まった時は、そいつのプレイをギャラリーしながら茶化していた。確か、クリクロアンリミ1面番長やってたな。魂が抜けた顔をしながら狂った様に縦ネシカ筐体に100円を投入し続ける姿に思わず戦慄した記憶がある。

「おいおい。流石に今日はこれ以上はやめておこうぜ…」と何度言ったのだろうか。バイト代全部突っ込んだとか言ってたな。俺も人の事言える立場の人間じゃないが(ダラバーで金溶かしてモヤシ食ってた人間)。お互いバカだったな。今も大して変わらんけど。

この頃から、ダラバー以外にもエフワンのSTGに手を付けるようになった。エフワンの最奥に鎮座するガレッガ、トッププレイヤーでさえ難色を示すバトライダー。期間限定で雷電Ⅱとかレイフォースも稼働してたっけな。サンダードラゴンⅡとかハイパーデュエルもカッコよかったなぁ。

ダラバーと他STGを行き来しつつまったり遊んでいた。

そして、2014年12月8日。俺は最終目標だった2.7億を超え自己ベストを2.715億に更新する。

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思わず筐体中で叫んだ。スコアタを初めて約3年。やった、やった。やっとで繋がった。本当に出てくれたんだ。

外伝Xのスコアランキングが全てFUKUCHANの2.6億台で埋め尽くされていた。何度も何度もクソイカに2.7億を阻まれたからだ。だが、最後まで俺はやり遂げた。本当に嬉しかった。

今振り返っても、クソイカ2.7億以上に嬉しかった事は無い。グレ魔9500万やプロギア2周ALLよりもクソイカ2.7億の方が圧倒的に嬉しかった。


ちょっと湿っぽい話

2.7億達成後もスコアタ自体は継続した。ある日、外伝のトッププレイヤーの方がOSXを始めた。そして、約3か月後には俺のハイスコアを抜いてしまう。

「ああ、俺が3年掛けて積み上げたモノってトッププレイヤーの3月分にも満たないんだな。」と考えずにはいられなかった。結果、俺は自然とダラバーをやらなくなった。

決して、「俺のスコアを抜いたトッププレイヤーが悪い」と言いたい訳ではない。ただ、自身の無力さを痛感しただけだ。俺がどれだけ努力を重ねても越えられない壁ってあるんだな、と。

以降、俺は「スコアタは全一と全二が勝手にやるんだし、俺は自分のペースで程々にやろう」と考える様になった。スコアタから逃げてしまったのだ。

当時の俺は、自身の限界を超え多くの時間や金を費やしダラバーと向き合って来た。そして、俺の努力は2.7億と言う形で結果を出せた。だが、全身全霊を掛けた3年間の結果が、僅か3か月で抜かれてしまう事実は相当キツかった。嫉妬以上に虚無感の方が強かった。何やってんだろうな俺って。

ダラバーで多くを学んだ。その経験は、今の俺の根幹になっていると言っても過言では無い。ダラバーの頃から、現在に至るまで交流が続いている方々も居る。幾多の時間と金を費やしたが、それ以上に得られるものが多かった。

決意表明と言うには大袈裟だが、この経験を糧に今後も自分のペースでまったりほどほどに遊んで行こうと思っている。

そういえば、2月にダラバーの移植出るっぽいね。また、久々に外伝OSXやってみようかなぁ。「クソイカのふくちゃん」が約5年振り最大復活する未来があるかもしれない。

という訳で、「俺とクソイカ」でした。ここまでご精読ありがとうございました。

次回に続く。

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