自覚の対の言葉は覚他なんだってさ

最初に自分が集団行動に向いてないと自覚したのは、中学時代のサッカー部だった。

最初から完全に結論且つ私見だが、そもそも「サッカーをやる人」で人格者を見たことがない。
当時は「マリーシア」の「ずるさ」だけに特化したプレーが「かっけぇ」という風潮が横行していた。その為その「ずるさの火の粉」を度々浴びてきた。それを正論(+汚い言葉)で振り払うと、中学生同士(特にブラジルカブレ)だけに度々トラブルになった。

試合で味方とモメ、レギュラー陣(私は補欠T_T)の基礎体力の無さを指摘してモメ、まじめにやれやと文句を言っては揉め、揉め事・衝突だらけの3年間だった。
例え1軍レギュラーが少年サッカー組の部員しか成れないという顧問方針の噂を親から聞いて精神的にダメ押しされても、サッカー自体はとても面白く・楽しく好きだったので3年間続けた。そして「高校生になったらきっとそこは居心地のいいチームで、楽しくサッカーができるようになる」と本気で思っていた。

現実はタイヘンキビシク、仮入部1日目に早速「チームの方針で新入部員は明日から髪を五厘にしてこい」というイミフメイな顧問指示に反発し、部活としてのサッカーとのかかわりはあっけなく終了した。

ほんと、「サッカーチーム」には良い思い出も印象もない。

その後一旦ゴリゴリ理系の「物理部」に入部し、それなりに楽しく高校生活を送ったものの、体力は有り余り、体育会系部活への未練も断ち切りがたかった。

そんな時に、通常仕様がボッチで、何となく一緒にお昼ご飯を食べていた陸上競技部の級友に誘われ、あっさり高校2年から陸上競技部に転部し、そこから8年ほど陸上競技部とのかかわりは続いた。
ちなみに、陸上競技部時代にも周りから人格者と評判の実力ある上級生から「2年とはいえ新入部員なのだから五厘にせよ」の圧力はあったが「おれお前キライ」な態度で切り抜ける。

陸上競技はサッカーと同じくらい楽しかった。
陸上競技は基本個人。黙々と練習をこなしてしっかり努力すればそこそこ試合でも勝てた。

「我が居場所を得たり」

とよく思った。

それでも、駅伝やリレーなどでねちっこく組織論をかざし絡んでくる部員はいたが、当時の陸上競技部の顧問が前述の「五厘圧力」も「組織的絡み」も「最善・最適なやり方は個々人で違う」と身を挺してかばってくれた。
今から思うとこの顧問には「色々な思惑」があって、更に私が陰でコソコソ練習していたこともある程度知っていたのかもしれない。けど当時は完全に後ろ盾になっていてくれて、とてもありがたかった。

そんな後ろ盾が私の個人主義(=他人に興味がない)に拍車をかけ、ボッチ仕様に磨きがかかるきっかけになったのかもしれない。
ただ、それでも今現在の自分の状況を鑑みると「ありがたかったな」と思う。

そんなわけで、学生時代の部活動は私に「集団行動の適性がないスポーツ好き」であることを自覚させてくれた良き経験。

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