wowakaさん

 彼には、彼の作品には、ひとかたならぬ恩恵を受けました。志半ばでその生涯を閉じる事になるとは、私達は露ほども思わなかった。去年のこの日、その訃報を受けて、私達の心には大きな穴が開きました。
 そして腹話の半分は、あるいはもっとが、彼に与えられた物だというのは疑いの余地がありません。

 あの世代、VOCALOID界隈や歌い手界隈を生きた人の、きっと誰もが同じような想いを抱いていたことでしょう。欠けてはならないヒストリーの1ピースです。
 現実逃避P、ヒトリエの作品だけではなく、今あるVOCALOID楽曲の少なくない数が、彼の形見なのかもしれません。何世代も越えて、wowakaさんに影響を受けた人達の曲を聞いて、また良いと思って、曲が作られていく。直接的な影響を受けずとも、解体された文脈が散りばめられていった物と感じています。
 アンノウン・マザーグースでは、その現象に対しての並々ならぬプレッシャーを詠み、その抱えきれぬ想いを聴いた私は、ただ茫然とする他ありませんでした。彼と、VOCALOIDと、ニコニコ動画の間に存在する葛藤の歴史は、私が勝手に歌う事で表現出来るものではありません。楽曲そのものが他者には視る事の出来ない景色を視ていたのです。
 普遍的な言葉で複雑な心に寄り添う物語を綴りPOPで在り続けた彼が、独りへと一転して彼にしか起こりえない物語をVOCALOID楽曲で書いた事には、これまでとは違った意味があると直感的に理解しました。
 そのような過重なプレッシャーを背負い、我々のヒストリーの一端で在り続けたご功労にただ平伏し、感謝してもしきれないと想うばかりであります。
 
 wowakaさんとの関係はメールで始まります。2009年11月3日、雪が降りしきる土地へ赴いていた時に、共同制作の意思が送られてきました。彼の誕生日の前日だったようですね。
 私とオリジナル曲で面白い事が出来ないかと声を掛けてくださった。まずは年内に1曲なんて言って、確かにそれまでの楽曲ペースは異常ともいえる物で、あまりのスピード感に驚嘆してしまいました。
 帰宅してからSkypeを登録したりTwitterを誘われて始めたり、色々と話す中で打ち合わせをしていき「VOCALOIDと歌の掛け合い」や「早口のパート」「促音」「アップテンポ」などのアイデアが出ました。それから、彼は忙しさからキャパシティオーバーの沼に呑まれつつあり、私は無理しないで良いですよと言い、一先ず思い浮かぶまでは保留にしよう、となりました。

 年明け某日、私は某バンドの面々からとあるニコニコっぽいライブの楽屋に招かれました。
 その時にwowakaさんから、僕も行くからまた話しましょうと言われて、そこで作品から見たままの、意外性も無い人見知りな貴方との初対面です。
 「MIX参考にしてます」とか見え見えのお世辞を言われ、咄嗟に参考にする所ないですよと謙遜しまい、貴方は気まずく笑っていました。
 共同制作の話になると、確かに明確に難航していたのを覚えています。腹話の歌は聞けば聞くほど分からなくなると。曲によって表情が違ったし、何でも歌えるようでいてゾーンが狭い、これほどボーカルとして扱いづらい者はいないでしょう。
 創作のヒントになるかと好きな曲や世界観の話を始め、私はダンスミュージックやラップが好きで、世界観は厭世的な物だったり終末観みたいな物に惹かれると言ったら「終末観は僕も好きですね、考えてみましょう」なんて話が挙がっていました。そして、あなたのメロディセンスは希代の物だからどんな物でも良いと思いますよ、と何度も伝えてその場は別れました。

 その後も断続的に話をさせていただきましたが、彼はボーマスその他、プライベートの事で多忙を極めている事から、企画はとりあえず落ち着くまではと言った形で事実上の凍結となりました。

 wowakaさんと会って話した事は、計2度です。頻繁に連絡していた訳でもなく、友と呼べるほど親しい間柄ではなかったと思います。それからも中野オルタナティブの際に顔を出していただいたり、某レーベルのCDに誘われたりと、企画が流れたとしても、貴方が私の事を気に掛けていた事は伝わっていました。
 その後、貴方は自らマイクを取り、新たな仲間を見つけ、私はそれを陰ながら応援していました。
 制作に関して未練が無かったかと言われれば、私には全くありませんでした。ただ貴方の作品を享受するだけで、私は充分だったから。私が直接踏み入る事は特に重要とは思っていなかった。ただ、少しでも「腹話」の育ての親と勝手に感じていた方と創作の想いを共有する事が出来たのは、僥倖といえる時間でした。
 彼と何かをしていた未来は私の性格上存在し得ません。それでも訃報によって、自らを顧みる部分が無い訳ではありませんでした。そしてまた私に影響を与えるのは貴方なのかと、腹話を思い直す事になります。

 この思い出達は私の主観に過ぎません。活動期間の中でのほんの一瞬、僅かな時間だけですが、私にはこれが彼と道を共にした記録です。それぞれが見る主観の一つとしてここに残します。

それではwowakaさん、1周忌ですが。
私はまた、貴方ともう少し会わないでいることにしました。
改めて、ありがとうございました。

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