インターネット老人の昔話(3/3)

 これまで続けて来た誰得の昔話だが、ここで人によっては意味のある話。

・2004~2006年のネット風景
・腹話(一般人の姿)の声に対する、ある人からのコメント
・Sound Horizonとの出会い
・歌ってみたとの出会い
・VOCALOIDとの出会い
・とおせんぼ


 この昔話ははただオタクのコミュニティに身を置いていただけの、いたいけなアストラル体の記録である。
 (1/3)の記事では、2007年頃に歴戦のオタクが駆逐されたとかいう怪しい話をしたりもしたが、当然情報に正当性はない。歴史に明るいインターネット老人がもっと他に居るはずだ。

 それではこの頃、私が何をしていたかを挟みながら整理していくことにしよう。ここから先はより主観度合いが強くなり、このようなどう転んでもプライバシーなお話は、出す方にも得がないし、見る人によっては損をするだろう。なら、どうしても見たい人だけが見るべきとは思うが、別にどうでも良いんじゃねえかと思わんでもないので何もせず放り出す。消えて欲しくなければ……ん?いや、消える時は消えるんだ。それが推し。
 これまたあらすじのような物なので適度に端折っている。語るべき所を語っていないかもしれない。それでも見るなら。

2004~2006年のネット風景


 ニコニコ動画が出てくる以前、娯楽創作者達はどこで何をしていたか。
2chニュー速VIP、2chカラオケ板、2chなんでも実況V、livedoorねとらじ、そしてmuzieといったコミュニティは、十把一絡げにエンタメフォーマットであり、そこを満遍なくつまみ食いしていたと思われる。Peercast?ウッ頭がッ……!
 
もちろんちゃんと雑誌投稿したりだとか、路上活動やオーディションを受けたりとかする正統派も居たと思うが、プロになりたい訳じゃないけど面白い事がしたいという衝動は、彼らの内に原初の欲求として存在する物であった。

 このような時流から、配信用の機材に関してのナレッジはwikiなどを通じて急速に共有されていき、多少やる気があれば誰でも配信や通話、音声の投稿などを始められる状況になった。

 が、しかし。

 多少のやる気では到底太刀打ちできないクラスのハイレベル一般人がすぐに台頭し始めた。

物真似が似すぎている一般人
話が面白すぎる一般人
ゲームが上手すぎる一般人
歌が上手すぎる一般人……

我々は才気溢れる一般人の遊宴を目の当たりにする。


 私は残念ながらそのどれも持ち合わせておらず、ただ凡百の一般人として享受しながらその才能をトレースし、人はどのようにして評価を獲得していくのかを考察していた。
 当然の事ながら、「これから始める」ではなく、もともとやっていた人達のアドバンテージ要素も無視できない為、いかにして努力を行ったかの背景に関しても調査した。

 2005年前半。ニュー速VIPで敵に回しちゃいけない類のオタク達がハッピーマテリアルをオリコンに入れるとかどうとかで騒ぎ散らかしていた。どうでもよかった。


 2005年の後半から2006年に掛けて、VIPにはねとらじ関係のスレッドが立ちまくり、ゲーム実況のスレも立つ。時代は文字からマルチメディアに移行していき、配信/動画サイトの黎明を予感させた。

 カラオケ板も2006年頃には宅録機材の普及などがあり、一層の盛り上がりを見せるも、広義的に歌を扱う板ではあったものの、宅録はカラオケじゃないと一部派閥から声が上がり人々は徐々にニコニコ動画へと移住していく。
 皮肉にも後にインターネットカラオケマンと呼ばれる歌い手は、元はカラオケと認められずに居場所を追われた者達であったのである(そうか?)

声に対する、ある人からのコメント


 カラオケ板やVIP、ねとらじでは、今ではそこそこ名のある活動をしている人達が鎬を削――る訳ではなく、ただ好き勝手にやっていただけであるが、そういう人達と直にやり取りする事が出来た。
 それはもう、あんな人やこんな人が居たのである。

 尤も、配信者リスナーという構造は当初から成立しており、配信者である彼ら(They)は、リスナーである私達の事は個として認識していないものだった。
 忘れられない人物と言えば、カラオケ板、VIP、ねとらじ、mixi等、歌関係のコミュニティに幅広く顔を出していたあめじという人。
ご存じの方も多いと思うが、現在は清水翔太として活動しているシンガーソングライターが、ネット上へ気軽に自作曲を投下したり弾き語りしながらリスナーと雑談したりしていたのである。

 私は自分の声がアホほど嫌いであり、歌もアホほど下手なのでmixiでも今と変わらず自分の声が好きになれる訳がないといった日記を書いていた。
 そんな日記に、あめじから
好きになるってのはナルになれって訳じゃない。俺も自分の声が最高って思ってる訳じゃないけど、使い方は分かるようになる。音源聞いたけど、俺は君の声がキモいとは思わない。もったいないから続けようぜ
という感じのコメントをされた。記憶は朧気だが、大体こんな感じだ。
 彼のねとらじでも、歌や声に関するお悩みは定期的にレスされていたが、彼はいつもこんな感じで答えていた。しかし、mixiにおいては私の声を日記を遡ってまで聞いてくれたという事実に震えたものである。
 もちろんその当時は、そんな事言われても流石にこの声はアカンやろと思わざるを得なかった。いくら客観的に意見されたとしても、主観的事実は変わらないのである。この声がちょっとやそっと使えるようになった所で、あの人やあの人のように素晴らしい声になる訳がないと。
 ただ、彼に続けようと言われたし、私も辞める気はない――そもそも始まってもいないという認識だったのでとりあえず続けた結果、当然好きになる事はなかったが使い方はまぁまぁ分かる方になり、今のような形になるのであった。ある意味では彼のおかげと言っても良いだろう。恩を覚えているということはそういうことなのである。
 ちなみに、この話をする事に許可は取っていない。いないが、彼は今フリーなATTITUDEで居る事が何となくわかるので、軽率に名前を出してみた。
 証拠もないので、嘘かもしれないとは思っておいた方が良いだろう。正直、当時私がmixiをどんな名前で利用していたのかさえ覚えてはいない。

Sound Horizonとの出会い


 2004年後半から、メジャーデビューを果たしたSound Horizonとかいう恐ろしいグループの噂がオタク達の間でひそかに蔓延し始め、私は近寄らんとこと思っていたのであるが、ねとらじではじまんぐの真似をする人が多く、ことあるごとに残念がっていた
 似ているか否かは実物を聞いてみなければ判断が付くまいと、食わず嫌いせずに飛び込むのが私のエライ所である。しかし飛びつくのに1年程要したのは私のダメな所である。先に結論を言うと、誰も似てはいなかった。

 それまでSound Horizonは、人に訊いても誰一人明瞭な答えを提示する事はできなかった。ある人は「宗教」と言い、ある人は「中二病ロックバンド」と言い、他にも「3人で大体なんとかするミュージカル」「絵本みたいな音楽」「セリフが入る」「胡散臭い」「ライブがヤバい(悪い意味でー!)」など、良いんだか悪いんだかわからん説明を受ける。でも皆好きらしい。どういうことだってばよ。

 あらまりが脱退してすぐの2006年頃、Sound Horizon周辺は荒れに荒れていた時期だったので自分で探すのは諦め、ねとらじのDJに放送中にスカイプ凸して「サンホラとかいう人の初心者向けの曲を教えて」と訊きに行った。
 そこで「黒の予言書」や「雷神の系譜」などを教えてもらった。
このDJは実に良い人である。私みたいに「聖戦と死神 第2部「聖戦と死神」 〜英雄の不在〜」とか「白の幻影 (White Illusion)」とかをオススメせずに本当に初心者向けの曲を教えていただいた。
 しかし、残念なことに聞いた所で良さはさっぱりわからなかった。その時点では。

 私が「いや面白いやんけ」となったのは2007年、聖戦のイベリアからだ。ヘナチョコな男性ボーカルが頑張って歌っているのを聞いて何でボーカルに?と思ったものだ。Revo氏とは似て非なる人の事である。
 それまで全く失念していたが、Sound Horizonとタイアップしていた「ベルアイル」とかいうネットゲームをやっていた人の日記で、ゲーム世界の街中でギターを抱え、身の毛もよだつ程の中二病セリフを吐きながら佇むNPC「Revo」の姿を捉えたスクリーンショットを見た事があったのを思い出し、え、アレのこと?と急に面白くなってしまった。地平が繋がった。

 当時、Revo氏は個人サイトを持っており、そこでライブレポやらファンに向けて日記を書いていた。あの頃のWeb日記サイトのような。
 ライブでやたら転倒し腰だの足をヤっていて、出演が間に合うか案じているファンとRevoの発言を見て「どういう団体なの……?」と思っていた。
 この得体の知れない、リスナーとの距離が妙に近くて自己管理の甘いメジャーアーティストは何なのか、掘れば掘るほど結局意味が分からないという門の狭さで次第に意地になり、ただのオタクとはまた違う筋の通ったアーティスト性を持ち合わせているこのRevoとかいう男に惹かれていったのである。
 
 そして歌もギターも微妙だった彼が、今やハイトーンを出しながら鬼のようなビブラートを掛けるギターは微妙なままの歌って踊れる立派なボーカルになるとは思いもよらなかった。かつ、あのどこ掘ってもネタに当たる作り込まれた世界を創ってるって?偉い。偉いよRevo……好き……

 Sound Horizon Kingdomの国民にはこのようなカーチャンJ( '-`)し目線かつ、ちゃっかりリスペクト心を持つ面倒くさいファンが多く、私は当初そのような面倒なファンになるつもりは毛頭なかったのだが、2008年、第6の地平「Moira」が発表されたのを期に、リアルタイムで追ってみる事にした。
 するとRevoは個人サイトの裏ページで粛々と国民に向けて桃だかなんだか意味不明な物語を更新し続け、国民達に「何時(なんじ)まで更新するのだ――Revoよ!」などと逆に心配される程のインタラクティブな創作を目の当たりにした。他にも様々な仕掛けをこれでもかと国民にブチかまし続け、新参の私は1割も理解出来なかったが、その勢いだけでもいや……そりゃカーチャンにもなるわ……SHKに入国し、そのまま当日券でコンサートにも行ったのであった。あれ以来行ってないけど。

 そんなこんなでSHKの国民となった私であるが、音楽性自体は特別刺さる物ではなかった。しかし、Sound Horizonに音楽「性」などそもそも無く、その時に適した音楽、その時に適したメンバーを採用しているに過ぎない。全てが必然によって創られている。
 要となるのはRevoの創る世界、哲学、メッセージ、そしてそれらを伝えようとする熱量、伝わらない事を恐れず創り込む姿勢だ。RevoのSHK国民への信頼が、そのままRevoへの信頼となり返ってくる。これがまさにSound Horizon、Revoという男の良さであると私は解釈している。

歌ってみたとの出会い


 2007年、2ch閉鎖の危機に晒されたオタク達は追い込まれていた。
 一方私はと言えば、1999年、ダムスのおじさんの予言により世界が崩壊すると言われた時と同じ顔をしていた。それからずっとその顔をしている。

 ニコニコ動画が登場。この時点でのニコニコ動画は動画投稿サイトというよりは動画盗用サイトであり、youtube等の動画を直接ストリーミングして画面上にコメントが流れるようにしただけのアバンギャルドなサイトだった。動画が投稿出来るようになったのは少し経ってからだ。それに伴いアカウントの作成が必要となり、何となく利用していた者は投稿される動画に対して価値を想像する事が出来ないので「なくても困らない」という心理が働き、ニコニコは終わったと一時的に嘯かれた。これはお気に入りのコンテンツが次々と消滅してきた古のオタクに備わる、ある種の防衛機制なのかもしれない。

 しかし程なくして、2ちゃんねる等で音楽遊びをしていた者達が早速この場をアップローダー的に利用し始め、歌ってみたや音楽カテゴリとしてのフォーマットが早めに定着した。
 ニコニコ動画はカラオケ板とは価値観が一転し、カラオケで録った音源上げてんじゃねえぐらいの風土が出来上がり、民草は宅録を勉強し始めた。とはいえ、当初家電量販店で売っていたELEC●MやBUFFAL●のマドラーみたいな卓上マイクをとりあえず使っているような人は多く、総じてクオリティが低かった。
 ただ、どこにでもガチな人というのは存在するもので、やはりそれなりの環境を整えていたり、それなりに良い声の人達はちゃんと人気になっており、評価とは正直なものだな、と思ったものである。
 
 流行曲はアニソン、東方(IOSYS等)、アイマス、JAM Projectなどがメインだった。これを見れば大体どのような曲が流行っていたかがわかるだろう。

 これらの楽曲はVOCALOIDが台頭する以前の物だが、既に歌ってみたは相当に盛り上がっていた。「とりあえずみんなで歌ったの上げようぜ」といった仲間内での遊びだったり、「これで天下取るわ」とガチガチに作り込んだりと熱量は様々であったが、目の前に「音楽」という選択肢を与えられたオタク達は思い思いに自己表現するようになった。
 大規模に著作権侵害を巻き起こしながら、誰も我は創作者などという顔をあまりせず、ただ好きな事を好きなようにやっていた。才あるものは才を揮い、それを同級生らと眺めているような、長く短い文化祭。
 何かもっと面白い事は出来ないか、もっと楽しい事は出来ないかとヒートアップしていき、全部俺アンインストール、METAL OF シリーズ、弾き語りやアレンジなどオリジナリティを出しながら「あんたら一体これまで何してたの?」といった質の作品を次々と生み出していく。

 それから暫くすると、歌ってみたの転機とも言えるランティス組曲 feat.Nico Nico Artists、ランティスの缶詰が発表された。私は好きなCD達だ。
 しかし、それと同時に永遠の文化祭に突如終わりを宣言されたようで、オタク達は怒りと悲しみに呑まれ、この企画は多数のバッシングに見舞われる事になる。Wikipediaに書かれているようなクオリティや商業主義云々は直接の要因ではなく、モラトリアムを謳歌していたオタク達が急に大人の土俵に上げられたという心理的要因が根底にあるのではと感じた出来事だった。in my opinion.

VOCALOIDとの出会い

 メルト(2007年12月)以前のVOCALOIDは大体カバー曲を歌わされているだけのバーチャルシンガーであり、初音ミクという名前を見る度、新手のスパムかなんか?と思っていたぐらいには頻繁に名前を見かけるものであった。
 当時はVOCALOIDタグがなく、歌ってみたタグがついてたような気がするので、それはそれは邪魔であったがミクは悪くない。
 そんなVOCALOID界がメルトにより突如黎明し、アンテナの高い、作曲が出来るユーザー達が次々と音楽の腕を揮いにニコニコ動画へやってくる。楽曲の制作、歌もであるが、この初期の初期というのは「元々音楽をやっていた人達」の独擅場で、次々と仕上がった楽曲が世に生まれた時期だった。
 2008年6月ぐらいの頃からは、歌ってみたとVOCALOIDの邂逅から新たな流れが軌道に乗り始めた時期と記憶している。mixiに似たシングリンクという歌ってみた専門のSNSが登場するなどの後押しにより更に活発化し、歌い手達は研鑽を積みながら音源をアップロードしていく。
 もっとも、黎明期特有の舗装されていない文化にローカルルールをいかに解釈、定着させるかと創作者同士がバチバチにやりあっており、平和とは程遠い世界であったので、いつ怒られた物かとおっかなびっくりやり取りを行っていた時期でもある。初音ミク周りに関する著作権すらもふわふわしていた。それらの長きに渡る戦いの歴史があり、我々は今その上に成り立っていると思うと全ての功労者に感謝したい所存である。

 歌ってみたにおいては、もともと「初音ミク」という女性ボーカルの為に作られたガーリッシュな曲を男性が歌う事はやはり難易度が高く、どれもがメルトのように男性verとして歌える訳ではなかったため、初期は女性ボーカルがランキングの大半を占めており、女性の母数がまだ少なかった時期でもある事からその希少性による評価も含んでいたと思われる。男性ボーカルといえば多少、いや、かなりネタに走ったり、独自の曲芸を披露する者が人気を取っていたと記憶している。当然、高音が出せる男性は有利であった。

 私はといえば、ご存じの通り高音が良い声ではないので、このブームに乗る事はしなかったが、この時からオクターブ下の男性声でありながら、それなりの面白さを感じる事が出来る歌を模索し始めた。
 大半の曲では棒読みになったり、勢いが出なかったり、聞くほどに面白味のなさを感じた。そこで歌ではなく曲自体に抗いがたい世界観や勢いを求めるようになっていったのである。
 せめて聞けるような音になるように音作りを繰り返し、機材も最低限の物を揃え、DAWも購入するなどの初期投資を経て、ニコニコ放浪を開始してから2年以上が経過した2009年6月。

 いつものようにVOCALOIDのランキングを見ていると、炉心融解、ワールドイズマイン、magnet、右肩の蝶といった豪傑の中に、見た事のない形式のタイトル、見たことのないタイプのグレーのサムネイルが目に入る。

とおせんぼ


 開いた瞬間、耳に強烈な光が叩きつけられた。灰色の世界の輝度とは思えない程に煌めく音のコントラスト。聴く人の脳裏を内耳から照らしつけ、それぞれの視界にプリズムの如く彩りを魅せたであろう。流れゆくシンセ、心を縛り付けるピアノ、うねり続けるベースとドラムがこの世の終わりのように世界を美しく歪ませ、小節を効かせて踊るミクの声が高く跳ねあがる。感傷的でありながら軽やかさを持ち、無機質だけれど「ヒト」の心を忘れてはいないその声は、聴いている者達へ向けたSOSのように逼迫した発振を想起させた。貴方の心臓から流れ出したそんな鼓動達が、私をどうしようもなく惹きつけ、次の瞬間、これと思う間もなく私は配布されていたインストをダウンロードした。
 それまで、あの人みたいに歌えなきゃダメ、あの声が出せなきゃダメのように思っていた私が、歌い出した途端に自分の聞いたことのない声、歌い方がするすると形を成し、それまでのあらゆる固定観念を覆されあっという間に完走した。その気持ちを放り投げたのが「あの音」だった。
 今の基準で言うと歌唱自体はよくわからない物ではあるかもしれないが、精神性の確立は、腹話が励起した瞬間はそこにあった。

 そして私は、その時だけは、誰かの互換ではなくなったような気がした。誰かの評価が欲しかった訳ではなく、ただ自分を識りたかっただけ。その希いは、貴方に叶えられました。

 その先は見ての通りということにして昔話を終わります。
 ここからの記憶は私だけではなく、あなたの物でもある?

ふくわ
腹話

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