平和記念公園と原爆資料館について

~ 目的 ~
 移動力の重要性の体感と、令和になったタイミングで見る原爆被害について

~ 感想 ~
 初めて、広島県に来た。少し、足枷を外すことができた。
 移動中に、プリンシプルのない日本を読み進めることができた。また、やはりマスクをしないと新幹線社内は空気が悪いと体感した。

 現地にて、原爆ドームを含めた平和記念公園の光景は明るく映り、戦争が行われた痕跡としては、薄い印象を受けた。公園をキレイに保つことで、戦争のイメージを払拭したことを訴えているかのようだった。

 一方で資料館では、真実に触れるために、当時の生々しい資料が多数残されていた。黒い雨でも言われていたような、
① 皮膚が垂れる。
② 黒い血だらけになる。
③ 屍が転がっている(浮いている)。

ような情景が鮮明に写されていた。
井伏鱒二は、当時のこの状況をあれほど鮮明に書いているのかと感心してしまった。

 特に印象に残った資料は、ガラスが溶けてしまったものである。ガラスが完全に溶ける温度は1,200℃もあるからである。この熱源を人間が受けてしまっては、当時の写真のようになるのは頷ける。

 資料館内では、海外の人が多くいたように見受けられた。広島県の悲しみを繰り返さない為にというコンセプトは、確かに世界に伝わりつつあるようだ。この惨事に、少しでも関心をもってくれた彼らを見たとき、なぜか感謝の気持ちが出てきた。(彼らの移動力にも感謝)

 私を含めた現代人は、この悲惨な光景を身近に感じられないほど、平和ボケしているのかもしれない。

 私は、この出来事に、余計な感情を付け加えずに、後世に伝えることを必ずしようと思う。

 原爆被害があった出来事に対して、実際に子どもを連れて、またこの場所を訪れたいと思う。
 その子どもが原爆被害のことを知り、何を思うかを見届ける役目を果たす必要があると感じた。それは、憎しみなどの感情を後世に残してしまう可能性をないものとしたいからである。

 原爆ドーム前の光(戦争のない世界)と、原爆資料館の闇(戦争の世界)をコントラストにも表現されていたことも、感じ取ることができたのも利用しようと思う。

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