自分のかたちを探る旅
何度目かの、アイデンティティの獲得の旅の道中にいるらしい。と気がついた。
今までも何度かやってきたことだが、旅はしたって旅の行き先も道もいつも違うから、いつだってすんなりは行かないし、それが旅の道中だとも途中で気づく。今回も、また。
今まではふたつの旅があった。
①セクシュアリティ ー性的マイノリティの一員であり、「トランスジェンダー男性/パンセクシュアル」であるという現在の認識に一致感を得る道程。
②男性 ー自分は男性だが、「どんな男性である/ありたいのか」という自己認識を、服装や髪型、一人称などを探りつつ歩く探求の道程。
そして現在は、「活動家」のアイデンティティを探求している。
活動家ではある。教育者とも思うし、表現者とも思う。そこまでは来れた。
けれど今は、「どんな活動家/教育者/表現者 なのか」というところをうろうろしている。
一旦活動家で取り上げていくが、自分自身ではとっても活動家だと感じる。
でもどうやら、俺が出会ってきた「活動家」の名前を持つ人ととは感じがちょっと違う。
これでここ最近、活動家アイデンティティのクライシスが起こって苦しかった。これセクマイの時も男性の時もやったなぁ。。。従来モデルの中では自分がしっくり来ないことで、「自分は〇〇じゃないのでは!?」という混乱と困難。。。
こういうとき、きっと自分で自分への名付けが必要になってくるんだろう。
多くの先人が、従来にはない肩書きを名乗る意味がめちゃくちゃわかってきた。
既存の社会には、自分をぴったり表す名前がないんだ。
ここはじっくりやっていきたい。ほんとに。
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