依存症における本当の底打ちと何か?

先ず依存症で損を繰り返し落ちているときは、自分という生き物に対して、とにかく自信がなくなり、激しい喪失感が生まれる。
そして、死にたいと思うようになる。自殺をできないけれども、それぐらいの強迫観念が起きる。
つまり、無価値観が症状にあらわれ、自分という個の存在意義が一気に薄まる。これは経験をしたことがある人じゃないと、分からないだろう。

そして色々と経験をした結果、今までは強制的にポジションを取れなくするとか半ば強制的に終わらせて、その場ではいったんギャンブルから離れられるが、何かをトリガーにまたしたくなる。それが半年だったり、3か月だったり、3週間だったり、スパンはそれぞれ。
その繰り返しをしていると、その時はちゃんと底打ちができていると思い込み、もうやらない、もうやらなくて済むんだと言い聞かせても、どこかでアの損を取り返したい、自分ならもっとできるはず、またやりたい、という風になってくる。
とても恐ろしい脳の病気だと思う。

で、体験してわかったのが、本当の底打ちは、激しい解放感がでてきて、今までやったことが一切後悔がないというか、すっきりするというか、また勝負をしてやろうという気持ちがない水準までにたどり着いたときに、本当の底打ちができるのではないだろうかと感じた。

世の中的にはもうこれ以上借金ができないとか、家族に迷惑をかけたとか、物理的にダメダメになって、もう這い上がるしかない、という状態で定義をされていることもあるようにみえるが、僕が体験したのは、物理的に強制的にできなくしても、何か心にしこりがのこるので、またいつの日が再びやってしまうのではないかというものだ。
つまり、本当の意味での自然な解放感はない。
そう「自然と解放される」という感覚ではなかったのだ。

それが今日、底打ちができたと思えたのは、自然と解放された気持ちになれたからだ。確かに強制的に再びポジションを取れなくしたのも大きいが、それでも今までだったら、これまでやったことの後悔の念が大きくて、後悔があると、また何かをきっかけにやってしまうということがわかった。

でも今はすっきりしている、後悔もない。それは必要な学びだったのだと自然と思えたから。
本当の底打ちが出来たかはこれから検証をしていくが、失った金額はとても大きいし、人にいったら、やばってなるが、やっぱり金額の大きさじゃないんだよね。
これは自分との闘いであって、金額高での勝負ではなく、乗り越えられれるかどうかの勝負。

自分の脳、いや、ドーパミンと真っ向勝負して勝てるかどうかの自分という人間の物語でもある。

ただいえることは、一人で抱え込んで乗り越えられるほど甘いものではないので、カミングアウトができる人がいることはとても大事で、その人にすべてを嘘偽りなく話せたとき、少し開放されると思う。僕も身近の妻に遂に話をして解放されたから。抱え込まないこと。

そして底打ちというものは人によって違うかもしれないが、強制的にやめたとしても、後悔が残っている場合は、また再び依存症に戻る可能性は高く、いかに後悔が残らない形で、自分の魂レベルでもうこれ以上は大丈夫、となれたら真の底打ちになるのではないだろうか。

依存症は底打ちするまで負け続ける、やり続ける非常に怖い病気なので、まじめな人ほどカミングアウト出来る人を一人でも作ることが大事だと思う。

そして仮に今やめられても半年後にまた発症する可能性はとても高く、繰り返しだが、いかに後悔が残らない形で終えられるかが重要だと思う。

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