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桃色(だいぶショッキングピンク)の像と眠る

10代から敬愛するCoccoが昔から抱きしめていたぬいぐるみ 通称:モモゾウ

それと同じものがまさか自分の手元にやってくるなんて…あの頃からは考えられなかった

1999年頃、私はCoccoを知った
カウントダウンTVにハマっていた私は、そこにチラッとうつる濃い強そうな顔の女性が好きでは無かった

小学生の頃から、ほりが深いような強い顔の人と相性が良く無かったからだろうか

特集が組まれたとしても観ないぐらい興味が無かった

興味が出たのは
家庭が崩壊し
学校でも折り合いが悪く
どこにも居場所が無くなった時

姉の車で流れていた曲
その音楽は不思議なぐらいすっと
傷だらけの心に染みていった

でも同時に、その歌が好きだと大っぴらに言えないこともどこかで自覚していた

高校の頃、姉と間違えて同級生に
「Coccoのアルバム持ってる?」
とメールして冷や汗をかいたことがあった

それを好んで聞いていることが
「暗いやつ」と思われるであろうことを
自覚していたんだと思う

2010年、SNSのオフ会で
私は、今も交流が続くCocco仲間を得ることになるのだけど

Coccoファンが世の中から向けられるであろう
と私が考えてきた偏見
(メンヘラ、リストカット、OD)

はあながち間違ってはいなかったのだと自覚する

それまでネットの中で見たCocco好きな人は、傷つきやすかったり、逆に攻撃的だったり、不安定な人が多かったし、私自身も不安定だった

そしてそれは現実で出会う仲間にも大いに当てはまった

だから、偏見ではあるけれど間違いでは無かった

でも人はそれぞれ変わっていく
Cocco自身も、ファンも、私も

それなのに、この10年ぐらい
その偏見は私を苦しめた

私自身がCoccoを好きでいることを全否定されることもあった
仲間をCocco好きというだけで悪く思われることもあった

私自身も隠すようになった
たぶんこの土地に分かってくれる人はそう多くない

アプローチがあっても
私のこの根源の感性を否定された経験から

この人はきっと分からない…
と諦めてしまうことが多かった

Cocco仲間同士で結婚している友人は多い
それは「分かってもらえる」からなのだろう

私は…というと
結婚したいタイミングで知り合った人と
あまり深くも考えず結婚したのだけど

彼はCoccoそのものを知らなかった

先日、TVで歌うCoccoを見て
「歌うまいね。でもドリカムの方がうまいね」
と言われて、「そ、そう…」と思った

その時私は、偏見は
知っているからこそのものということを身をもって感じた


暗い、闇、おどろおどろしい
そんな偏見は、あなたが知ってるからこそ起こる

私も、あなたも
世界は偏見に満ちている

仲間だけで集まって分かり合って繋がりあって癒しあうのも良いけれど

もっと知ってもらいたいししっておきたい

色んな面を知って
その上で判断したいしして欲しい
そしてそれだって変わりうるものであることを知って欲しい

ロシアもウクライナも
イスラエルもアラブも

どっちかだけが悪でどっちかだけが善なのか

私も、あなたも
偏った情報と偏見の中にいるんだということを
どうか忘れないでいたい、いて欲しい







ps.沖縄のことを想う時、彼女のことを想う
また胸を痛めているであろう彼女のことを

沖縄がどうか大丈夫でありますように

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