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ひとりでドアをしめてひとりで名前消して

また逢う日まで 逢える時まで
別れのそのわけは 話したくない
なぜかさみしいだけ
なぜかむなしいだけ
たがいに傷つき すべてをなくすから
ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して
その時心は何かを 話すだろう

もみあげのおっちゃん、尾崎紀世彦の名曲「また逢う日まで」。この歌を聴いて、「そんなさっぱりした別れ方あるかいな!」と思う人もいるかもしれない。


わたしが20代のとき、5年間ほど同棲していた彼がいた。

わたしたちの場合は、わたしが一人で家を出て行ったので、この記事のタイトルどおり「(わたしが)ひとりでドアをしめてひとりで名前消して(厳密に言うとポストからはずしただけ)」出て行ったことになる。

ふたりではじめて借りた部屋は、名古屋にある、築30年くらいのよくある昔ながらの団地みたいなマンションだった。

入ってすぐ右手には洋室があって、そこには引越しで運んでもらった段ボール箱を放り込み、最後まで開かずの段ボール箱もあったっけ。

その奥は、リビングとキッチン。もともと2部屋だったところの壁をぶち抜いた部屋だったから、かなり広かった。ごはんを作って彼の帰りを待っていて、ささいなことでけんかをして、作ったものをそのままゴミ袋に放り込んだことがある。(今でも覚えている。あれはスパニッシュオムレツだった)リビングにいるとキッチンにあるそのゴミ袋が目に入って、また腹が立って泣けてきて。今の自分からは考えられないけれど、これが若気の至りってやつ。

入ってすぐ左手には洗面所とお風呂、トイレ。大家さんが入居前にリフォームしてくれたから、築30年で想像するような、おばあちゃんちっぽいタイルのお風呂じゃなかったし追い焚きできたし、トイレもウォシュレットつきだったし、洗面台はシャンプーできるタイプだった。

その奥は6畳の和室で、ここを寝室にした。わたしは前の家から持ってきたシングルベッドを置いてそこで寝て、彼は畳の上に布団を敷いて寝ていた。ベッドの脚のせいで畳が傷ついたかどうか、今となっては確認もできない。

別れてわたしが出ていってすぐ。彼から、クレイジーケンバンドのライブに誘われた。クレイジーケンバンドは、ふたりでよく車の中で聴いていた。「チケットをダメにするのももったいないな」と思いながらも、ここでライブに行ってしまったら、また元のふたりに戻ってしまいそうな気がして。だって、音楽って、そういう力があるでしょ?ふたりで共有してきた音楽にはそういう力が絶対にある。ケンさんには後ろ髪を引かれたけど、断った。でも、ケンさんは今でもすき。

これは後日談だけど、「もしあのときふたりでライブに行っていたら、ヨリが戻っていた気がするね」とお互いが言っている。

そう、別れてからもしばらくは連絡していたし、会っていた(し、ちょこっとヨリを戻しかけたこともあった。20代前半は本当に落ち着きのない女でした)。

だって、すごく嫌いになって別れたわけじゃない。明確にこうだから、という理由がない。だからか、なかなか縁を切れなかった。

5年間同棲していた彼氏がいたと人に話すと、必ず「そんなに付き合ってたのになんで?!」と言われる。そのたびに「何が嫌だったんだっけ?」と考えるけど、具体的に何がどう嫌で別れようと思ったのかがわからない。よく、「同棲期間が長くて、兄妹とか家族みたいな関係になってしまったから」と説明することがあるけど、そういえば今のわたしと旦那もそんな関係だ。元彼と旦那の何が違うか、ただ別れたか別れていないか、それだけ。

結局のところ、人生なんて縁とタイミングと選択と決断の積み重ねだ。彼との同棲期間があって別れたから、その次の出会いがあって別れがあって、また旦那と出会ったわけだから。

わたしにとって、はじめて借りたあの部屋は、後ろ向きの思い出じゃない。いまのわたしにつながっている。

だから、別れの理由は、つまびらかにする必要はないと思う。「また逢う日まで」くらいの潔さがあってもいいんじゃないか。最後に傷つけあって別れるくらいなら。

サポートしていただいたお金で、旦那さんにごちそうするのが夢です。