MBTIタイプとペルソナ

MBTIにおいて、「性格タイプが変わる」とよく聞くが、果たしてそれはあり得ることなのだろうか?

「あり得ない」とは言い切れないが、MBTIタイプとペルソナの違いを理解すれば、タイプが変わるということは容易にできることではないことが分かる。


キャラクターとは?パーソナリティーとは?

MBTIタイプはキャラクターである。キャラクターとは、先天的に備わっている性格である。

ペルソナ(その場に適した人物になるために振る舞う性格)はパーソナリティーである。パーソナリティーとは、後天的に身に着けた性格である。


先天的な性格をキャラクターと呼び、後天的な性格をパーソナリティーと呼ぶ。

もう一度言うが、MBTIはキャラクター、つまり先天的なものである。後天的なものではない。つまり後から変わることはない。


「MBTIタイプが変わる」と言うのは「目の色が変わる」と同じくらい通常ではあり得ないことを言っているのだ。



ペルソナをタイプと錯覚する原因

「タイプが変わった」という話を聞くと、ペルソナをタイプだと錯覚している人は多いと感じる。

特に、「進学や転職の度にタイプが変わった」と言っている人がいるがそれは間違いなくペルソナだ。タイプは環境が変わろうが本人の心に根付いているものなので環境に合わせて変わるというのはあり得ない。


「ペルソナは意識的、タイプは無意識である」というのは完全に間違ってはいない。しかし特定のペルソナで長期間過ごしていた場合、そのペルソナが習慣化され無意識でも振る舞えるようになってしまう、そしてそれがタイプと誤解されるようになってしまうのではないだろうか?



ありのままとは?どこまでが理想か

「自身の本来のタイプを知る際、理想を答えてはいけない。ありのままを答えるべき。」

タイプを調べる際、こういう注意がされている場合が多い。

この場合の「理想」とは何か?「ありのまま」とは何か?


「私は外での振る舞い方はxxxxタイプそのものだが、本当はxxxxタイプとして振る舞いたい。」これは理想と扱われがちだが、本当に理想なのだろうか?


「xxxxタイプとして振る舞いたい」と思う背景は何だろうか?

ただ単に憧れや「今までとは違う自分になってみたい」という興味であれば、それは理想である。

しかし「外での振る舞いは自分を疲れさせ、xxxxタイプのように振る舞えたら楽だ」と思うのなら、それは理想ではなくありのままの自分だと言えるのだ。

実際の外での振る舞い方を「ありのまま」と錯覚しがちだが、性格タイプでの「ありのまま」とは「自分が最も気楽でいられること」である。


自分のタイプについて考える際、「普段どう過ごしているか」ではなく「どう過ごすのが自分に合っていて楽か」を考慮すべきだと考えている。



私の場合

私が初めてMBTIを元にしたネット診断をした際、「ありのまま」「理想」の意味を履き違え、「社会的な振る舞い方」に焦点を当てて答えていった。ほぼ毎回のようにINFPという結果が出て、自身のMBTIタイプがINFPだとずっと思っていた。

しかし、心理機能について勉強していくと、私にとっては倫理よりも論理を優先させた方が楽だという事に気付いた。また、外界と内界について知ると、私が意識を向けやすいのは外界の方だと気付いた。


まあ16パーソナリティーズが名前の通り本当にパーソナリティーを求めるサイトであるのならば私はINFPでも間違っていないのかもしれないが、16パーソナリティーズの結果を元にMBTIという先天的な性格について考えたいのならパーソナリティーとしてではなくキャラクターとして質問に答えていかないといけないね。



多くの人々の話を聞き、わずかな人に話す

INFPの特徴に書かれていたこの文章は、社会での私の振る舞いそのものであった。しかし同時にそれに対してひどく悩んでいた。言いたいことを黙っているのは性に合わないからだ。

つまり、私の『INFP』というのはペルソナであった。


「確かに、自分はそうしているけどそれは自分に合っていない。」そう感じるのなら、ミスタイプをしている可能性が高い。


やられたことはやり返し、甘やかされるのには耐えられず、人がとりわけ頼み事をする際に、遠回しな言い方をするのを嫌います。

上記はENTPの説明であるが、私は内向型のペルソナを被って我慢しつつも心の底ではこのように常に思っていた。


黙っていながら喋りたい衝動に駆られ「伝えるべきだ」と常に思っており自分が喋れないのを脳の司令を体が受け取らないせいにしたり、倫理的に良いとされる行動を「効率のためだけにこのように動いて本当に良いのだろうか?」と思いながら取っていたりするのは、傍から見ればIxFxのように見えるが、実際の心の働きとしてはExTxではないだろうか。



一般的にMBTIタイプは変わらない

MBTIタイプは実際の行動ではなく本音で診断すべきだと考えている。なぜなら後天的な性格による要因が大半を占める実際の行動で診断してそれを先天的な心のパターンだとしてしまうのは間違っているからだ。それにそうしてしまえば、「本当は合っていないのに無理やりやらされている苦しいこと」を自分の心の働きとして受け入れてしまうことになるのだ。

それは先天的に根付いている心の働きによって生じたものではなく、周りの環境によって動かされているに過ぎない。社会的な行動を元にMBTIを考えるのはおすすめしない。

『心のパターン』とは内部深くに根付いているものであり、外部によって簡単に変化し得るものでは決してない。その変化させているであろう外部環境と切り離せば(ペルソナ的な)性格はたちまち変わるだろう。普段いる環境から切り離した際の、行動に影響する外部からの司令を何も受けない時の性格こそがありのままであるのだ。


人々は先天的に根付いている心のパターンを持っており、それをタイプ化したのがMBTIだ。それが変わるのは極めて稀なことであり、変化の要因が環境にあるとすればそれはMBTIタイプの変化だとは呼べない。それはペルソナの変化に過ぎない。


こうして考えてみると、ペルソナは簡単に変わり得るものでありMBTIタイプは生来変わらないのが一般的ではないだろうか。

というか、「MBTIタイプは変わる」説を信じている人は全員勘違いしているが、MBTIは生まれ持って、つまり後天的に変わらない性格についてのタイプ論であると定義している。変わるのであればMBTIではない。


多くの人は学校や職場で社会的な振る舞いをする事が一日の大半を占め、そういう人にとってはそれ以外の自分について考えるのは容易でないかもしれない。そういう人がタイプが変わると言ったりミスタイプしたりしているのではないか?

高校を卒業してから専門学校へ入学するまでの1ヶ月間、私は社会との大きな関わりを持つことはなく、「自分が最も気楽に過ごすためにはどうあるべきか」についてじっくり考えた。その際、自分は本来ExTxの心の働きを持っているがそれを社会のために抑えていることに気付いた。

IxFxとして振る舞う学校生活はとても苦しいものだった。それは自分の本来の性格を抑えてしまっていたからだ。



ソシオニクスはペルソナ

ソシオニクスは「ソシオ(=社会)」という言葉が含まれる通り、社会での振る舞いに焦点を置いて性格タイプを調べる。

先天的な外向の心のパターンを持っていても、社会で外界とあまり関わらないようにしていた場合はソシオニクスタイプは内向型となる。

いわばペルソナであるため、ソシオニクスタイプは環境によって頻繁に変わってもおかしくない。


複雑かもしれないが、MBTIにおいては「本来自分はどう過ごすのが最も気楽か」について考え、ソシオニクスにおいては「実際どのように社会と関わっているか」について考えるべきだ。


MBTIタイプは先天的であることを前提としているため、変わることはあり得ない。

ソシオニクスタイプは環境によって変わるし、意識して変える事も可能である。


客観的に見て分かりやすいのがソシオニクス、自分でないと分からないのがMBTI。



MBTIが客観判定できないわけ

MBTIは先天的な性格に対するタイプ論であり、客観的に見ている性格は後天的に身に付いたものである。

そのため、客観的にタイプ判定となれば多くの場合後天的に身に付けた性格をMBTIと呼んでいることになる。これはMBTIの主旨と矛盾する。つまりMBTIではなく、正確には『MBTIの後天的バージョン』なのだ。


「私の行動を見て何のMBTIタイプに見える?」と娯楽として予想し合う分には構わないが、本当に客観判定でタイプが知りたいのなら現状を語るより幼少期を語った方が良い。現状の性格はほとんど後天的なものになるので、その情報からMBTIタイプを求めることは困難である。

できれば常識を知らなかった頃の記憶を元にすると良い。人の性格は常識一つで大抵は簡単に変わってしまうものだからだ。

定義が先天性の性格である以上、周りの影響を考慮してはいけない。「やらなければいけないこと」に対する行動は先天性の心のパターンから生じたものではない。

先天的な性格を求める際、「もし何も周りからの圧力により性格が揺るがされることが無いのならどんな性格で振る舞うだろうか」を考える必要がある。それは非常に困難であるためセッションという手で専門家の力を借りて客観視してもらい近いタイプを探すという方法が最も有効として取られているが、そのセッションでさえ『客観判定』に近いもので違いはユーザー自身は判定しないというくらいである。

つまりMBTIタイプを求めることはMBTIが『キャラクター』を求める性格検査である以上、実は非常に困難なものなのだ。


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