棄てられた者の行方 29

 年が改まり、ダビデはヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を再びアンモンに送り出した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ある日の夕暮れに、ダビデは昼寝から起きて、王宮の屋上を散歩していた。かつて、サウルから逃げ回っていた頃、そして戦いに明け暮れていた頃の自分と現在の自分の違いに彼は思いを馳せた。今は軍隊が戦っている最中でも、自分は都で昼寝ができる身分となっている。近隣諸国まで平定され、自分の王国を脅かすものはもはやない。屋上から広がる景色はすべて自分のものとなった。彼は自分が今絶頂にいることを強く自覚した。軍隊は今、命がけで戦っている最中ではあるが、彼は晴れ晴れとした高揚感の中、大きく息を吸った。その時、彼は一人の女が民家の屋上で裸になり、水を浴びているのを目に留めた。彼女が水を浴びていたのは、生理が終わって身体を清めるためだった。女は大層美しかった。早速ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バテシバで、カナンの先住民の一つ、ヘテ人であるウリヤの妻だということが判った。夫ウリヤは軍隊の優秀な戦士30人の中の一人であり、軍の長ヨアブのもとで、今戦場でアンモンと戦っていた。ダビデはためらうことなく使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。女は家に帰ったが、しばらくして妊娠したことがわかったので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。慌てたダビデはヨアブに、ヘテ人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。しかしこれはあくまで表向きの繕いであり、それからダビデは本題に入り、ウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい」。もちろんダビデの本音はウリヤを家に戻して妻と性交させ、妊娠した子供を自分の子と思わせるためだった。そしてウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。これもウリヤが喜び勇んで妻のもとに帰るための策略だった。しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣、門衛たちと共に眠り、自分の家には帰らなかった。ウリヤが彼の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか」。ウリヤはダビデに答えた。「契約の箱も天幕に宿り、私の主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、私だけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。王様は生きておられ、王様の目は私を見ておられます。私には、そのようなことはできません」。ウリヤへのダビデの手厚い配慮は裏目に出ていた。ウリヤはダビデが自分にしていることは、自分を試してのものではないかと見ていた。このように自分の失敗を姑息な手段で覆い隠そうとするダビデに対し、ウリヤは公明正大であり、あくまでも職務に忠実で、堂々とした立派な戦士だった。しかし自分の工作が通じないと見たダビデはウリヤに言った。「今日もここにとどまるがよい。明日、お前を送り出すとしよう」。ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。ダビデが彼を招いたので、彼は王の前で食べたり飲んだりした。またダビデは彼を酔わせた。酔いにまかせて、あるいは妻のところへ帰るのではないかと思ったのである。しかし夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。翌朝、万策尽きたダビデはヨアブに宛てて書状をしたため、ウリヤに託した。書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。ダビデは忠実な家臣を殺せという残酷な命令を、殺される本人に手紙として持たせたのである。この奇妙な手紙に対し、ヨアブはダビデがしたこと、そしてその意図をすぐに察して、強力な敵の戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。こうした時のダビデとヨアブの関係はまさに以心伝心だった。ダビデがヨアブを退けられなかったのは、彼が戦闘の指揮に優れていたからだけではない。ヨアブが権力の汚さに通じており(ダビデの人間性もよく知っていた)、阿吽の呼吸でダビデの裏の顔を隠し、英雄視を高めるのに役立っていたからであった。そしてこのことでも、ダビデはヨアブに生涯の負い目を負うことになった。アンモンの町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。そして指示通りにヘテ人ウリヤも死んだ。ヨアブはダビデの命令の遂行にあたっては、部下を道連れにすることもいとわなかった。そしてヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告させるための使者を送り、彼に命じた。「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が怒って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から矢を射かけてくると分かっていたはずだ。昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。なぜそれほど城壁に接近したのだ』と言われたなら、『王のしもべヘテ人ウリヤも死にました』と言うがよい」。使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。使者はダビデに言った。「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで押し返すと、射手が城壁の上からしもべらに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、王のしもべヘテ人ウリヤも死にました」。ダビデは使者に言った「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣で戦えばだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ』、そう言って彼を励ませ」。ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のためにひどく嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは、噂として口から口へと家臣に、そして民に伝わっていった。

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