棄てられた者の行方 4

 その後、数年間が過ぎていったが、サムエルの評判はますます高まっていった。イスラエル中の人々は彼が民族の指導者となるべく神に立てられていることを認めるようになっていった。それに伴い、エリとエリの息子たちの評判は落ちる一方だった。それはまるで両者がシーソーに乗ったかのような様相だった。しかしそれでも、エリや息子たちは自分たちが民の信頼までも失っていることは気づいていなかった。特に息子たちにとり、血縁であることによって保証されている自分たちの地位は永久に不動に思われた。そうした結果がもたらす不幸は間もなく起こった。イスラエル民族とペリシテ人の間で戦争が生じたのである。部族体制のイスラエル民族に対し、ペリシテ人はパレスチナの地中海沿いに都市国家を築いており、各都市がそれぞれ君主体制を敷いていた。部族体制のイスラエルには専門の軍隊はなく、一般の人々が戦争時に召集されるという民兵による戦いであるのに対し、君主体制のペリシテ人には訓練された軍隊組織があった。戦闘ではもちろん専門の軍隊が強いのではあるが、民兵の利点は、戦闘に際しては民族全体の成人男子が戦闘員となるところにある。結果として、敵の軍隊をはるかに上回る圧倒的勢力となりえる。しかしそれは、民族の結束力と指導者の強力なリーダーシップがあってこそものである。今回の戦闘に際しては、エリと息子たちへの民の信頼も信望も地に落ちていた。しかしこの戦争に負けるようなことがあれば、ペリシテ側の支配地域がイスラエル側にも及ぶことになる。エリは全イスラエルに召集をかけた。民族の中で戦いえる成人男子は数十万人以上いたが、しかしこれに応じた人数はおよそ五万人だった。そしてそれ以上の問題は、民兵の士気が全然上がらないことだった。明らかに戦闘意欲に満ちているとは言い難かった。彼らは指揮をとるエリにも、その息子たちにも不満を募らせていた。この戦いが自分たちの民族の運命にとって重要であるから戦うことはわかっていても、エリの命令に従いたくないという思いが強くあった。互いの陣地は地中海沿いから続いているシャロンの平野に敷かれ、そこはアフェク(ペリシテ側)とエベン・エゼル(イスラエル側)が隣り合った国境地帯だった。力の差は歴然としており、初日の戦いでイスラエル側は4千人の戦死者を出した。陣営に負け戻った兵士たちの士気はますます下がっていた。陣営にはイスラエル諸部族の長老たちが参じてきており、戦況を見守っていたが、この敗戦に焦りを隠せなかった。彼らは言った。「なぜ今日、神は我々をお助けにならず、我々を討ち破れさせられたのか」。彼らは自分たちの敗北の原因を神の不在であるとしたが、問題はエリの指導者としての人望にあった。自らに対し甘い指導者は、民から棄てられるのである。そして続けての彼らの提案は驚くべきものだった。「なぜ神は今日ペリシテ人たちの前に我々をお討ちになられたのか。シロから神の契約の箱を我々のもとに持って来よう。そうすれば、神は我々の只中に入って下さり、敵の勢力から我々を救ってくださるだろう。神が我々の只中に存在して下されば、我々は勝利することができる」。これは、問題点を探ることも、戦略を練り直すこともなく、ただやみくもに神頼みにすがる姿勢であり、これで戦闘に臨むことはもはや無謀としか言いようがない。しかし陣営からシロに使者がただちに派遣された。神殿の下働きのレビの部族に属する者達(祭司階級も部族としてはこの部族であり、レビ部族の中のモーセの兄アロンの子孫だった)だけが、契約の箱を担ぐことが許されていた。従ってサムエルは除外され、神殿にとどまっていたが、下働きのレビ人たちが契約の箱を担いで歩いた。そしてその前には祭司であるエリの息子たちホフニとフィネハスが先導した。契約の箱がイスラエルの陣営に到着すると、皆が大歓声を上げた。それは大地が揺れ動くほどのどよめきだった。長老たちはそれを見て、この策の効果に大いに満足した。陣営の中は驚くほど勢いが増したのである。一方、このどよめきはペリシテの陣営にも響いてきた。彼らは互いに言った「イスラエルの陣営からくるこの大歓声は何だ」。ただちに偵察隊が派遣され、この騒ぎの原因が、イスラエル陣営に契約の箱が持ち込まれたからであると知らされた。ペリシテの兵士たちは非常に動揺して言った。「ああ我々は災いだ。今もそれ以前にもこのようなことは起こらなかった。我々は災いだ。イスラエルの神は強力な神であって、対抗して我々を救える者がどこにあるだろうか。誰がこの力ある神の手から我々を救い出すことができるか。彼らの神はかつてモーセを通して、様々な災いによってエジプト人たちを討っている。自らを強くせよ。ペリシテ人たちよ、彼らに対し強くあれ。勇敢に戦おう。そうでないと、イスラエル人が我々の支配者になってしまう。そうだ。彼らが我々に仕えたように、我々がイスラエル人に仕えないようにせよ。戦え」。こうして陣営への契約の箱の運び込みは、確かにイスラエル軍を喜ばせた一方で、それ以上に敵軍を引き締め、奮い立たせる結果となってしまった。その結果、戦闘はイスラエル軍の完敗に終わり、彼らは散り散りに敗走した。イスラエル兵の死者は三万人に及んだ。同時に契約の箱は敵側に奪われ、エリの息子たちホフニとフィネハスも戦死した。

 一人の男が戦線から走って、その日のうちにシロに来た。彼の衣は裂かれ、彼の頭の上にちりを被っていた。やって来た彼が頭から全身泥だらけの状態であるので、その姿を見た町の人々の中には、あまりの悲惨さに驚きの叫びを上げる者もいた。エリは町の広場に置かれた席に座っていた。彼は戦況の行方を案じるとともに、持ち出されていった契約の箱のことに気を揉んでいた。彼は町の騒がしさに驚き「この騒ぎはなんだ」と側近に聞いた。そう言う間も無く、逃げ帰ったその兵士がエリの前に駆け込んできた。「今戦場から戻りました。私は戦場から今日逃げて来ました」と彼は荒い息を吐きながら言った。エリは「どういう成り行きだったのか」と険しい顔で尋ねた。「イスラエル人はペリシテ人たちの前から逃げました。そして悲惨な殺戮によって多くの兵士たちが戦死しました。また、あなたのお二人のご子息たち、ホフニ様とフィネハス様も亡くなられました。そして神の箱が持ち去られました」。それだけ言うと彼は崩れるように倒れ伏した。彼が神の箱に言及した時だった。エリは仰向けに椅子から落ち、首を折って即死した。あっけないような最後だった。しかし悲劇はそれだけでは終わらなかった。この時、エリの息子フィネハスの妻は妊娠中で、臨月に差し掛かっていた。彼女は夫と舅の死、さらにはイスラエルが敗北し、契約の箱も失われたことを同時に聞くことになり、そのあまりの衝撃によって陣痛に襲われて屈み込んだ。そして彼女は精神的ショックと肉体の苦しみに耐えられず、意識が次第に薄れていった。駆けつけた産婆は生まれてきた子供を見て、母親を励ますように言った。「元気を出しなさい。跡継ぎの男の子がお生まれになりましたよ」。繁栄している時であれば、後継者の出産は、母親にとってはこの上ない喜びではあるが、民族が敗北し、夫も舅も死んでしまった今、それが何の意味を持つのだろうか。彼女は産婆の呼びかけを気にもとめず、応えることもなく、自分の死を前にして一言「イカボド(栄光は失われた)」と言い、「神の箱が奪われた故にイスラエルから栄光が転げ落ちた」とつぶやいた。そして夫、舅という、子供の名前の修正可能な存在がいなくなった今、この最後に残した言葉、イカボドがこの子供の名前となった。この後シロの町はペリシテ軍の侵入によって神殿もろともことごとく破壊された。そして神殿は二度と再建されることはなく、罪の結果がもたらす象徴として預言者団に伝わっていった。

 その後の契約の箱の運命は不思議なものであった。奪われた後の契約の箱は、地中海沿岸のペリシテ人都市国家アシュドドへ運び込まれ、彼らの国家神ダゴンの神殿に収められた。ダゴン像は頭が魚、胴体が人間だった。契約の箱はイスラエルでは、祭司でさえも、人間の手で触れることは絶対に許されず、運ぶ時には底辺の四隅に取り付けられている輪に二本の棒を通し、担ぎ上げる方法をとった。しかしペリシテ人たちにとり、それは敵の神の典礼用品、戦利品であり、そんなことはお構いなしであった。彼らは珍しさもあって触り放題であり、蓋を取って中を覗いたりしていた。彼らにとり不幸であったのは、この町に疫病が流行し始めていたことだった。それは全身できもので覆われてしまうものであり、現代で言えば天然痘だった。これはウィルスが原因であり、できものは内臓にも発生して、悪化すれば呼吸困難で死ぬ恐ろしい疫病だった。たとえ死は免れても、その後遺症は痕として残った。結果としてアシュドドではウィルスは契約の箱にも付着したのであるが、逆に人々は、この疫病の流行がイスラエルの神の怒りのためであり、それはこの契約の箱に由来すると考えた。アシュドドとその支配地域は天然痘による腫れものによって打たれた。またその頃、ダゴンの像の頭と両手が切り離され、胴体が契約の箱の前に倒されているという事件が起こり、それもイスラエルの神によるものととらえられ、住民は震え上がった。アシュドドの人々はこのような事態を見て言った。「イスラエルの神の箱を我々のところに留めておいてはならない。なぜなら、イスラエルの神の手が我々の上と我々の神ダゴンの上に重くのしかかったからだ」。彼らは使者を派遣して、ペリシテ人の君主たち全員を自分たちのもとに招集した。そこで君主たちは集まって協議した。彼らは言った「我々はイスラエルの神の箱をどうしたら良いか」。彼らは互いに言った「イスラエルの神の箱はガテに回そう」。こうして彼らは同じ都市国家であるガテに移すことに決めた。理由は、ガテでは深刻に受け止められてはおらず、この協議に参加してこなかったための欠席裁判だった。ガテからは文句をつけられなかったので、彼らはイスラエルの神の箱を強引にガテに送った。彼らがそれをガテに回した後、疫病は契約の箱ばかりではなく、運び込んだ人々をも通して、またたく間にガテ中に広がった。こうして疫病は老若男女、貧富の差にかかわらず、町の人々を打った。そして町の中に非常に大きな恐慌を引き起こした。すなわちはれ物が町中に発生したのである。ガテの人々は悲鳴を上げ、どこへでもいいから契約の箱を送り出せとばかりに、たまたま送られた町は近くのエクロンだった。神の箱がエクロンに入った時に、エクロンの人々は叫んで言った。「これは陰謀だ。ペリシテの君主たちは仲間である我々を滅ぼそうと企んでいるのだ」。ついに騒ぎは、ペリシテ人都市国家の同盟をも崩しかねない状況となった。契約の箱の持って行き場に万策が尽きた君主たちは再び召集され、イスラエルに戻そうということになった。彼らは言った「イスラエルの神の箱を送り、そのもとの場所に戻そう。そうすれば、私たちの民を死なせないだろう」。それはペリシテ地方に疫病が非常に重くのしかかっていて、町々のすべてにわたって死の恐慌が襲っていたからである。死ななかった人々もはれ物の後遺症で苦しんだ。こうしてペリシテの町の叫びは天に達した。神の箱はペリシテ地方に七か月あった。そして彼らはどのように戻すか相談するために、ダゴンの神殿の祭司や占い師を呼んで尋ねた。「我々は神の箱に何をすべきか、元々の場所にどのように送り返せば良いか我々に知らせよ」。彼らは答えた。「もしイスラエルの神の箱を送るならば、それを手ぶらで送ってはなりません。イスラエルの神には必ず贖罪のささげ物を添えて戻さねばなりません。そうすればあなたがたは癒されるでしょう。また、神の手があなたがたから離れない理由も知らされるでしょう」。ペリシテ人の君主たちは言った。「それでは返すにあたって、贖罪のささげ物は何がよいだろうか」。彼らは答えた「ペリシテの君主たちの人数にしたがって、五つの金のはれ物と五匹の金のねずみを添えなさい。同一の災厄があなたたちの国とあなたたちの民にくだったのですから。あなたたちは自分たちのはれ物の形とこの地を荒らすあなたたちのねずみの形に似せたものを作らねばなりません。そしてイスラエルの神に栄光を帰しなさい。はれ物の模型と大地を荒らすねずみの模型を造ってイスラエルの神に栄光を帰すならば、おそらく彼はあなたがたの上から、あなたがたの神の上から、あなたがたの地の上から彼の手を引くでしょう。どうして、あなたがたは自分たちの心を頑なにすべきでしょうか。なぜならモーセの頃、エジプト人たちとファラオは彼らの心を頑なにしたので、イスラエルの民の故に過酷な目にあって、結局彼らを去らせ、彼らは出ていきました。そこで今から取り掛かって、新しい荷車を一台作りなさい。まだ軛につないだことのない二頭の乳牛を用意しなさい。そしてその乳牛を荷車につなぎなさい。そしてさらに子牛たちを彼らの背後にある家に戻しなさい。また神の箱を取り、それを荷車に据えなさい。そして贖罪のささげ物として送ろうとしている金の作り物を別の箱の中に入れなさい。それからあなたがたがそれを去らせれば、神の箱は出ていくでしょう。あなたがたが見ていて、もし自分の国への道を、イスラエルのベテシムイシに向かって上っていくならば、イスラエルの神がこの大きな災いを我々に対して行ったということです。しかしもしそうでなければ、これは彼の手ではなく、たまたま我々の中に災いが生じ、我々に起こったことだということになります」。それで君主たちはこの助言に従い、従者たちに命じたので、彼らは二頭の乳牛を連れてきて、それらを荷車につないだ。そして子牛たちを家の中に閉じ込めた。それから彼らは神の箱を荷車に据えた。そしてまた別の箱の中に金のねずみとはれ物の作り物も入れた。すると雌牛たちはベテシムイシへと道の中をまっすぐに進み、公道の中を一筋に鳴き声を上げながら進み続けた。それらは右にも左にも曲がらなかった。ペリシテ人の君主たちは、ベテシムイシの境界までそれらの後をつけて行った。さて、ベテシムイシの人々は谷で大麦の刈り入れの最中だった。彼らは目を上げて箱を見た。彼らはそれを見て喜んだ。そして荷車はヨシュアという者の畑に来てそこで止まった。そこには大きな石があった。彼らは荷車の木を裂き、雌牛たちを神への焼き尽くすささげ物とした。レビ人たちは神の箱とそれとともにあった箱を降ろした。その箱の中には金の作り物があり、彼らはそれらを大石の上に置いた。ベテシムイシの人々はその日神に焼き尽くすささげ物を燃やし、犠牲をささげた。ペリシテ人の五人の君主たちは見て、その日にエクロンに帰った。このようにしてペリシテ人たちが送った金のはれ物は神への贖罪のささげ物であり、そのうちわけは、一つはアシュドド、一つはガザ、一つはアシュケロン、一つはガテ、一つはエクロンのためだった。しかしベテシムイシの人々のあるものたちは神の箱に触れ、中を開けて見てしまった。結果として七十人ほどが疫病に倒れた。それで民は嘆いた。神が大いなる打撃を民に加えたと思ったからであった。ベテシムイシの人々は言った「この聖なる神の前に誰が立つことができるだろうか。誰が神の箱を守り、神の仲立ちができるだろうか」。そこで彼らはキルヤト・エアリムの住民に使者たちを遣わして言った。「ペリシテ人たちが神の箱を戻しました。来て、それをあなた方のもとに上らせてください」。キルヤト・エアリムの人々は来て、神の箱を担いだ。そしてそれをギベアにあるアビナダブの家に入れた。彼らは神の箱を保管するために彼の息子エルアザルを聖別した。その日から箱はキルヤト・エアリムに置かれるようになった。

 こうしているうちに疫病は収まっていったのであるが、イスラエルはペリシテ人の支配下に置かれることとなった。彼らは生活の細部にわたってペリシテ人の許可が必要となり、また重い税金が課せられた。また収穫時には産物が持ち去られるような事態が常態化していった。そのため、人々はペリシテ人の目に触れない所に収穫物を隠さねばならなかった。そのような中、ペリシテ人の支配を覆すことのできる新しい指導者を待ち望む声は次第に高まり、それは当然のようにサムエルへの期待に変わっていった。


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