棄てられた者の行方 5

 そのサムエルはシロが破壊された後、荒野で集団生活をする預言者団のもとへと逃れていた。彼は師であるエリの所へ来て断罪した預言者を見、その重要性に気づいたのだった。あの預言者が一刀両断にエリを断罪したように、自分もエリを神の意思として棄てることを決断させてくれたのである。そして、若者ながら、その知恵と知識で高名なサムエルを預言者団の方も歓迎した。優秀な彼は、預言者としての才能も認められ、次第に集団の指導者へと上り詰めて行った。真実には、預言とは宗教的感性、感受性の優秀さが基本となる。しかし、サムエルの場合、知性や学習能力、勘の良さを基本としていて、預言者本来のものとは異なっていた。彼の優秀さは預言者としてのふるまいにも完璧に表され、その本質的違いを、純粋で素朴な預言者団の人々は気づくことはなかった。預言者団がサムエルを指導者に立てていく中、イスラエル民族が指導者としてサムエルを求める気運が盛り上がり、預言者団の支持を背景として、サムエルは民族の指導者としての最有力候補となっていった。通常、預言者は政治的、軍事的指導者のアドバイザーであり、預言者であることと政治的指導者であることが重なることは珍しい。その点でサムエルはイスラエル民族のもっとも偉大な指導者であったモーセの再来だった。カリスマ的指導者としてのサムエルへの期待は、戦争の勝利という実績がない段階で、すでに高まっていた。

 エルサレム北方、約12キロほど行った所に、ミツパという町があった。通常の町が代々の壊れた家(素材は土煉瓦)の堆積による丘の上にあるのに対し、この町は石灰岩の丘の上に立っており、四方は切り立った崖となっていて天然の要塞だった。そしてこうした町にはさすがにペリシテ人も支配を及ぼすことができないでいた。イスラエル諸部族の長老たちはこの町に密かに集結し、サムエルを呼び寄せた。ペリシテに反旗をひるがえすため、彼らはともに協議し、サムエルを新しくイスラエルの指導者である士師とする決断をした。それはすでにサムエルの名声と期待が民族全体に及んでいたからであり、彼が号令をかければ人々が集結することは確実と見られていたからである。そして全部族に伝令が出され、サムエルの名前で召集がかけられた。サムエルは言った「イスラエル人をミツパに集めなさい。私はあなたがたのために神に祈ろう」。人々は続々と各地から集まってきた。サムエルに課せられた任務は、人々や部族間に生じた日常での問題の解決など、政治的、司法的なものもあったが、最大のものは、ペリシテ人の支配を覆すという軍事的なものだった。サムエルが実質的に指導者として認められるかどうかは、戦闘に勝利できるかどうかにかかっていた。イスラエルの民がミツパに集結しているという情報はペリシテ人の君主たちにも届いた。そこでペリシテの都市国家の連合軍が召集され、ミツパへと進軍してきた。イスラエル側が寄せ集めの民兵であるのに対し、彼らは訓練された専門の軍人たちであり、しかもその数は十数万人であった。それに彼らには不届きな反乱者たちを鎮圧するという大義名分があった。大軍が進軍してミツパの近くにいるという知らせにイスラエル側はうろたえた。敗北は目に見えていた。恐怖にかられた民はサムエルに言った「どうか我々の神に叫ぶことを我々のためにやめないでください。神は我々をペリシテ人の手から救ってくださいます」。そこでサムエルは乳牛を持って来させると、祭壇の上で神への犠牲として焼き、大声で祈った。もはや神頼みしかないという窮状は、契約の箱を持ち込んで大敗北した時と同じである。しかしここで、エリとサムエルの運命を分けたのは天候だった。雷が突然発生し、ペリシテ軍の進軍に乱れが生じた。サムエルはこの機を逃さなかった。ミツパから崖を下り降りていって、上から大軍に襲い掛かるよう号令をかけた。雷にうろたえて軍に乱れが生じた所にイスラエル民兵の塊が上から襲いかかっていった。そして迷うことなく、一団となってペリシテの将軍へと向かっていき、その首をとった。不覚にも将軍の首を取られたペリシテ軍はあわてて敗走した。この戦いにサムエルは奇跡的に勝利した。客観的には奇跡的な勝利に見えるが、エリとサムエルの勝敗を分けたのは、彼らの指導の下で戦った民の団結力の違いだった。それはかつてのエリが指導者としての信頼性を失っていたことだった。また、好機をつかんだサムエルの勘の良さ、イスラエルの独立に向けての民衆の強い願い、新しい指導者への期待感がこの勝利につながった。イスラエルの人々はペリシテ人たちを追い、ベテコルの下まで行って彼らを討った。サムエルは一つの石を取り、ミツパとシェンの間に据え、その名前をエベン・エゼル(救いの石)と呼んだ。彼は言った「ここに到るまで、神が我々を救い続けて下さった」。その後イスラエルは、ペリシテ人たちがイスラエルから取った領地を奪い返し、町々はイスラエルに戻っていった。そしてサムエルは名実ともにイスラエル民族の士師として指導者の地位に着くことになった。勝利した彼が凱旋地として選んだのは故郷のラマだった。サムエルは多くの従者、勝利に沸く民衆を従えてラマへと向かった。ラマは彼が三歳の時に離れた時から立ち寄ることはなかった。自分は棄てられたという思いがそうさせた。しかしいつかは大きく成長した姿を親族、町の人々の前に現したいという願望を持ちながら生きてきた。残念ながら、父母はもうこの世にはいなかった。しかし兄弟たち、親族の多くは健在だった。サムエルが町に近づくと、町の中はすでに大騒ぎだった。彼が町に入る前からすべての者が、サムエルを一目見ようと門の前の広場に集まっていた。大歓声の中、多くの従者を従え、ろばに乗ったサムエルは背筋を伸ばして町の門を入っていった。人生最良の日だった。こうして彼は士師としての活動をこの町を拠点として開始していった

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