棄てられた者の行方 8

 サムエルはミツパで民の主だった者を呼び集めた。この町はサムエルが初めて大勝利を収めた記念の町でもあった。サムエルは民衆を前にして怒りを込めて言った「私は若いころから今日まで、あなたたちの指導者として、士師として歩んできた。私が、だれかの牛を取り上げたことがあるか。今神の前で私を訴えなさい。だれかのろばを取り上げたことがあるか。だれかを抑えつけ、だれかを踏みにじったことがあるか。だれかの手から賄賂を取って何かを見逃してやったことがあるか。あるなら、償おう」。 彼らは答えた「あなたは我々を抑えつけたことも、踏みにじったこともありませんでした。だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした」。 サムエルは言った「今日、あなたたちが私の手に何一つ訴えるべきことを見いださなかったことについては、神が証人だ」。彼らは答えた「確かに証人です」。 彼はこう告げた「あなたたちの上に君臨する王がやろうとすることを告げよう。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。 また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。 また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を税として徴収し、重臣や家臣に分け与える。 あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。 また、あなたたちの羊の十分の一も徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。 その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、神はその日、あなたたちに答えてはくださらない。それでもよいというのか」。これを聞くと民衆の伝統的反王制派は一斉に叫んだ。「サムエルの言うとおりだ。絶対に王など立てるべきではない」。サムエルは続けた「我々は神を王とする信念で王国と戦ってきた。あなたたちは私を棄てたのではない。あなたたちの真の王である神を棄てたのだ」。反王制派からすれば、王国体制になることは、神による支配以外は認めないという民族の信念と理想を棄て、現実主義になることだった。サムエルはやはり民族の、歴史の代弁者だという思いと信頼感がそこにいる人々の間に広がった。こうして盛り上がり、その場の雰囲気を支配していく反王制派に対して、王制を求める人々にとって不思議だったのは、王制派の主だった有力者たちが何も言わず、じっと黙って見守っていたことである。さらにサムエルはイスラエルの人々に告げた。「イスラエルの神は仰せになる。『イスラエルをエジプトから導き上ったのは私だ。私があなたたちをエジプト人の手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』。しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け、『我々の上に王を立ててください』と願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに神の御前に出なさい」。サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ここでサムエルによってくじによる選出がなされた。そしてベニヤミン族がくじで選び出された。そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された。人々は彼を捜したが、見つからなかった。しかしある者が言った「見ろ。彼は荷物の間に隠れている」。裏を知っているサウルはこれら一部始終を見ていて恐れをなしたのだった。サムエルがやっていることにである。彼は思った「サムエルは徹底的に反王制を主張し、伝統に立つ反王制派を引き寄せておいて、半ばやけくそのようにして王を選ぶ方へと持って行った。なんというやり方をしたのか。これで反王制派は黙るのだろうか」。 人々は走って行き、そこから彼を連れて来た。サウルが民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。 サムエルは民全体に言った「見るがいい、神が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない。あなたたちの神があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』と私に要求した。今、見よ。あなたたちが求め、神が選んだ王がここにいる。神はあなたたちに王をお与えになる。だから、あなたたちが神を畏れ、神に仕え、御声に聞き従い、神の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神に従うなら生きるであろう。しかし、もし神の御声に聞き従わず、神の御命令に背くなら、神の御手は、あなたたちの先祖の上に臨んだように、あなたたちの上にも臨むであろう」。王を立てることそのものが神に背くことではなかったのか、とサウルは思った。しかし王制反対派には、サムエルは自分たちの立場を代弁しているという思いが先立ってしまい、とっさにその場でそのことに気づく者はいなかった。人々はサムエルのレトリックに騙されたのである。それに気づくのはしばらく時間が経ってからであり、その時には王国はもう動き出していた。サムエルは丁度地中海の方角から雲が湧き出てきているのを見て言った。「さあ、しっかり立って、神があなたたちの目の前で行われる偉大な御業を見なさい。今は大麦の刈り入れの乾期ではないか。しかし、私が神に呼び求めると、神は雷と雨とを下される。それを見てあなたたちは、自分たちのために王を求めて神の御前に犯した悪がいかに大きかったかを知り、悟りなさい」。サムエルが両手を挙げ、神を呼び求めると、しばらくして空が黒雲で覆われ、雷が鳴り、雨が降ってきた。雷はまさに神の轟に聞こえた。民は皆、神とサムエルを非常に恐れた。そしてサムエルに願った「しもべたちのために、あなたの神に祈り、我々が死なないようにしてください。確かに、我々はあらゆる重い罪の上に、更に王を求めるという悪を加えました」。サムエルは民に言った「恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、逸れることなく神につき従い、心を尽くして神に仕えなさい。神はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。神はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである。私もまた、あなたたちのために祈ることをやめ、神に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに神の言葉を伝え、正しく善い道を教えよう。神を畏れ、心を尽くし、まことをもって神に仕えなさい。神がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。悪を重ねるなら、神はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう」。その後、サムエルは民に王の権能について話し、それを書に記した。それから、サムエルはすべての民をそれぞれの家に帰した。サウルもギベアの自分の家に向かった。心を動かされた民兵たちは、サウルに従い、家臣団、軍人となっていった。しかし王制反対の者たちは言った「こいつがどうして我々を救うのか」。彼らはサウルを蔑み、贈り物ももちろんしなかった。しかしサウルは黙っていた。この後、反王制派の多くの者がこの結果には不満を持つようになった。彼らはサムエルの計略によって騙されたと気づくようになった。まさにサムエルは、徹底的に伝統的反王制の者たちの立場に立って代弁することにより、彼らの信頼を得、その信頼をてこにして、神の赦しという宣言をなし、王国の樹立を勝ち取ったのであった。このことにより、反王制の者たちには、サムエルは自分たちの立場をよくぞ代弁してくれたという思いが残ると、サムエルは計算した。サムエルにしてみれば、正反対の両者の立場を結びつけることは理論的に不可能で、これしかやりようがなかったともいえる。そしてサムエルはこの方法によって、政治的にはキングメーカーとして、また宗教指導者としては神の言葉、命令のとり継ぎ手として、民衆の指導的地位にとどまり続けることになった。しかしサムエルの誤算は、王の権力を甘く見ていたことと、この強引なやり方で皆が納得したわけではないことにある。民衆の間には反王制の伝統は根強く残り、王国への批判という形で表面化することになった。特に北イスラエル地方では、王制が安定することはついになかった。

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