めずらしく誕生日の日記

こんばんは。深瀬です。
今日はめずらしく誕生日で、久しぶりに目に見える形の加齢をしました。それに伴い自分のこれまでの年齢観を書いてみます。

小学生くらいの頃はあんまり生きてる実感がなかったというか時間の流れの存在を把握出来てなかったです。
例えば夏休みって、小学生の頃は始まったら永遠に夏休みが続くような「無限夏休みモード」に入って、ある日突然終わりが来る感覚だったんです。今は始まった瞬間に終わりを考えてしまうけれど。
だから当時は自分が生きていていつか死ぬということをあまり得心していませんでした。

中学、高校のころは大学生くらいでさっさと死のうかなあと思っていました。
言い難い窮屈さゆえ現実でずっとやっていくの無理だろうなという気持ちと、死ぬなら社会に損害を被らせて死にたいという謎ベクトルのゴミみたいな気持ちがあって、大学卒業してから死ぬと税金を無駄にできるなあとぼんやり考えていました。
もちろんこんな考え事ばかりしていたわけではなくて、楽しい時間も沢山ありました。大丈夫。

打って変わって大学生の時分は早く歳をとりたいと思っていました。
これは自分のモノの見方であると前置きして書きますが、女性は、特に若いうちは外見の美醜が評価に繋がりやすいと感じていて、私はどちらかというと醜寄りの人間だからその評価軸が強い世界で幸せになれる可能性は低いです。
なんで可愛いか否かのフィールドで戦わされる瞬間を避けられないんだろうなと思うけど見た目の印象は大切だし切り分けるのは難しいですね。

一応見た目をマシにする努力はしたつもりですが、歳をとったらそういう軸で外野に見られることが減ると信じていたから、なるべく早く加齢したくて、なるべく早く十把一絡げの中年になりたくて、年齢の数字が小さいことに何のブランド力も感じないままでした。

今はまた考え方がかわって、流れに任せようという気持ちになりました。これまでで一番自然で程よい状態です。

やりたい事がまだまだいっぱいあるので全く死ぬ気が無いです。10年前の自分と会ったら驚くだろうなあ。


誕生日はたまたま数が一つ増えるだけでそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれません。ただの通過点であって断続的に歳を重ねているわけだから。でもどうなんでしょう、もう少し経ったら十の位が上がることに怯えて暮らすのでしょうか。

昔は誕生日とクリスマスとお正月が一括にされたり、学校は冬休みで友達に会えないのに両親はまだ仕事だったり、大きくなってからも誕生日当日に嬉しくないことが色々あったんですが、12も28も約数が多いので良いです。1228と四則演算で10作れるし。素数で無いならば約数は多い方がよい。諸説ある。

ではまた。これからの1年も生きていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?