黒猫王の帰還と五つの太陽の再臨

 南米大陸縦断鉄道トルメンタ・デル・ソル号の事件で生き残ったのは二人の子供と一匹黒猫だけだった。ブエノス・アイレスから北へ約百キロ、コンセプシオン・デル・ウルグアイの高架のなかほどで、たった二本の採掘用ダイナマイトのために機関車と十両の客車、四両の貨物車がラ・プラタ河に沈んだ。
 アレクセイ・ロマノフは当時八歳の少年だった。彼はのちに死の刹那、すなわち大陸の南端カボ・デ・オルノスの波打ち際でカソリックの狂信者に心臓を貫かれる満月の夜に、皮肉にも同じような月の夜、母の膝の上からラ・プラタへと投げ出された瞬間を思い返すことになる。黒ぐろとした水面に、百万に及ぶ金色に光る渡り蝶が映り、爆発で吹き飛んだ手紙の山がライスシャワーのように降り注ぐ。車両は水しぶきを上げて一挙に川底に落ち込み、未だに水辺を彷徨うスペインの侵略者たちの霊を震わせた。
 妹のマトリョーナは四歳で事件をほとんど覚えてはいなかったが、無意識に刻み込まれた鉄道への恐怖が彼女を密林の寒村に閉じ込め、結果、ヨナルデパズトリの棺を開くことになる。
 しかしトルメンタ・デル・ソル号以降、数世紀ものあいだ歴史の闇に蠢くことになる修道会の発足にいっそう寄与したのは、ロマノフ兄妹の方ではなく、アイルランド生まれの一匹の黒猫だった。それはトゥルン・ウント・タクシス家の老紳士がダブリン城で拾った猫で、紳士は首輪に小さな翡翠の玉をつけ、どこを旅するのにも一緒に連れて回った。事件の折、黒猫はフォークランド諸島に向かう主人の横で山高帽子に入って眠っていた。
 一五二七年、エルナン・コルテスがアステカ帝国より持ち帰った略奪品のうち最も忌まわしいもの、コルテスがテノチティトランの血塗られた神殿で与えられたケツァルカトルの翡翠の仮面、その一部が偶然にも南米に帰還したのである。
 全て事の次第を語るには一五一九年の十月、コルテスのチョルーラ人虐殺まで遡らねばならない。

【続く】

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