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俯瞰学の技法:時系列的俯瞰

時系列的俯瞰 日本経済の3フェーズ
俯瞰学の技法にはいろいろあるが、解り易くて強力な技法は時系列的な俯瞰である。長期的な時系列データは、日常的な狭い視野で失われていた大局的な事実を再発見させ、現在を正しく再認識させてくれる。時系列的俯瞰の一つの例として日本の経済成長の俯瞰的認識を紹介する。
日本経済について、様々な解説がされているが、1956年から現在までの経済成長率の時系列データを見ると、日本経済に3つのフェーズがあり現在は第3フェーズにあることがわかる。別に上梓してある図表をされたい。
第1フェーズは約10%の高度成長期である。東京オリンピックそして大阪万博という日本が先進国になる時期である。この時代は新幹線、高速道路、首都高速というインフラが整備され、住宅には水洗トイレが普及していった時代であった。食卓にも肉が並ぶ時代でもあった。日本は昭和22年まで平均寿命は50歳以下であった。国民全体が栄養失調の時代がやっと終わり、平均寿命はぐんぐんと延伸し、子供たちの身長もどんどん伸びていった。東京オリンピック後の1967年日本の人口は1億人を超えた。未来に対する不安は誰も感じていなかった。
そしてこの時代は「作れば売れる時代」であった。なにしろモノがない時代であった。カメラが欲しい、テレビが欲しい、車が欲しい、しかし手が届かない、 2 DKの団地が高倍率の抽選で当たると夢のような生活が始まる、そんな時代であった。
石炭、鉄鋼、肥料、石油化学といった重化学工業の産業に次いで、自動車と電機、機械という生活に密着した産業が急速に成長した。ソニーやホンダが創業した時代である。カメラやトランジスタラジオが輸出の花形であった。安くていいものを作れば飛ぶように売れた。力強い需要が日本はもとよりアメリカやヨーロッパにもあったから、輸出によって日本の製造業は急成長していった。 なにしろ1ドル360円というとんでもない円安の時代であった。
ただ、1971年にはニクソンショック「ドルの金兌換停止」がありこの超円安の時代は終わった。
第2フェーズはオイルショックというハードランニングで始まった。 74年からバブル崩壊の1991年の期間である。この時代、経済成長率は約5%である。
第4次中東戦争の影響により原油価格が約5ドルから12ドルに不連続的に高騰した。これは低価格の石油によってエネルギー革命を成し遂げていた日本経済を直撃した。 1974年には高度成長からいきなりマイナス成長になった。オイルショックは日本経済に大混乱をもたらした。国民全体がパニック状態になり、今では考えられないトイレットペーパーの買い占めというような荒唐無稽な行動に皆が狂奔した時代でもあった。
その後の1980年の第2次オイルショックでは、原油価格は、一時は40ドルに近い水準になった。わずか数年間で5ドルの原油価格が40ドルに迫った。ありとあらゆる知恵を絞った省エネルギーの努力がなされた。結果として日本は産業の構造改革が進んだ。日本人はがむしゃらに働いてこの石油ショックを乗り越え、80年代は日本の黄金時代となった。
ベトナム戦争で疲弊したアメリカ経済を支援するため、1985年にはアメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、そして日本の先進5ヶ国がが外国為替市場に協調介入して、ドル高を是正するプラザ合意がされたが、結果として円は100ドル近い円高に不連続的に切り上がった。それを乗り越えて日本は、鉄鋼業、造船業、半導体産業、自動車産業と製造業が世界一になり、世界第2の経済大国となった。今では考えられないが、米国から日本式経営の研究に来た。アメリカは属人的な日本式経営のノウハウを科学的なシステムとして取り入れてその後の成長に繋げていった。例えばQCサークルはSIX SIGMAという経営管理技術として移転された。
1989年12月29日には日経平均株価3万8,900円を超えた。経済の実態と大きく乖離した不動産バブルは日銀の金融引き締めによって終焉した。この時就職活動をしていた学生はいきなり氷河期に突き落とされた。その人達もいまや45歳を超えた。失われた20年と今でも口にする人がいるが、 45歳以下の人たちにとって失われたものはない。
第3フェーズはバブル崩壊というハードランニングで始まって今日に至る。この間経済成長率は約 1%である。2%近い成長率であった日本経済も、リーマンショックで再びマイナス成長に落ち込んだが、国民全体の忍耐と努力によって1%の水準に戻し、第4フェーズに転落することはなかった。
この第3フェーズではデフレ脱却ということで巨額の国債が発行されたが、何の効果も生んでいない。さらに追加の国債を発行するというが、何か判断ミスがあるとしか思えない。
中国経済の減速が世界経済変調の原因と言われているが、ニューノーマルへの移行は、日本経済の俯瞰的な認識に立てば、中国も第2フェーズに入ったと言える。公式には6%を超える成長率を発表しているが、 5%が適切な成長率であろう。いま現在はこの水準を割っていると思われるが。
今一度全体を俯瞰してみると、第1フェーズは作れば売れる時代、第2フェーズは差別化をしないとテレビの自動車も売れない時代、第3フェーズではモノに関しては完全に充足されてモノの需要は弱い。代わって生活や精神的に関する需要は強い。生活者が抱える社会的な課題を解決する産業や事業の時代となった。国内では、医療・健康、安全・安心、再生エネルギー、環境保全に関連する事業で成長するしかない。ただ、顧客にとって差別化にならない差別化戦略で崩落していた電機産業を目の当たりにすると、第1フェーズや第2フェーズの体験を持った高齢の経営者はまだその時代感覚で経営しているのではないかと思われるふしがある。そして第1フェーズで建設された郊外の団地には現在の日本経済を作り上げた人たちが静かに暮らしているかに見えるが、深刻な超高齢化の問題となっている。エレベータがない旧い公団住宅は終の家とはほど遠い対の家とはほどとおい遠い。
幸い今回のコロナ禍では経済成長率では第4フェーズにはならなかったが、見えてきたコロナ後の世界はある意味第4フェーズと認識した方がいいだろう。


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