見出し画像

なぜ俯瞰学か

なぜ、今、俯瞰学か。1995年以降パソコンが普及し、それがインターネットにつながることによって、発信される情報が爆発的に増えた。そしてその情報がさらに新たなる情報発信を亢進する。加えてスマートフォンがさらに情報の爆発と共有を革命的に加速させている。世界中でツイッターやフェイスブックで発信され、共有される情報の全体は、まさに銀河系のように巨大で全貌は誰も把握できない。また書籍、記事、研究論文のような論理的に構造化された情報も爆発的に増加している。
個人的な経験であるが、書籍や雑誌の記事は、かつては原稿用紙に万年筆で書いていた。雑誌の記事として、原稿用紙20枚を仕上げるのにたっぷり一晩かかった。研究論文も何本も書いたが、手書きし、タイプする。タイプミスをするとその部分に白いペイントを塗って上書で修正した。この作業は根気のいる、時間の掛る作業であるので、手書きの原稿の段階で推敲を重ねて、完全な原稿に仕上げなければならない、これも長い時間を要した。そしてやっと完成すると航空便で学会の査読者に送る。何週間か経つと査読者から修正に関するコメントが航空便で届き、その修正を加えた原稿を、またタイプをし直して航空便で送るという、今では考えられないような長い時間がかかった。
それがパソコンによるワードプロセッシングで修正を繰り返し、インターネットのメールでファイルを送る、という現在のプロセスは、参考論文の検索・入手を考えると、100分の1以上の生産性向上を実現した。
結果として学術論文の数が90年代後半から爆発的に増えた。例えば燃料電池および太陽光電池に関する論文発行を見ると、90年代後半までは年間の発行数が300本くらいであったのが2000年代になると1,000 2,000 3,000と爆発的に増えている。年間300本くらいまでであればその分野の研究者は、学会のプロシーディングをパラパラ斜め読みすることでその分野の研究の進捗を把握できたが、 1,000を超すとこれは不可能になる。という事は特定の専門領域でさえ全貌を認識している研究者いない。さらに研究の進捗は専門分野の深化となり、専門分野は細分化される。細分化された専門分野の研究成果はその細分化された専門家以外は知ることも、評価することも難しくなる。加えて論文の生産性向上はすなわち研究のスピードアップになり、その進歩に付いていく事は細分化された専門分野の研究者でさえ容易ではない。
一方社会的な課題、すなわち環境、エネルギー、安全、高齢化、食料、健康、は多分野の知識を複合的に活用したイノベーションが必要で、高度の専門知識はこのイノベーションの現場で活かされなければならないが、イノベーションの現場が多岐にわたる関連分野の科学知識を、直接利用することは極めて困難である。従って貴重な科学知識は社会的課題を解決するために有効に役立ってはいない。
このジレンマを早くから指摘していた人は、私の恩師である、元東大総長の吉川弘之先生である。「専門分野が深化していくと蛸壺状態になるが、社会に研究成果を還元するためには、全体を俯瞰して見ている人が必要だ」であった。
時を経て1999年私は東京大学に帰任することになった。そこで出会った人が「科学的知識をイノベーションに生かすには“知の構造化”が必要だ」と主張していた。その人とは当時の工学系研究科長であった小宮山宏先生である。そして私は俯瞰工学の研究室を立ち上げることになった。
俯瞰学の始めは「動け!日本」という知の構造化プロジェクトである。「動け!日本」というプロジェクトは、内閣府経済諮問会議の依頼による日本経済再生の政策提案のプロジェクトであった。バブル崩壊後の経済の低迷が続く中で、いくら財政出動してもいっこうにデフレ脱却は出来ない状態であった。その中で、「アメリカが製造業の不振で苦しんでいる時に、 MITの“Made in America”というプロジェクトが製造業再生の道筋を示したように、東大工学部でも同じようなことができないか」という打診が小宮山研究科長に有った。受けるべきかどうかという相談を受けた私は、 「 MITで出来た事が東大工学部はできない、とは言えませんね。ましてや東大は国立大学ですから国の政策に協力する責務もあります。リスクはあります。」と答えた。そしてこのプロジェクトの事務方を担当することになってしまった。
東京大学の理系といっても研究室は数百以上のあり、構造化はおろか、組織化もされていない。この状態で理系の衆智を集めて意味のある提案をするという、途方もないプロジェクトであった。“知の構造化”の挑戦であった。その後の経緯は割愛するが、そのプロジェクトの提案は「動け!日本」としてまとめ、日経BP社から出版することが出来た。
この時、知識を俯瞰的に認識し、構造化する必要性を強く認識し、俯瞰工学の技法を研究することになった。次回以降、手探りで研究してきた俯瞰学の技法と事例を紹介したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?