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ディジタル書斎13 本の書き方


本を書くという仕事

ある関係性を持つ情報がたまったら書籍を書くという知識の構造化がある。かなり知的腕力を必要とするが、ということはそれだけの知的腕力がつく。
雑誌の原稿は2000ないし3000字であるが成書は取り扱う知識の量がかなり多く約十万字くらいだから、「小札法」で書き上げるわけにはいかない。私は本を10冊以上執筆したが、そこで私が習得した私流の本の書き方をご紹介する。

まずテーマである。これについて本を書こうというインスピレーションはある時突然来る。多分たまってきた知識の総量が一定以上になり、何かの刺激がこのインスピレーションを与えてくれるのだろう。

まずやる事は本の設計である。何事も設計すなわちデザインが必要である。本の設計はタイトルと目次である。最初に本のタイトルを考え事である。あくまでも仮のタイトルと考えてもいいだろう。しかしこのタイトルは全体のビジョンになるから極めて重要である。ここで自分なりに琴線に触れるタイトルを思いつくと本を書くことの半分が終わる。
次にやる事は全体構成を決めることである。全体構成を決めるということが基本設計である。私は機械屋であるからポンチ絵となる。要するに手書きのスケッチである。これはやはり紙と鉛筆でやる。鉛筆は柔らかい芯の2Bくらいがいい。筆圧を上げなくても軽いタッチでなめらかに書けますから。キーワード、キーメッセージを書きその関係性を結んでいく。この作業はすごく楽しい時間である。場合によっては紙をくしゃくしゃにして作り直す。この作業で頭の整理ができ、何を書きたいのか再認識する。そして全体の構成がきまる。

そして目次を作る。この目次が本の設計図である。章立てが最初である。Wordのアウトラインの活用である。これが最終的に読者に伝えたい結論への道筋となる。ここがぶれると読者が混迷する。第1章から読んでいけば読者が自然に伝えたい結論にたどり着けるような論理構成を考える。ポンチ絵の全体の構成は関係性のネットワーク構造だが目次は順序関係のリストである。この変換に頭を使うことになる。
目次を仕上げて行くときに論理の飛躍があれば新たな章を加えることになる。章の入れ替えもある。読む人の頭にスムーズに入っていく論理展開を考える。

そして各章の節にあたる見出しを考えていく。この段階でも論理的な見解と喉越しの良さを考える。そしてこれを敢えて印刷してチェックする。すなわち私はデジタルと紙の世界を往復しながら知的作業をするわけである。パソコンのスクリーンから離れて机の上で紙の世界で推敲する。スクリーンの世界と紙の世界では発想が違っている。

「まえがき」を書く。タイトルに沿って何を書こうとしているか確認するためである。 「まえがき」は本全体の概要であり、何を伝えたいかという私の心でもある。そしてこれに続く知的作業のフレームワークになる。この段階でもう一度目次を再確認し、再検討する。

次はその見出しに関連する、かねて用意してあるデータを揃える。当然追加で収集する必要がある部分が出て来るからそれは収集する。この作業は紙の世界でやるととんでもなく時間がかかるから、これはデジタルの世界で作業する。
次は各見出しについて文章を書いていく。途中で数字や年その他、気になることはウィキペディアなどで確認する。丁寧に。この作業はデジタルの世界でしかできない。
わたくしはキーボード操作が遅いので原稿の打ち込みは音声認識を使う。私の場合は手打ちの2、3倍の速さになる。変換の精度は感覚的には95%以上確実にある。課題は話し方である。語尾や「てにをは」が曖昧で不正確な話し方だと仕上がりに出る。文章を正確に口から出す必要がある。英語の発音も厳しくチェックされる。本を書き上げるには知的腕力が必要である。
書いている途中でも類語辞典で日本語の単語が適切かチェックしている。判っているようで日本語の理解は浅いことを戒めているからである。新たな日本語の知識も得られる。
私は各章を仕上げるたびに印刷して、赤のボールペンを持ち紙の上で推敲する。スクリーンの世界と違う世界で読み直すと気づくものがある。かなり書き加えるときもある。スクリーンで文章を作成しているときに働いている脳の部分と異なる部分が紙の上の文章を読んでいるときには働くのだろう。ある意味読者の立場で読んでいる自分に気づく。
無論「てにをは」も直す。音声認識では活舌が悪いためか間違いがよくみられる。加えて悪い癖を治す。私は語尾に「が」を入れる癖があるが、50年くらい前に読んだ清水幾多郎の「論文の書き方」の「『が』をなくせ」ということをいつも思い出す。この本では句点で切るべき文章を「が、」と読点で繋げるのはよくないといっている。これも悪い癖なので修正する。主語が明示的でない場合もある、これも直す。これを数回から十回くらい繰り返す。
最近ではWordが書いている途中でいろいろ助言してくれるので助かる。最後に、Wordの「校閲」→「スペルチェックと文章校正」でチェックする。

参考文献が必要な書籍はこれを章別に用意するが、準備していないとこの作業は本文を書くと同じくらい工数がかかる。資料を読んだときに出版年月日、著者、出典、ページをメモする習慣が必要である。日本人の書籍はこれが貧弱とというかないものが多い。フィクションでなければ必須である。でないと色々論じていてもそれはただの随想である。無論それでいいのだが。学術論文を書いた経験があれば自明のことである。

次に丁寧に「謝辞」を書く。「謝辞」は友人を作り友人を失う、ということわざが欧米にはあるらしい、そんな記事を読んだ記憶がある。私も一つ思い当たることがある。確かに欧米の書籍は「謝辞」が長い。そして最後に家族の協力に対する感謝が述べられている。

最後にゆっくりした気持ちで「あとがき」を書く、この時間はたまらなく楽しいというか一冊仕上げた、という達成感が何とも言えない。ウィニングランかもしれない。ゆとりが出たこの段階で、書き足したいものも出てくるので、無論本文に書き足す。
この段階で改めて「まえがき」も読み返す。「まえがき」と「あとがき」がいい感じで共振し本全体を引っ張りあう構成になっているか確認する。「まえがき」も修正や加筆、書き換えることが多い。

本をどこから出版するか?依頼されてもいないのに原稿を持ち込んでも売れそうもない本はどこの出版社も出してくれない。これが従来の出版の壁であった。確かに紙の書籍は一冊数百万円も出版にかかった。
世に出したい、それだけなら今は電子出版という手段がある。自分でやればKindle出版は殆どお金がかからない。
電子出版用の原稿はWordでもできるし「一太郎」でもできる。電子出版の原稿を仕上げるには「一太郎」の方がよくできている。昔DTPということ流行ったとき「一太郎」はかなりその機能を強化したので。
Kindleは自分でAmazonのクラウドにアップロードして終わりである。別途デマンド印刷でペーパーブックとして出版もしてくれる。

未だ書き加えることはたくさんあるが、とりあえずここまでにして、改めて追加しましょう。

私の比較的最近の著書は下記に。
俯瞰書店
https://www.fukan.jp/%E4%BF%AF%E7%9E%B0%E6%9B%B8%E5%BA%97-1/

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