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卵5個のオムレツ

思えば子どもの頃から、転ぶとなると盛大に転ぶタイプだった。
運動神経は、自画自賛になるが抜群だったので、転ぶことはそうそうなかった。ブランコを思いきり漕いでる最中にはずみで落っこちた時も、咄嗟に地面に這いつくばって無人のブランコが頭上をかすめるのをかわし、振り子で向こうに遠ざかったところを立ち上がって逃げる、という動作を反射でできる女児であった。

だから本気で転ぶ時は派手だった。鉄棒から滑って額を地面にもろに打ち、だくだく流血したまま幼稚園の先生を呼びに自分で走って行った。血まみれの私を見た周りの園児たちがまさに蜘蛛の子を散らすように逃げていったのをよく覚えている。ベッドから落ちて右腕をぐにゃっと折ったり、マクドナルドのトレーを持って階段を登りかけて滑り、フライドポテトとシェイクその他を階段と壁にぶちまけたり。

精神的に転ぶ時も私は派手に転ぶのだと知ったのは、高校生の時だった。仲の良かった元クラスメイトが亡くなったあと、あらゆることが重なり、私のメンタルは派手に転んだ。誰もがある時期に子どもの無邪気さと別れるものだと思うが、私はこの時期に、ただの元気いっぱいな子どもから、人生には取り返しの付かないことが起きる場合があり、失うものがあるんだと身を以て知った子どもになった。

そんな時に母がした行動をいまだによく覚えている。
「疲れた顔をして」
そう、たしかに彼女はそう言った。学校から帰った私を見るなり、眉根を寄せて、「疲れた顔をして」と言ったのだ。
そして母はすぐに台所へ向かい、オムレツを作った。特大の、卵5個を使ったオムレツだった。
我が家は裕福ではなく普段ならこんな贅沢はありえない。卵5個をひとりでなんて。でも家には私しかいなかった。母は食卓に、皿からはみ出さんばかりのふっくらした黄色いオムレツを置くと、私に「食べなさい」と言った。
あの時、食欲があったかどうか覚えてない。普段はとても食欲旺盛な高校生だったが、母の指摘どおり、疲れ切っていたから。
でも私はオムレツを平らげた。卵は私の大好物だし、母は素晴らしく料理上手で、オムレツはとても美味しかったから。
そしてたしかに卵5個のオムレツのおかげでだいぶ元気が出た。

いま、私はずっと疲れ切っていて、20年前に「疲れた顔をして」と言ってくれた母は、もうこの世にいない。
だから今朝、私はむくりと起き上がると、卵5個をボウルに割り入れて、牛乳を少し注ぎ、塩コショウで味付けすると、たくさんのバターを熱したフライパンに入れて回した。
卵液は重たかった。ブツブツと泡を立てはじめたバターに、一気に注ぎ入れる。ジュワッと音が立ち、フライパンのふちに卵が薄く固まる。私はほんの一瞬だけ待ってから菜箸で掻き回し、フライパンを回し、ゆっくり縁を固めていく。

私はオムレツを作るのが得意じゃない。ろくに巻けないし、火が通り過ぎるし、すぐぺったんこになる。
今日も全く上手くなかった。ひっくり返せたのだけで奇跡みたいなもんだ。
それでも卵5個のオムレツはできた。

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でかいな。これはうちで一番の大皿である。

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スプーンと比較してみる。でかい。
そしてやっぱり出来はぺたんこで、母のようにふっくらふんわり、中は半熟とはいかない。

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多少半熟の部分が残ってるように見えるけれど、ギリギリである。
しょーがない。私は未熟なのだ。
色々と未熟なのだ。

乗り越えなければならないものが山のようにある。これまで当たり前のようにできていたことさえ思い通りにできなくて、派手にすっ転んだままばたばたもがきまくっている。

でも卵5個のオムレツはこうして私の手で作られた。今後も私は、1人でも卵5個のオムレツを作れるだろう。自分の顔を鏡で見て、疲れた顔をして、とひとりごち、卵5個のオムレツを作る。食べる。

そうやって生きていくんだ、これから。

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