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映画の話 ①ドキュメンタリー映画

いろいろあって、映画に強い愛憎を抱いています。のっけからなんだそりゃー!すみません。
ちょっと書くと、私にとって映画は娯楽の範疇ではなく、「生きる」ことに直結してしまっている、どうしようもないものでありまして……映画がないと生きていけないし間違いなく栄養で、脳が一番活性化して集中力を発揮する存在なんだけど、正直、とてもしんどい。
映画マニアではない、そんなに詳しくない。でもいろいろあって映画という種が心の奥底の柔らかく深いところに埋まっていて、もう取ることもできず、そのまま成長させたら歪んで伸びた。
映画とはそんな感じの付き合いです。重い。いやほんと、自分でげんなりするくらいめんどくさくて重いんです。

そんな私と映画の関係ですけど、それでもおすすめ作品話はしたくて、ちょこちょこっとしていこうかなあ、と。

最近ようやく『聖者たちの食卓』を観ました。

https://www.uplink.co.jp/seijya/

これあの、日本版のタイトルロゴや予告編のほっこりした印象は良い意味で裏切られます。個人的には、もっと宣伝は硬派でもよかったんじゃないかしらん、などと……(よけいなお世話か)。

舞台はインド北部、シク教の黄金寺院<ハリマンディル・サーヒブ>。ここには一日に10万人分もの食事を提供する無料食堂〝ランガル〟がある。
けれどたぶん、日本における「無料食堂」や上↑の宣伝写真のような印象から引き出されるイメージとは違うものが、この映画に見つけられるし、そこがこの作品の本質だと思う。

この作品にセリフはない。人の声は聞こえるけど字幕は出ないし、黄金寺院に掲げられた教えがわかるくらい。そして長さがほんの一時間程度。

冒頭から、人々がじゃがいもを掘る。寺院の階段に老若男女問わず大人も子どもも座って、にんにくの皮をむき、タマネギを刻み、豆のヘタをちぎる。自分たちで下準備をし、ガスボンベを用意し、チャパティをこね、丸め、平らに延ばして、巨大な鉄板で焼く。大鍋でカレーを作る。
誰かが誰かを使役しているんじゃなく、ひとりひとりが調理という一連の働きの中の一部になって、奉仕できるときに奉仕できることをする。無料奉仕セーワー、徳を積むの考え方から来ているのだろうけれど、カースト制度が今なお残るインドで階級も宗教も関係なく人々が並んで調理をする様は、なんだかものすごい。

これを無料奉仕の観点から、「神がいる」と想定する人々の価値観はどういうことか、と考えることもできる。「神がいる」とは、愛し信じることであり、施し、従うことであり、守ることであり、異端を排除することであり、恵むことであり。

けれども、私は見ているうちにそういうことをあまり考えなくなった。
信仰とも、美しさや崇高さとも違う。いや、彼らにとっては信仰なのだけれども。でも人類愛とも違う気がする。
食事のシーンは、猛然としている。5000人が一度に入り、ぎゅう詰めで、食事をバケツからどんどん与えられ、床が水や食べ物で汚れ、裸足で歩き回り、食器が宙を舞い、水で流し、洗い、生きる。水のきらめき、カメラを見つめる表情、料理を清潔にたもつ火。

ただここに人がいて、調理とは生活の一部で、食べるとは生き物全てがする生命維持行動であり、ならばみなどこかでできる範囲でその一部になればよく、準備をし、食べ、片付け……のような流れが、私のなかでとてもしっくりくる。

黄金寺院の前にある標語が時折挟まれる。
「神は農場 神は農民 神は穀物を育て 粉にひく」
「神は食事を作り 皿に盛る そして自らも食べる 神は水 神は楊枝 神は一杯の水を勧める」

私は生活に興味があって、自分の小説世界でもそのあたりを細かく書いてしまう癖がある。たぶん、生活そのものは誰しもが送るものであり、その違いに人の違いが現れ、そこが大変面白いと考えているからだ。国、宗教、民族、社会、賃金の差、家族構成の違い、あらゆるものが掛け合ったり引き合ったりして出てくる、ある種の考古学的なもの。そこをよく見たい。

今の新型コロナを克服していない時勢では、密集ありきで誰もが調理に参加するという形のこの食堂は、封鎖せざるを得ないだろう……と思うと、寂しい。
そしてシク教は迫害の歴史を持ち、今も争うことがあるそうだ。
感染症、衛生、武力、宗派の違い、対立。生活は社会とリンクし、社会は生活を変えてしまう。けれども最後は生活が残る、なぜなら人間は食べ、眠り、排泄し、掃除し、生きるから。いろいろなひとがその生活をそれぞれに分担して支えている。そのサイクルが乱れればすなわち社会の崩壊が意味される。生活は軽んじられやすいが、大動脈を切れば死ぬように、生活が終わればすべてが終わる。

そんなことを考える。

今は配給元のアップリンクによるクラウドでも観られるし

https://www.uplink.co.jp/cloud/features/257/

アマゾンプライムにもありました。

https://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E9%A3%9F%E5%8D%93-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88/dp/B07WQZL1ND

そんなかんじ。

他に最近のドキュメンタリーのおすすめをちょろっと。(といっても私の洋画のお友達はわりと観てると思うのでごめん……)

『ゲッベルスと私』

https://www.iwanami-hall.com/movie/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E7%A7%81

国民社会主義ドイツ労働者党、ナチスの宣伝相であったゲッベルスの秘書、ブルンヒルデ・ポムゼル氏のインタビュー。この時、103歳。
しかしおそらく何度も何度も繰り返し思い出して刻印されているのでしょう、記憶が鮮明で、1933年その時の選挙の様子も話している。これはかなり貴重で参考になった。
彼女の話を聞いて、「どうして」と思うだろう。こうなりたくないとも感じる。でもたぶんこれが人間なんだろう。醜悪だとしても、無邪気だとしても、これは拒絶できない人間の姿で、だからこそ観た方がいい、考えをやめてはいけない、と思う。
監督はオーストリア人で、公開前に行われた講演でオーストリアの戦争責任との向きあい方についての忸怩たる思いを聞いた。

今はアマプラでも。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E7%A7%81-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%A0%E3%82%BC%E3%83%AB/dp/B07X1ZDSZ1


戦争関連では『彼らは生きていた』も大変素晴らしかった。こちらは第一次世界大戦。

http://kareraha.com/

監督のピーター・ジャクソンが第一次世界大戦マニアというか蒐集家なのはおそらくトールキンつながりなんだろう。
モノクロとカラーの差の演出が良い。「カラーだと共感できるんでしょ」と言われているようでもある。ごめんなさい。
なんというか、これは作品論というよりもピーター・ジャクソン論になっちゃうんですけど、LOTRもそうだし、とにかくピーター・ジャクソンという監督は恐怖を体感させる編集がうまい。これは完全に憶測だけど、たぶん夜見る夢、悪夢が多いんだと思う(なぜかというと私がそうだから……夢が基本的に大スペクタクルで恐怖のアングルを探しまくる癖があり、王の帰還のミナス・モルグルの門が開いた時の黒の乗り手の獣のショット、首を長くして吠えて下を写すまでの流れ、を見たとき、やっべえ私とこいつ同じ夢見たことある、このアングル知ってる、と思った……)。
まあ夢は100%憶測なんでどうでもいいんですけど、何はともあれPJの恐怖演出はすごいんですよ。怖さを見せるのが巧い。スピルバーグも恐怖を撮る天才だけど、PJの恐怖もそれに似てる。
ドキュメンタリー、それも過去の映像を編集して映画化しているわけで、いつものようなカメラアングルでの演出は使えないのに、編集だけでそれを醸し出してくるんだからすごい。恐怖とは戦争でもあるので、異常に巧い「戦争のアングル」になる。

今だとYouTubeでも見られる。


これも面白かった、『イカロス』

https://www.netflix.com/title/80168079

ドーピングに関心を持ち、自ら薬物を投与して検証しようという動機ではじめたドキュメンタリーが、やがてロシアの国家的ドーピング疑惑へとたどり着いてしまい……というなんか観てていろんな意味でハラハラするドキュメンタリー。すごい出来、とかいうレベルじゃなくて、この内部告発をすることになるロシア人科学者の身の安全を願ってやまない……オスカーを獲った作品。こういうのを観ると、ドキュメンタリーって本気で社会に直結するのでやばいなと思う。

あとこれは軽めで、うわっとなる人にはうわっとなる(どういう説明だよ)作品。『FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー』

https://www.netflix.com/title/81035279

音楽とかフェスとかに興味ある人はニュースやSNSで知ったかなと思う、Fyre Festival。これは何かというと、有名人や著名人がいっぱい来ますよ、史上最高の音楽フェスをやりますよ!って文句で、スーパーモデルとか起用した宣伝をじゃんじゃん打ったものの、蓋を開けてみたらシャンパンと一流料理のはずがケータリングとか避難用テントとか、大変な大事故となったフェスのことです。
「すげーことをやりたい!すげー人間になりたい!」と言って実際すげーことがやれるといいんですけど、まやかしごまかし詐欺はダメだよっていうか、ああー、あああーー、騙された客も可哀想だし巻き込まれた会社の人たちも本当にひどい可哀想だと思う……口だけ達者で、ないものをあるように見せかけてどうにかしようしちゃあかんよ、という教訓話でもある。しかし懲りてないからやばいなあ……


などなど。
とりあえず最近のドキュメンタリーですとこんなかんじかな……
思い出したらまた書きます。
次はフィクションの話かな。

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