私の小説の書き方①着想

です。

普段、私はツイッターでも創作の話をしなくて、作家の友達もいないので(いないっていうか会って話したりしないという意味)創作論を人とすりあわせることもなく、インタビューで聞かれてもうまく説明できないでいたんだけど、なんとなくそろそろちゃんと言っとかないと誰かの役に立たないままかもしれない、と思って書こうかなと。
創作論はじめてなので下手クソだったらすみません。

そもそもお前は誰だよ?という方もいらっしゃると思うので自己紹介すると、2010年に、東京創元社主催の第七回ミステリーズ!新人賞というミステリの短篇賞で佳作をいただき、2013年にその作品を巻頭に置いた独立短篇集(シリーズ作ではなくそれぞれが別々の話の短篇集ってこと)『オーブランの少女』で商業デビューしてます。それから長編『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』を刊行して、今年で10年目の36歳。秋には5冊目の新刊が出る予定です。10年で5冊。他の作家さんにくらべると1/3くらいのペースの遅さ。知ってる。

あ、あとこれは言っとかなきゃいけないんだけど、創作の出力および思考タイプは千差万別だし、「誰でもこうすれば絶対にうまくできる」方法ではありません。そんな方法はない。なので創作をしたい/してるけどうまくいかない、誰かを参考にしたい、という人は自分とタイプが似ている作家を探してやり方を学ぶと良いです。
私のタイプは「ストーリーテリングと思考と調査重視・直感から論理的に組み立てる・人とかぶらないものが書きたい・エンタメ寄り」です。ジャンルは特に決めてないけど、感情や思考を掘り下げた文学タイプではなく、エンタメ&ストーリーテラー気質だなとは思います。ミステリの賞でデビューはしているけどミステリは得意ではありません。直感型と論理型のミックスで、軽い短篇も書く一方、長編は一撃必殺型かもしれない。調査を要するものが多く、文章に拘るので一作に時間をかけるタイプ。
あと念のため書いとくけど、私はデビュー時に相当(二年から三年)迷走してます。そしてその後も完璧ではありません、ということはご承知置きを。

それではいきます。

まずはじめに、着想から。

①着想
私はよく「物語を見つける」という言い方をします。
物語はそのへんに転がっている――たとえばティッシュ箱。たとえばさっき届いた郵便物。たとえば朝ご飯のメニュー。ひなたぼっこして暖まった猫。
そういったところから、まあ原稿用紙10枚分(4000字~5000字前後)くらいの短篇を最後まで書ける人は、そのまま創作の道をひた走って下さい。書けない人は書けるようになりましょう。
いきなり長編を書くより、とにかくいろんな物語を見つける目とそれを物語として整える力を養い、具体的に文章として書ける技術が必要です。短くて大丈夫。短篇が書ける人は長編も書けますが、意外と長編が書けても短篇が書けない人はいます。

じゃあどうやって書くか。

1.物語の核を見つける

まずは「これは面白いな」と思える・感じられるアンテナを鍛えることです。物語創作を志す人はこのアンテナを持ってると思うので、鍛えましょう。
持ってない・自覚できない人は、いったん小説を書く筆を置いて、一年くらいはまわりの景色や人の動きを観察したり、映画やドラマ、アニメを見たり、小説やノンフィクションを読んだりして、何を面白い・美しい・悲しいと感じるか、の感性を養いましょう。子どもの頃に衝撃を受けた物事や感情を思い出すのも良いです。心の畑をまず耕す。あなたの心を柔らかくするもの、あるいは固くするもの。嬉しいもの、つらいもの。そういった肥料をたくさん与えて、土を豊かにして下さい。創作をする人はまず自分の感情や心を解きほぐし、よく観察し、育てる必要があります。何が好きで何が嫌いか、いつまでも見ていたいものから見るのもつらいものまで、知ること。よく耕す。
そして「面白い」と感じるものを、日々の暮らしや人の感情、芸術作品、自然、社会の動きなどから見つけて下さい。「面白い」とひと口に言っても色々です。怒り。悲しみ。悦び。美しさ、誰かに伝えたい衝動、ぴんとくるもの。これが物語の種となります。

私は、物語の種とは具象や事象に生えたトゲのようなものだと感じています。トゲ、あるいはフックをかける「とっかかり」。そして「着想点」になるもの。アイデア。
たとえば紅茶の入れ方ひとつとっても、物語はさまざまに広がります。はじめて入れる人なのか、もうすでに何百杯と入れていて紅茶にこだわりがある人なのか、その紅茶はどこで買って、どんな思い出があるのか、あなたはそこから何の話がしたいのか。紅茶の話がしたいのか、紅茶を入れる人の話がしたいのか、その人が誰に紅茶を入れようとしているのかを語りたいのか、マグカップの話がしたいのか、生産者の話がしたいのか。

物語の種から、あなたが語りたいことは、面白いと思ったものは何か、とっかかりはどこにあったのか、を自覚した上ですべてを矛盾なく繋げられるよう整理します。これがいわゆるプロット的なものの原型と言えますが、プロットについてはまた後で詳しく書きます。

私の場合は一応プロなので、他の作家さんたちと同じく、どんなお題でも与えられたら即座に物語の序盤くらいは思いつけるように鍛えています。商業出版にいるとテーマありきの依頼もちょこちょこ来ます。それで枚数や文字数に準じたオリジナルをひねくり出したり、自分の経験をひっぱってきてみたり、などの対応をします。これができるのとできないのとではけっこう違ってくるので、プロを目指してる人はプロになった後の生活のためにがんばってください……とはいえ私、大喜利は全然得意ではないんですけども……

しかし問題があります。
「面白い」と感じたものをただ書いただけでは、単なる日記になってしまいます。日記と物語は違います。日記形式の小説はありますが、それは技法に日記文体を使っているだけで、全体はしっかり小説になっています。逆に言うと、下手な日記文体は日記に見えません(自省)。下手な日記文体小説は「ぜってーこれ日記じゃねーだろ小説家が書いた説明文だろ」になります。

日記とは、その人が見聞きしたもの、感じたことを書いただけの素朴なもの。知人や友人が書いた日記は面白いし良いと感じやすいですが、赤の他人が読むと「だから何?」と言われてしまいがちです。(文学というジャンルは私にはよくわからないのでここでは触れませんが、日記についてもっと深く考察されていると思うのでそこはお任せします)。

ストーリーテラーとしては、ここから「物語」にするのが大切です。ちなみに、この技術はエッセイでも役に立ちます――優れたエッセイには物語性があるからです。さて、では「物語性」とは一体何でしょうか。

2.物語性

起承転結と言われがちですが、まあ大雑把な解釈ではそうなんですけど、そこまで厳密なものでもないです。基礎の基礎ではあるけど、国語の授業で習ったな、くらいの認識で大丈夫。それよりも物語の核にふさわしいサイズのお話を組み立てる方が大事。

一番わかりやすい例はおとぎ話や昔話です。
だからはじめのうちは昔話をつくるつもりで考えてもいい。グリム童話なんかは特に参考になるし手に入りやすいのでたくさん読みましょう。
私の祖母が昔話を勝手に作る人で、小さかった頃によく聞かせてもらってました。これが結構参考になるので、サンプルとして紹介します。(※追記。すみませんこれ祖母が作ったんでなく、関東地方に伝わる昔話だったようです。聞いたのが幼児の頃だったのでオリジナルだと勘違いしたんだと思いますすみません!)

【昔々あるところに、おっとりした優しい気性のお婿さんがいました。ある日お婿さんはお茶を飲もうとしましたが、あまりに熱いので舌をやけどしてしまいました。そこでお婿さんは物知りの和尚さんのところへ出かけ、「どうしたら舌をやけどせずに熱いお茶を飲めますかねえ」と訊ねました。すると和尚さんは「たくあんを入れてみなさい」とおっしゃいました。さっそくうちに帰ったお婿さんは、淹れたてのお茶を湯呑みに注ぎ、たくあんをひときれ、ぽちゃんと入れてみました。するとひんやり冷たいたくあんのおかげでお茶の温度がちょうど良い塩梅に下がり、しかもちょこっとしょっぱくておいしい。お婿さんは大喜びでお寺へ戻り、和尚さんにお礼を言いました。その晩、お婿さんは上機嫌でお風呂に入りました。けれども「ひゃっ」と悲鳴を上げて飛び上がる羽目になったのです――お風呂の湯が熱くて熱くて、つま先が真っ赤になってしまいました。かわいそうなつま先にふうふう息を吹きかけていると、お婿さんははたと思いつきました。お婿さんは得意満面な顔で長い長い一本のたくあんを持ってくると、湯船にぼちゃんと投げ入れたのです。ぶくぶく沈むたくあん。つま先をそっと湯につけてみると、これがどうして良い塩梅。お婿さんはにこにこし、肩までゆったりお風呂につかると、長い長いたくあんをぼりぼり囓って食べました。おしまい】

――さてこの昔話には、「お話の核、お話の構成、物語性」といえるものがぎっちり詰まっています。

この物語の発端は、「熱いお茶をどうやって飲むか=たくあんを入れて温度を下げる」です。これはおそらく祖母か曾祖母か誰かが実際にやっていたんだと思うんですが(注参照、そうとは限らない)、物語としては、そこから「お風呂にもたくあんを入れちゃう」という結末へ持って行くのがミソです。これには、「湯呑みなら一切れですむけど、湯船というでっかい容器に入れるなら一本まるまるだろう」という着想の、論理的なようでいて間が抜けた考えが利いています。ついでにぼりぼり囓ってしまうのは愛らしい笑いにもなります。
そしてここには伏線と伏線の回収の一番シンプルなやり方も読み取れます。熱いお茶にたくあんを入れて冷ます、のが伏線。お風呂に一本まるまるたくあんを入れるというオチが、伏線の回収です。お茶の段階を経ずに、唐突にお風呂にまるまるたくあんを入れても面白くはならないのです。

「物語性」とは、この「着目点から膨らませた発展を含むもの」です。つまり「着目点のサイズに合っていて上手にできた嘘」(だからこそフィクション創作者は、自分のつく嘘が現実の人を傷つけないかよく考える必要があります。物語は薬にも毒にもなり得ます)。

まず着想があって、その着想を更に発展させたものを考えてオチにする。この「発展させたもの」(上の昔話の場合は湯船に入れた長いたくあん)を思いつけるかどうかが、おそらく物語制作における一番の難関です。

物語の構図とはこのくらいシンプルなものでも充分成立します。ツイッターの140字小説や、北野勇作さんの100文字小説などは、非常に高度な技術とストーリー構築力が必要になるので、それはそれで難しいですが、上記のような孫に聞かせる昔話ならもう少しハードルも下がります。そしてグリム童話や世界各国・日本の昔話にはそういう「見つけた物語の核をどのように物語化するか」が豊富に散らばっています。千一夜物語なんかも面白いですよ。昔話やおとぎ話には、人間が「面白い」と感じる物語の普遍的な流れも残っています。騙されたと思ってちょっとやってみてください。


3.既存の作品からインスピレーションを得る

昔話の話をしたので、既存の作品からインスピレーションを受けることについても書きます。
ひょっとすると物語創作者を目指す人が一番取るタイプが、これではないでしょうか。

世の中にはすでに面白い物語が溢れています。そしてそういう物語に触れて、「こんな話を自分も書いてみたい!」という衝動に駆られると思います。私もそうです。というか誰だってそうです。
オリジナルの物語なんてもう書き尽くされているという言説は思うところもありますがしかし正しいとも思います。物語は物語に影響されて成長する。

しかしここには罠があり、そこに引っかかってしまって抜けられなくなっている人が大勢いるようにも思います。なのでそこを解きほぐすやり方を書きます。

たとえば『鬼滅の刃』という作品がありますね。少年ジャンプで連載していて、先日最終回を迎えた超人気漫画、アニメもすごい出来でした。
この『鬼滅の刃』に影響されて自分でも書いてみたいと思った人、けっこういるんじゃないでしょうか。
【鬼。鬼を滅する鬼殺隊。家族を惨殺され、鬼にされた妹を人間に戻そうとする少年。大正時代。天狗のお面をかぶった師匠。強くて優しい先輩たち。残酷な世界観。鬼に対しても慈しみの心を見せる主人公。】
要素は色々、このなかのどれかを使って『鬼滅の刃』みたいな話を書くぞ!えーと、舞台は大正時代か明治時代で、主人公は家族を殺されて、年長の隊士に導かれて鬼を殺す部隊に入って、しゃべるカラスが出てきて……

……ダメです。
ダメダメです。ストップ。
ここまで露骨じゃなくても、各要素をそのまんま持ってきちゃダメです。
どんなに自分なりの物語を考えたとしても、柳の下のドジョウ、二番煎じ、になってしまいます。悪くすればパクリ。盗作。剽窃盗作絶対ダメ。

『鬼滅の刃』が面白いのは、これが吾峠呼世晴さんという漫画家が描いたオリジナルの物語だからであって、そこに便乗して成長させた芽は寄生でしかありません。吾峠さんの作品は吾峠さんのものです。あなたの作品ではありません。それに流行に乗って面白いんでしょうか。面白い人はやればいいですが、私は面白くないです。

でも物語にインスピレーションを受けることはままありますし、私もそうすることがありました。じゃあどうしたら柳の下のドジョウにならず、あなただけの作品になるのか。

そのコツは【インスピレーション元がやってないことをやる】です。

勝手に例えに使ってしまって恐縮ですがたとえば前述の『鬼滅の刃』がやっていない点を膨らませて、こういう話に着想を発展させることもできます。

1・物語は全体的に、留まる、動かない、待ち受ける。
『鬼滅の刃』は〝狩りに行く〟物語です。どんなに鬼滅から離れようとしても、人を襲う怪物を主人公が追いかけ狩る話にすると、「鬼滅じゃん」って言われてしまいます。だったら、逆にすればいいわけです。

2・家族はまだ殺されていない
鬼滅の主人公、竈門炭治郎は第一話で家族を鬼によって惨殺され、そこから物語がはじまります。これは普遍的な出だしではあるんですけど、今やるとやっぱり「鬼滅じゃん」って言われちゃうかもしれません。注意。これも逆にする。主人公の家族はまだ殺されてない。

このふたつの【鬼滅がやってない】条件を組み合わせると、たとえばこういう設定ができます。
【主人公の家族や身内は、○日以内に襲われるという予言を受け、主人公はこれを阻み家族を守るため、その場に留まり闘う】
はい、ここから更に設定を重ねていきます。
これは「牡丹灯籠」や「耳なし芳一」にも通じる、定番の物語筋でもあります。「守るために逃げる」のは戦略的にはあまり巧い手ではなく、防御を強化した場所に留まって待ち受ける方が良かったりします。逃げると防御が手薄になり、その人数が多ければ多いほど取りこぼす命が増える。じゃあ単に家族が襲われるだけでなく、村人全員が狙われている、ということにしてみましょう。
非力な一般人が武器もろくにない状態でその場に留まって闘う方が面白いし、その場合には罠が必要になります。そこで罠作りについて考えてみます。罠を作るのが巧い人……山の猟師か海の漁師か。
鬼滅は山が多いので、海にしましょう。すると、海から来る化け物を待ち受ける、漁村の民たちの物語になります。罠を張り、自分たちを守り、予告された○日を越えるまで生き延びる。
そうしたら、今度は海の化け物をどうするかを考える必要が出てきます。日本の海の化け物を考えるのはもちろん、海外にも手を伸ばしてクトゥルー神話あたりもチェックしておきましょう。そしてオリジナルの化け物を制作する。罠や防衛戦術を考える必要もあるので、そのへんも調べます。
そうするとだんだん、主人公像や登場人物の傾向も具体的に見えてきます。山の猟師たちと仲が悪かったけど結託して共に守る、とかもベタだけど熱いですね(ただし名画『七人の侍』にならないようにも気をつけて!)。それから、予告された○日を乗り越えよう系の物語でめっちゃ怖くてすごいのがW.F.ハーヴィー「八月の暑さのなかで」という短篇なので、読んでおくべし。

まあそんなかんじでぽんぽんと考えていくのです。
このアイデアを使ってもいいですけど、使いたい人が他にもいるかもしれないし、そうなるとかぶるし、結局自分のアイデアではないという自責の念に駆られると思うので、自分でがんばって新しいものを考えましょう。

私自身、HBOのドラマ『バンド・オブ・ブラザース』から大いにインスピレーションを受け、『戦場のコックたち』という小説を書いています。これは同じアメリカ陸軍第101空挺師団を扱っています(実在します)が、主人公たちが普通の兵士ではなく、後方支援系の兵士という点であること、主人公たちが日常の謎を解いていくことで、『バンド・オブ・ブラザース』がやっていないことをやる、部隊と舞台は同じでも、まったく違うことをして新しい小説に組み立て直しました。

ちなみに、この海から来る化け物を迎え撃つ漁村の人々、も前例があるかもしれないので、そのへんは調べないといけないですね。まあ戦争ものだと考えちゃうと百万回くらい書かれてますけど、ここは軍港ではなくただの漁村、一般の人々、ホラーみが強いというのがミソです。まあ戦というものを暗喩したいかどうかで変わりますが……
物語をたくさん手広く知っておく必要があるのは、こういう「かぶり」を予防するためでもあります。「知らなかった」ではすまされないこともあるので……というか、知っておけばおくほど抽斗が多くなるし、抽斗が多いことは良いことづくしで悪いことはないです。


着想についてはまずこんな感じでしょうか。
この次には、具体的に文章として書くというもっともつらい作業が待っているのですが、それはまた次に。












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