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作家の孤独

今回はちょっと、作家(というか私の)のめんどくさい性分が丸出しになってる。

先日、ツイッターでこんなことを呟いた。

そうしたら小説家業の方々からリアクションを頂いたので、やはりあるあるらしいのだと思った。小説家に限らず漫画家やイラストレーター、その他、あまり人と会わない自営業の人は似たような孤独を感じてるのかもしれない。

「作家は孤独な方がいい」とよく言われる。良いか悪いかはともかくとして、実際、仕事中はひとりきりで創作している世界と向き合うから、孤独にならざるを得ない。
誰だって孤独だと思うんだけど、人に相談しにくいという点で創作は面倒だ。だって人に完璧に相談できたらその時点で原稿あがってるもの。書けちゃって、世の人に見せられる状態になってる。
言葉にまだできていない、誰にも見せていない状態で苦しいからよけいに苦しい。頭の中にしかまだいない人たちについて、他人に語ることは難しくて、小説家はそれを文章にしてお金を稼いでいる。でも小説家も人間なのでそんなすぐにできない。凝れば凝るほどつらくなり、時間もかかる。言葉をいちいちひとつずつ選んでいると、一時間以上かかってやっと一文書けることもよくある。あなたが橋の上に立っていて、外をぐるりと見回すとき、見えるものすべてを説明することは可能だろう。小説はそうではなく、キャラクターの感情とつないで、晴れているのか、曇っているのか、雨降りなのか、交通量は多いのか、橋はどんな橋なのか、揺れているのか、どっしり構えているのか、誰かを待っているのか、川はどんな状態で流れているのか、を、せいぜい三行くらいにまとめなくちゃならない。それも私らしい、あなたらしい言葉、文体で。その上、「こういう雰囲気わかる」と文章だけで思ってもらえるまで引き揚げなきゃならない。もどかしい。小説家自身の発散できないフラストレーションがごりごり心に溜まってく。そして本が出せたところで、解放されるわけではなく、その評価がずっとついてまわるので苦しい。あと、現実とちょっと違うテンションで書いてることが多いので、戻ってくると時々自分がずれてるってわかる。みんながアベンジャーズの最新作を観ている中で、ひとりでトータルリコールのサントラを聴いてテンションを八〇年代に戻してたりすると、ちょっとぎょっとする。

編集者に話が通じると楽なんだけど、ビジネスなのでそこまで巻き込めない。小説家はたいていめんどくさい性分をしているし、すべて付き合わせたら編集者の心が参ってしまう。迷惑はかけたくない。それに、私が抱えているものを渡して一緒に考えてほしいというのは、創作に限った話ではないので、編集者の仕事の範囲外になってしまう。「漠然とした不安」とは芥川龍之介が遺した言葉だけど、芥川ほどの人の苦悩はどれだけかわからんけども、私も漠然とした不安はずっと抱えている。

なんでこんな仕事をしてるんだろうな?とよく思ってしまう。話を思いついてしまうし、書かないといられないから書くんだけど、自分の体から抜け出して話を思いつけない状態にできれば、楽なんじゃないかなとか。
この仕事を全部放り出してどこかへ逃げたいといつも考えている。でもどうにもならない。

仕事が増えるほど、毎日毎日判を押したようにコンピュータに向き合って、つまらない話を書いて、自分の下手さにじたばた悶絶する。毎日毎日同じ事の繰り返しで、しかも遅々として進まない。人よりも自分はずっと下手だ。なにしろ語彙が足りないし、選ぶ言葉がマンネリ化してる。調査も足りてない。人をちゃんと書けてるだろうか?選んだ言葉や展開は間違ってないだろうか?読書もしてなければ映画も観に行ってないし、体にも心にも脂肪が溜まっていく。才能がない。
こんなもの誰が読んでくれるんだろうと思いながら書くしかない。夫と話しても、だいたいいつも同じ話になるので発展のしようもない。自分が分裂して別の何者かになればもう少しマシになる気もする。

少し他の仕事をすれば、いい気分になったりするんだろうか。その時間が今はなくて、一日でも早くあげないといけない原稿が六件くらい続いている。

抜け出したい、と思う。この体と脳みそから少しでも離れられたら、気分が良くなる気がする。

……で、こういうことを書くと、「そんな裏話隠してかっこつけろ」と言われたり、とても心配されたり、幻滅されたりする。でも小説は小説だけで立っているが、その下で支えてる小説家はぐずぐずする。ぐずぐずぐつぐつして、今日も何か書いてる。書いてしまう。

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