【語り】睡眠舞台

相変わらず睡眠のコントロールができない。
寝ようとすると脳内に巣食う〈恨み〉が1人劇場を始める。

何度も何度も何度も。

飽きるほど観ていたはずなのに、一時も眼を離すことなく魅入る自分。


『さぁ大きな声で、大きく動いて!
みんなに伝わるように、落ち着いて。
早口になってるよ!』


市の児童劇団に所属していた頃、感情の表現方法を教えてもらった。

喜び方は自信がなかった。
怒ることはできなかった。
泣き方は染み付いていた。
笑い方は知っていたはずだった。

いつからだろう、素直になると殴られるようになったのは。

小学生ながら忍び足を習得した頃、あの場所は、喜怒哀楽を表現することを唯一許された居場所だった。

「わたし」も「ぼく」も存在することが許された居場所だったのだ。


嬉しかった。
大好きだった。


だから、お前がそこで〈恨み〉から派生する物語を紡ぐために、お前のために演劇をやっていたんじゃないんだよ。

ひとつの思い出から、複数の想いになり、おびただしいほどの妄想となる。
自分では止めることはできない。

なぜなら自分はあくまで観客であり、舞台がどんなに暴走していたところで、自分がそれに魅入ってしまっている以上なにも文句が言えないからである。
文句があるなら帰ればいいだけなのだから。


どうしてお前は、そんなに楽しそうなんだい。

自分の性格は分かっていた。
興味が湧く湧かないの差が歴然としている自分がここまで忌むべき舞台に魅入ってしまうのは、演者が心の底から本気であるからなのだ。

無視して早く寝てしまいたい。
こんなもの、もう見たくなんかない。
思い出したくもない、すべて忘れていたい。

そんなことより優先してしまうほど、この忌むべき舞台を眺めていたいと願ってしまっている。


楽しそうに、苦しそうに、〈恨み〉を紡ぐ脳内舞台。

生々しく、実に人間臭く、素敵だ。
心の中の「私」も「僕」も一番表現してくれている、素晴らしい舞台だ。

自分が、幸せもなにもかも全て捨てて、本当はなにをしたかったのか。
人生ひとつを使って、なにを成し遂げようとしていたのか。

きっとそこから目をそらさず、思い出し、認めるようになるまで。


あぁ…もう、帰りたい。
帰って、寝たいよ。


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