東京オリンピックのボランティアとキズナアイ騒動

東京オリンピックのボランティアとキズナアイ騒動

ふかい たかあき
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今回は「ボランティア」について話をします。
何でこの話題にしたかというと、「東京オリンピックのボランティア募集が、目標の8万人の約半分4万7千人の募集が集まった」というニュースを目にしたからです。

Twitter や Facebook などの SNS では、東京オリンピックのボランティア募集に対して批判の声が数多くありました。いろんな人たちが、「専門家とか無報酬で働かせるな」「人をタダで働かせる」と声をあげていたわけです。ですが、そんな声もどこを吹く風という感じで、東京都はスムーズにボランティアの人員を確保しつつあったわけですよ。ネット民とリアル民では、住む世界が違うんだなと強く感じた一件でした。

ボランティア繋がりの話で、2か月前に有名になったスーパーボランティアの小畠春夫さんがいらっしゃいますよね。この方は、行方不明になった子供をすぐさま見つけ出し、一躍脚光を浴びました。この方はずっと前からボランティアをやっていて、その素晴らしい志が全国民から賞賛されました。

もう一つ、ボランティア繋がりの話があります。実は私が住んでる地域は、7月の豪雨で被災しました。町中が土砂だらけになりました。町を綺麗にするために、全国からボランティアの方々が手伝いに来てくれたわけですよ。本当に助かりました。ありがとうございます。

ちょっとこれ考えたんですけども、被災地へのボランティアは国も募集していたわけです。じゃ、それに対して批判があったかと言うとありませんでしたよね。東京オリンピックのボランティアへNGを突きつけた人たちは、被災地へのボランティアはOKに対して、どう折り合いをつけているんでしょうか? 素朴に疑問なんですよ。

分類すると、オリンピックはいわば商業イベントです。一方、被災は有事です。
お金稼ぎのためにボランティアを利用するのはダメで、お金稼ぎではない有事にボランティアを利用するのはOKってことなんですかね。でも、どうやってこの二つの差(優劣?)を決めているんですか? 好き嫌いですか?

私はどれも商業的な視点で見ています。
ボランティア募集は、どちらも「交渉」です。「東京オリンピック、ボランティアで働いてくれる人いませんか?」も「被災地への復興をボランティアで手伝ってくれる人はいませんか?」も、同じ交渉です。どんな交渉条件でもニーズがあれば集まりますし、なければ集まりません。ただそれだけです。

時々炎上する、クリエイターへの無償依頼も同じです。「タダでイラストを描いてくれませんか?」も交渉です。交渉するのは自由です。断るのも自由です。

だから、オリンピックへのボランティア募集もクリエイターへの無償依頼も、1対多の交渉か、1対1の交渉かの違いだけで、やっていることは同じ「交渉」です。どんな条件でもニーズがあれば集まるし、なければ集まらない。ただそれだけです。

こういうふうに商業的な視点で見れば、きれいに片付く問題って多いんじゃないかなって思います。

たとえば、最近話題になっている「キズナアイ騒動」があります。 NHK のウェブサイトで今回ノーベル賞を受賞した内容を解説するというページが立ちあがりました。そのサイトで使われるキャラクターにキズナアイという萌えキャラが採用されたわけです。で、サイトでは、解説者(男性)がキズナアイ(女性)に教えるという形をとっています。

これに対して、フェミニストの方たちが批判しています。批判していることは二つ。一つは、キャラクターが萌え系であること。もう一つは、女性が聞き手役に回っているということ。一つ目については今回は触れません。考えたいのは二つ目です。これについてもう少し説明します。フェミニストの方々はこう言っているわけです。「女性がいつも聞き役に回るのは、これは言ってみたら女性は頭い存在であり、男性への相槌を打つ役なんだというポジションの固定化につながる。一種の女性差別である」と。

なるほど、そんなふうに考えたことはありませんでした。確かに言われてみれば、男性が解説者で女性が聞き手役と言う構図は多いかもしれません。

ただ、これは差別から発している問題とは思いません。私はこの騒動をどう見てるかと言うと、これも先と同じ商業的な視点で見ています。男性が解説役で女性が聞き手役のニーズがあり、女性が解説役で男性が聞き手役のニーズがないだけです。もし後者のニーズがあるのであれば、採用されて多くの場面で使われるはずです。それがないのは、単純にニーズがないからです。

男性が解説役で女性が聞き手役が多いのは、男性からだけニーズがあるのかもしれないし、女性からのニーズもあるのかもしれない。逆に、「女性が解説役で男性が聞き手役」が少ないのは、男性からニーズがないだけではなく、女性からもニーズがないのかもしれません。

対等にしたいのなら、糾弾するのではなく「ニーズを高める」「ニーズを伝える」という方向に持って行くのが健全だと思うわけです。

だからキズナアイ騒動は、女性差別の問題ではなく、ニーズの結果と見ています。女性が解説役で男性が聞き手役の構図を表現する自由は十分に保証されているのですから、もしニーズがあるのであれば、漫画やアニメでも採用されるでしょうし一般化されるはずです。

こういうふうに、ボランティア騒動もキズナアイ騒動も商業的な観点から見れば、好き嫌い関係なく、きれいに収まる話だと思うわけです。

ということで、東京オリンピックのボランティア騒動からキズナアイ騒動までを類推?してみました。




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