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【無職奮闘編】無職、ヒキニートになった事を友達にも言えず、友人たちと心の距離をとる。バイトの圧迫面接によりダークサイドへ(前編)

○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。

前回からの続き。無職一年目2015年の後期について書いていきます。

友人たちと遊びに行くも、無職になった事を打ち明けられない。

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無職になった事を友達たちに打ち明けられませんでした(一部を除き)。
僕は特別プライドが高い方ではありませんし、大手企業とかではなく零細企業をやめただけ。だけども友人たちに打ち明ける勇気はありませんでした。

それは辞めたというネガティヴな情報に対して、もう否定的な事を言われたくなかったんだと思います。励ましの言葉だったとしても、当時の僕は重荷に受け止め、素直に受け止める勇気がありませんでした。

それは大学時代の友人が、大学在学中に就職できなかった別の友人に対して、遊んでいる最中にもよく心配していたからです。

僕はただでさえメンタルがボロボロだったので、余計な心配をかけたくなかったし、そして”頑張れよ”という前向きな助言でさえも言われるのがただ怖かったです。

心のわだかまりは波及する

無職である事を秘密にしてたのはよかったのか悪かったのかは今でもわかりません。ただ心の中でわだかまりができて、僕は高校時代や大学時代の友人たちを自分から遠ざけるようになっていきました。

僕の態度に対して、友人たちも自然と感知し、離れていってしまいます。僕はできるだけ自然に接しようとしていましたが、やはり細かい仕草や雰囲気で人は察知できると思います。

友人たちが別々の県で離れて暮らすようになったこともあり、僕との交流は次第になくなっていきました。

しかし、結婚式に呼んでくれたりしてくれたので、特別僕を嫌っているというわけではないと思います。ただただ、距離感が開いたのだと思います。

偽社会人。書類の"勤務先住所"の記入で焦る

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無職一年目の時、群馬に引っ越してそこで見事公務員になった友人がいました。彼の家にお世話になりつつ群馬を旅行しましたが、まずいことがありました。

それは、自然に流れている川を自分の力で這い上がっていくアクティビティをやることになったのですが、安全管理のもと、自宅の住所や電話番号はもちろん、勤め先の電話番号と住所を書く欄がありました。

僕は無職である事を伝えてなかったので、友人たちを尻目に冷汗をかきながらクビになった前の会社の住所を書きました。運動が全く出来ない運動音痴でしたが、絶対に怪我をしないと心に誓いました(なんとか無事に終わりました)

写真は群馬に行った時に撮った写真です。

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ブログを立ち上げデジタルでフィギュアを作っていく

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当時作っていたブログが見つかったのでそちらを貼ります。ニートだったのでちょくちょく更新できていました。

記事は明るく書いているつもりでしたが、この時無職葛藤中。明るく装いつつも僕の心は不安な気持ちでいっぱいでした。暗闇で出口を探す感覚です。でも振り返ってみると結構頑張ってたなと思います。

zbrushというのは海外の造形ソフトです。映像業界でも専門学校時代当時、話題になっていたソフトです。

フィギュア業界では、アナログで作るフィギュアもあると思いますが、どちらかというとデジタル造形が主流。デジタルで作る場合はこのzbrushを使うというのが一般的になっていました。

僕はなけなしで溜めていた給料と失業保険を費やしてこのソフトを買いました。当時定価10万ぐらい、割引で一割か二割り引かれて買いました。

当時作っていたフィギュア達。(このGUMIのフィギュアは埃を被っていて可哀想だったので、最近ブックオフに売りました。)

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幸いにもソフトを操作する環境は無職の前から備わっていました。パソコンは2013年製Mac Proを買い、アップル純正のディスプレイのThunderboltディスプレイ、そして学生時代に買ったインティオス4(ペンタブ)。パソコン(40万)とディプレイ(10万)で50万。

会社員時代からそもそもお金にあんまり興味がなく、給料は高くありませんでしたが貯蓄はちょこちょこありました。その貯蓄でパソコンを購入、何か制作をしたかったのです。

ただこのパソコンは零細企業時代に買ったけれど、家に帰ってもパソコンを付ける時間が全くなかったので1年間ほぼ使わずに放置。しかし、無職になってからはフル稼働です。

このパソコンは無職、個人事業時代を一緒に戦ってくれきてくれた大事な戦友でした。これがなければ僕は事業は勿論、制作が出来ませんでした。

このパソコンのおかげで後々の制作が出来、資金源を獲得していくのですがまた後々書いていきます。このMac Proは今は父親が使っています。

長くなってきたので、アルバイトの面接を強制的に組み込まれた話は後半の記事で書いていきます。


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