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【仕事が出来ない人間は正社員でもクビになる】仕事、人間関係が辛かった零細企業編(4)【ノンフィクションドキュメンタリー】

○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。

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◇登場人物

上司Cさん:僕が会社二年目から頻繁に話すことになった上司。会社以外にも遊びに行くようになる。しかし、依存体質なのか、面倒見がいい面がある分、仕事ができない僕に対して一方的なアドバイスをするようになってくる。そのアドバイスにより、僕は自己否定を繰り返すように。

後輩A:上司Cと共に、会社二年目からよく話すようになった後輩。コミュ力があり、上司達と円滑に対人関係を築いていく。仕事ができない僕に対して次第に下に見るようになる。

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前回の記事はこちら

二年目後半と年を越して、クビになる新年度前の三月までの期間を書いていきます。さらに暗くなりますので、暗い気持ちになりたくない方は記事を飛ばしていただいてかいません。

また、この記事でも僕が仕事が出来なかった理由を簡単に書き、後に番外編として詳しく分析していこうと思います。

二年目の後期は、仕事を分担していた別会社が同じフロアに入ったため、人数が一気に増えて、なおかつ、仕事の管理がうまくできていないのか、会社の雰囲気がギスギスしはじめてきます。

僕は二年目の前期同様、仕事を任せられないほど信用度が下がっており、それをまだ挽回できずにいました。

そして前期から後期、年末ごろまで僕は色んな上司の元に配属されました。それは会社なりの温情だと思います。

しかし、僕はどの上司の下でも、違う仕事だったとしても僕は相変わらず仕事が出来ないままでした。

当時僕は仕事が出来ない事に自己否定を繰り返し、もともと明るい性格でない性格はより暗く、そして表情も生気を失っていました。

そんな自己否定を繰り返して自己肯定感が0、そんな表情が死んでる僕でも助けようとしてくれる上司、別会社の先輩方がいました。

しかし気を使ってくれているのに、僕はそれに応えられず、さらに自己否定を繰り返していきます。

出勤までにかかる時間も、メンタルを削る大きな要因でした。
僕は実家から出勤していて、片道二時間、往復四時間かけて通勤していました。

僕はよく納期に仕事が間に合わず、終電まで会社で粘って仕事をしていました。しかし、どう頑張っても納期が間に合いません。

家に帰ると深夜一時を回っている事も度々ありました。へとへとなので、食事を食べてお風呂に入ると、もう深夜二時。すぐに寝て次の日の朝七時半に起きないといけません。

そんなきつい生活と、仕事が出来ない申し訳ない気持ちと、人間関係のプレッシャーを抱えて出勤していました。

しかし、同じ仕事、あるいはもっと大変な仕事をしている後輩達は納期に間に合っているのに、僕は間に合わない。

上司の目もあり、僕はもうすでに精神的に限界を迎えていました。

怒られる頻度が増加、怒られる度に上司の前で情けなく泣く。

道徳的にはどうかと思いますが、組織の中に"出来損ない"のポジションを一人か二人りぐらいの少数作ることで、組織がほどほどの緊張感により円滑に回るという話を聞いたことがあります。

この理屈は、出来損ないポジションの社員が毎日のように上司から怒られることにより、ほかの社員にその緊張感が伝わるからほかの社員が仕事にまじめになるとか。

社員のモチベーションを保つには、ある程度の緊張感が必要なので合理的、なのであえてこの仕組みを(仕組みといっていいかわかりませんが)取り入れる経営者もいるそうです。

図らずとも、僕はその"出来損ない"のポジションになっていました。仕事が出来ないのはあたりまえ。そして後輩たちと比較されたり、仕事のやり取りの事など様々なことで毎日のように怒られていました。

指示したことをすぐに忘れていたりしたので、若年性の健忘症の疑いをかけられていたりいました。

同じことを直さなかったり、修正箇所を忘れたり、納期を守れなかったり、ミスを重ねるたびに怒られてしまうので、一日に何度も強く怒られました。

そして精神的にも追い詰められていたので、ついに自分でも制御が出来ず泣き出してしまいます。

さすがにドン引きした上司はその場で立ち尽くしていました。その後も何度か泣いてしまい、上司同士の雑談で、僕が泣いたことの陰口が聞こえるようにもなりました。

正直、僕はその時点で会社を辞めるべきだったと思います。それは抱えている会社のためにも。しかし、仕事の事で頭がいっぱいになると本当に何も考えられなくなります。

これは僕が限界まで追い詰められていたため、本当に目の前のことにしか見えなくなるのです。なので僕が辞めれば、疲弊している僕と僕の事で頭を悩ましている会社も解放される。といった簡単な決断すら考えることができていませんでした。

最終的には誰とも会話がない壁際の席にたどり着く。

この頃は二年目の年末に差し掛かるころ。僕は席移動でフロアの壁側。会社の入り口から一番遠い、壁側の席についていました。もともと会話が少なかった僕は、遠いこともあってほぼ完全に誰とも会話をすることがなくなります。

会社側は僕の得意分野を生かそうと、今までいろんな事をしてくれました。しかし、どれも信用を挽回することはできず。

最終的には、この仕事が出来なければもう任せられる仕事はないという、最後のチャンスをくれました。

しかし、その仕事も割と複雑で、僕は最後の会社側の期待に応えることが出来ませんでした。会社全体の雰囲気がギスギスしているのもあって、会社の人間関係と信用は地の底の底まで、もう落ちようがないところまでいっていました。

僕は、そのころから話題になり始めていった"発達障害"に自分が該当するんじゃないかと、ひたすらネットで発達障害系の記事を探していました。

完全に現実逃避で、自分が発達障害系だと思うことでつらい現実を正当化できるため、ひたすら自分に当てはめて、発達障害サポートセンターに予約をいれたりしていました。

そうすることで、ほんの一瞬だけ存在感が肯定された気持ちになれたのです。

休日は、上司Cさんに誘われて、土曜日か日曜日は上司Cさんと出かけていました。それは上司Cさんなりの気遣いだったと思いますが、それより依存心が強い上司Cさんは遊び相手として、そして承認欲求を満たすために僕を呼んでいる節もありました。

出来れば僕はつらい現実から出来るだけ離れるため、休日は家で過ごしたかったのが本音です。しかし、断っても上司Cさんはめげずに誘います。上司Cさんなりに僕を救おうと必死だった思います。

ただ気持ちはありがたかったのですが、上司Cさんは休日でも仕事の話をして、「だから君はだめなんだ」という感じで最後は人格否定で終わるアドバイスをする人でした。そう言われる度にさらに落ち込みます。

休日は出来るだけ仕事の事を考えたくない僕は、上司Cさんとの遊びはメンタルを削っていく要因の一つでもありました。

会社を辞める事を言い出さない僕に、会社は自主退職を促す。

上司Cさんにパワハラに近いアドバイスも度々されていましたが、僕を救いたいと最後まで粘ってくれていた上司の一人でした。

しかし、そんな上司Cさんでも、(遊びに誘ってほしくなかったため)僕はそっけない態度をとってしまいました。そして、上司Cさんにもついに愛想をつかされて、いよいよ完全に会社から完全に孤立してしまいます。

雰囲気が最悪でびくびくしながら会社に通っていた時も、ついに終わりが来ます。三年目に差し掛かる前の三月でした。

会社の仕事が終わる時間になるころ、僕は社長たちに呼び出されます。

開幕一言「もう会社が君に出来ることはない、出来ることを君から教えてほしい」「日銭を稼ごうとすることはやめてほしい」と言われました。

実質ほぼ退職の勧告だと思いますが、まだほんの少し温情が残っていたのかもしれません。

僕は自分のできそうな事をいいました。もう完全に自信がなくなっているので、本当に誰でもできる単純作業です。

僕の意見に当然上層部は呆れます。ここで完全に悟ったのか、それがやりたいなら工場で働いた方がいいと言われました。当然ですが。

そうして社長は遠まわしに別業種を勧めます。それは裏を返せば僕から退職宣言を聞き出そうとするためです。

頭の回転が人一倍遅い僕でもそのことは理解できました。日本の正社員制度はガチガチで守られている分、社員から退職を促さなければ解雇できない制度です。一方的な解雇は会社の信用問題に関わるからです。

しかし僕はもう保身に走る余裕はまったくありませんでした。僕は早く現実から逃げたかったので、すぐに退職願を書きました。

会社を辞めた次の日、起きてもぼーっとベッドの上に寝転がっていて、発達障害相談センターからの鬼電を無視していました。

以前に相談の予約をした発達障害センターの予約日がその日でした。相談日を設けてもらったのにも関わらず、会社に有休を申請するのが億劫でした。ただでさえ出来損ないだったので休日の申請に躊躇していました。(結果的に出勤日にならなかったのですが)

そして、この日から二年間の引きこもり無職生活がはじまることになります。退職日が3月11日、偶然にも震災の日。

僕の精神の中の津波は、僕のいままでの耐えてきた苦痛、社会的地位もすべて平等に流していきました。

人生で初めての大きい挫折。

これが僕が無職になるまでの過程です。
次は、無職から這い上がっていく無職奮闘編を書きます。




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