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【受験から逃げ、Fラン大学入学編】辛い幼少期、感情なしぼっちFラン大学時代、1年間専門学校に入学。そして地獄の零細企業社会人へ(3)【ノンフィクションドキュメンタリー】

○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。

前回の記事は高校時代をグダグダ書いてしまったので、高校時代の出来事を簡単にまとめます。

*運動部をバックれ、高校生活を顧問の先生と会わないかびくびくする。
*オンラインゲームにはまり、引きこもりに拍車がかかる。食事以外はゲームにはまることに。ゲーム廃人へ。
*成績が低すぎて大学の推薦入学が取れない。受験勉強から逃げてFラン大学入学

運動部バックれ、オンラインゲーム廃人はニートの素養としては特に珍しくないので割愛。三つ目のFラン大学入学までの過程について少し語ります。

僕は結局、成績の重要性に気が付いたのは高校三年の後期。そのころになってようやくテストを頑張りました。しかし時はすでに遅すぎて、成績は一年分の成績をトータルに出すのであまり変わらず。

そして、成績を順調に上げていった友人たちは無難に大学推薦を勝ち取っていきました。

親としては、すでに兄が大学受験を済ませていたので、大学推薦より大学受験を望んでいました。なので、大学受験を念頭に高校三年の春には塾に入れてくれました。(というか中学時代三年間も塾に入れてくれてました。)

しかし、僕は安易に楽な道を進みます。「どうして友人たちは大学推薦で遊んでいるのに僕だけ受験をしないといけないのか」といった具合に被害者意識をもって。

やる気のない態度は、表情や気力、行動に現れてきます。
やる気はないけど、みんなが大学に行っているのでとりあえず自分も大学に行く。ヤンキーも大学に行く、大学全入時代に突入した時代でした。

高い塾代を支払ってくれたのにも関わらず、僕は次第に塾に行かなくなります。その理由は単純で、やる気もないし授業にもついていけないから。そして、クラス分けテストで最下層のクラスに振り分けられました。頭が良くない人間が集まるクラスは当然客層が悪くなります。

僕はクラスメイトに、ちょいちょい塾をサボる、表情筋が死んでいて生気がない服がしわしわな奴。として陰口を言われるようになりました。というか授業中に遠まわしに僕を誹謗するような事を堂々と言われました。

ただでさえ塾は苦痛だったのに、人間関係でも苦痛になりました。
そして僕は塾に行かなくなります。

親には僕は塾に行っていると思い、勉強をしているかどうかをしきりに聞かれました。この時僕は塾をサボっている事と、勉強を全くしていない罪悪感で頭がおかしくなりそうでした。自業自得ですが。
(当時ストレスで出来る皮膚炎を頭皮に発症していたのですが、10年以上経ってもまだ治っていません。最近ようやく病院に行きました。)

僕は勉強ができない事と、自信がないおどおどした性格だったため、よく家では兄に因縁を付けられていたし、力で勝てない弟には舐められていました。

兄は特別高学歴という程ではないですが、大学受験を一回失敗したせいなのか、酷い学歴厨(学歴コンプレックス)を抱えていました。暗くて反論しない性格の僕は、小さいころから兄のストレスの格好のはけ口です。

兄はネットでも日々youtubeのコメント欄に粘着しているような人の性格をしていたので、口を開けると、〇〇は低学歴とかなんとか。しきりに自分の判断で決めた学校の基準に基づいて人格の否定をしていました。

内弁慶なのか、兄は外ずらはいいのに、家では溜まった鬱憤を僕にぶつけていましたが、僕は力では及ばないので勝てず。一方的になじられている僕に母親には情けないと言われ、延々と自己否定を続け、僕の自己肯定感は上がることはなかったです。

僕は今でもネットの学歴コンプを示唆するようなコメントは、見るだけで不快感を覚えます。それは兄の事を思い出すから。

そんな日々を過ごしている時、両親が僕に対する信用を一気に地に落とす出来事が起きてしまいます。

それは高校三年の冬。普通の受験生なら受験勉強も大詰めに差し掛かった時期。僕は受験勉強を全くすることもなく、やることもなかったのでもうすでに飽きたオンラインゲームを時間つぶしにやっていました。クズです。

このままではいけないと思い、受験勉強を始めたこともありましたが、兄の必要以上のプレッシャーと、勉強方法の否定をされ、メンタルが弱い僕はそれ以降、勉強に対して更にやる気をなくしてしまいました。

そんな中、父親が僕の部屋に入ってきました。
いつもなら僕はパソコンのモニターを消して、幼いころから培ってきたゲームをしていない素振り、を徹底していたのですが、この時は油断していました。

僕は完全に素振りに遅れてしまい、ぎこちない何か後ろめたい事をやっていたという雰囲気を出したため、パソコンのモニターの電源を付けようとした父親と争いました。

争うといっても殴り合うというわけではなく、必死に父親を押しとどめることをしたのですが、勝てず。父親にモニターの電源を入れられてしまいました。

表示されていたのはオンラインゲームのゲーム画面。モンスターと戦う他プレイヤーが派手に戦っているところが見えていました。

争っていた時はそれほど怒っていませんでしたが、画面を見た父親は、一気に表情が険しくなりました。

数年に一度あるかどうかの怒りを僕にぶつけ、そして静かに去っていきました。怒りの表情から素の状態に戻るまでの間、一瞬失望のまなざしを向けられた僕は、信用が地の底まで落ちたことを悟りました。

少年漫画では主人公が勝ち上がるきっかけになるかもしれません。しかし、それはある程度自信を付け、自己肯定感と才能、能力がある人間だけで、物語のようにうまくいきません。

両親が僕に対して信用をなくした一方、待ってましたと言わんばかり、兄は僕に対して精一杯野次を飛ばしました。兄が母親に対し、いかに僕に能力がないかをスピーチしている合間、弟たちは冷めた目で僕を見ていました。

この先30歳近くまで、変わらず男兄弟たちが僕を下に見てなじる構図が完成してしまいました。このヒエラルキーはちょっとやちょっとでは抜け出せません。

受験にやる気がない事を知りつつも、両親は塾に通わせてくれました。
もしかしたら受験勉強してくれると、一抹の希望をもっていたのかもしれません。

しかし僕は期待に応えず、Fラン大学(正確にはEランクだがほぼ変わらないのでFランと呼ぶ)のAO入試に逃げました。

しかも、倍率が1.1倍なのに一度落ちてしまいます。完全に舐めてかかっていました。いまの時代もそうかもしれませんが、Fラン大学など不人気私立大学は学生獲得に必死になってしました。

その結果、ぬるいAO入試で僕のように受験から逃げたい学生を集めるので、自然とほぼ誰でも合格する入試難易度になっていました。
(そんな学生を集めたら当然無気力の学生が集まります)

そんなぬるい試験でも僕は落ちてしまいましたが、この時試験に落ちてしまったのは僕だけかと思いきや、のちのち親しくなる友人Cも同じ試験で落ちていたそうで、そのこともあり友人Cと後で仲良くなります。

そして失敗してから二度目のAO入試を受験、蔑ろにしていた面接も、高校恩師たちに協力してもらい、なんとか合格することができました。

親にその事を報告すると、すべり止めで受けさせただけだから受験も頑張れよと念を押されました。

しかし、逃げる事しか考えていなかったのでまったく勉強をしていなかった僕は、この大学に入学することを伝えました。

そしてまた両親を落胆させてしまいます。もう信用0なので落ちようがなかったと思ったら、まだ下がありました。しかし本当にもう落ちようがありません。

父親に、「一生兄に馬鹿にされ続けるぞ」と言われ、僕はその言葉を受け止めて、Fラン大学に入学することになりました。

その言葉の通り、本当にずっと僕は10年ほどの月日が経っても、兄の呪縛から解かれることはありませんでした。

次はFラン大学の話になります。


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