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【無職奮闘編】無職、ヒキニートになった事を友達にも言えず、友人たちと心の距離をとる。バイトの圧迫面接によりダークサイドへ(後編)

○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。

前回の2015年後半の前編からの続きです。

弟からゲーム会社のアルバイトを紹介される。強制的に。

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弟から一方的にアルバイト先を決められました。側から見ると兄思いの弟に映ると思いますが、僕にとって弟は兄を舐めている厄介な存在です。以前から言葉の節々に兄を舐めきったりマウントをかましてくる弟が好きになれませんでした。

気が強く高圧的な性格のため、僕の要望は無視して決められたので、申し出を断るも親からの圧もすごく、しぶしぶ受けることになりました。無職ヒキニートに人権はありません。親にとって弟は僕を救う救世主に思い、弟の評価はより上がったでしょう。

アルバイト先は、アルバイトにもかかわらず正社員採用と同じ形式で、重役の面々が揃った面接でした。アルバイトとたかを括っていたので面接はボロボロ。(言い訳をさせてもらうと、他人に強いられたものほど力は入らない。ましてや自信を失って組織に恐怖心を頂いていた頃。だけどそれでも精一杯やったつもりだった)

僕は弟から高圧的に言われるのが嫌で、弟の面接対策を断っていました。弟に助けてもらうのが嫌という小さいプライドがまだあったのかもしれません。でもどうしても弟の助けを借りる気は起きなかったのです。

面接前日、面接対策をするぞと高圧的に申し出てきた弟と口論し、そして断り続けたら呆れて諦めました。親にも呆れられていたのを思い出します。

圧迫面接の果て、悔しさからの闘争心の目覚め

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面接らしいことは最初の数分で終わり、あとは僕に対してひたすらネチネチ言う感じの面接でした。それは、僕の稚拙な自己アピールで察したと思います。

内容は覚えていませんが、25歳でアルバイトとして面接を受けてきた僕に対して終始鼻で笑うような話し方だったと思います。

面接はボロボロだし、25歳無職でアルバイト志望。面接官は呆れて、こいつなら何を言っても言い返してこないだろうと思ったんだと思います。

しかし、根暗な僕でも流石に一方的に言われ放題だったので、嫌味に対して嫌味で返してやろうと思いました。面接官は役員で会社は時代の波に乗り急成長をしたと自慢げに言っていましたが、所詮は中小零細企業の御山の大将。正社員でなくアルバイトを取ろうとしているところが、会社の資産が潤沢でないと言っているようなものです。

ただ、弟の仕事の関係先だったので、弟に迷惑をかけたくないと思い感情を抑えました。(結果的にボロボロだったので弟の印象や仲介していただいた会社の方に迷惑をかけてしまったのですが...)

帰り道は面接で言われた事にイライラしながら帰った事を覚えています。そして弟が帰ると、あまりにもひどかったのか、可哀想だから面接の事は深くは伝えないと言われ、落ちた事だけ伝えられました。

弟と親は完全に呆れていました。弟の僕に対する態度がさらに悪くなります。当然ですが。

人生で初めて、悔しさをバネに。

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僕は圧迫面接をして小馬鹿にしたような態度をとってきた会社の役員に対して、激しい悔しさに加え人に対し初めて敵対心が生まれました。

心の奥底からこんな上の立場から逆らえない弱者に対して嫌味をいう人間にはなりたくない事と、こんな中小零細企業の役員より遥かに稼いで勝ち上がろうと思い始めます。

今思えば、僕はいままでの人生は人から下に見られすぎていました。本来なら感情を剥き出しにし、悔しさをバネに這い上がらなければいけません。ただ今までが無感情で生きすぎていたのです。

いつも馬鹿にされるのが当たり前で慣れていましたが、それはあくまで近しい友人などの場合。そして、上司だったとしても保身のために悔しい気持ちを抑えていましたが、いまはただ一方的に馬鹿にされたのが本当に悔しかったのです。

この時の負の感情は、後々の行動力に大きな影響を与えていきます。
僕はダークサイドに落ちて、悔しさの感情をモチベーションにしていきます。

負の感情で敵を作り、その敵を超える事を生き甲斐にするモンスターです。この時の"敵"は圧迫面接した役員と、年収マウントとってくる男兄弟達です。

そしてその負のエネルギーは、後々事業の根幹になる、同人サークル「スタジオレイン」の発足につながっていきます。

次は2016年について書いていきます。

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